朝日連峰のブナ林からしたたる艶かしい流れを釣った72時間【山釣りJOY・前編】

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源流をめざして深山に分け入る山釣りの楽しみを紹介する雑誌『山釣りJOY』2024 vol.8から、山形県と新潟県にまたがる荒川(あらかわ)流域の釣行記をご紹介。

写真=矢島慎一、文=森山伸也、釣り人=大森千歳

女川岩魚思慕釣行——新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流

ずっと心に引っかかっていた。2022年8月の記録的豪雨で山形県と新潟県にまたがる荒川流域は甚大な被害を受けた。源流部の林道は崩れ、杉の植林は流された。さらに22年の猛暑と渇水で沢は燃え、イワナにとって無慈悲な年が続いている。朝日連峰から流れ出る水の中でイワナは、健やかに暮らしているだろうか? そんな心配がこの旅のはじまりだ。

新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
可能なかぎり身をかがめ、川底の石を静かに踏み、一歩一歩近づく。左岸を削る流心にポトンと毛バリを落とすと、水面が揺らぎ毛バリが消えた。これぞ自然とつながれる決定的瞬間である

Go to the Headwater! 山釣りドキュメント

山釣りの成功は、先行者の有無にかかっている。だから、できるだけ平日に動き、山を越えて「足で釣る」沢を選ぶ。それでも入渓点に着くまで、気分は晴れない。先行者の影を夢にまで見るくらいだ。

われわれが駐車した林道の奥にジムニーが1台止まっていた。先行者である。漂う形跡がフレッシュなので今朝出発した新潟ナンバーの地元民か。なんとかして追いつきたい。彼らを追い越して、先行者として優位に立ちたいわけではない。話し合いたいのだ。どこへ入るのか? どこに泊まってどこへ抜けるか? コミュニケーションを取らないまま入渓したら、お互いにとっていいことはない。

蕨峠(わらびとうげ)を越えたころ、前方の藪から鈴の音が聞こえてきた。挨拶だけして女川(おんなかわ)へ下り立ち、自由に行動することもできた。しかし、彼らは僕らよりも早く藪を歩き、朝露をたっぷり浴びている。それを無視することは気持ちのいいことではない。

「ごめんください。ふたりですか? どこへ入りますか?」

新潟訛りを強調して尋ねる。

「えっと、予定では白沢で1泊しようと思っています」

「予定では」の切り出しに柔軟な釣り人だと察して安堵する。

新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
牛股沢のゴルジュが釣り人を跳ね返しているのか? それともイワナの遡上を拒んでいるのか? ここを突破したらみんなの竿がしなった。見てのとおり、増水したら厄介なポイントだ
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
4時間の山越えで女川をめざす。女川下降点と最高点の標高差は540mとまあまあある。さらに標高が低く、水場がないので盛夏はあまりおすすめできないアプローチである
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
上下から左右から藪がうるさい蕨峠越え。倒木や獣道によってときどき踏み跡を見失う。とくに下りでは、間違った尾根に入らぬよう地図とコンパスによるルートファインディング能力が必要だ
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
ブナの巨木につけられたナタ目。村人の山菜採りや狩猟のためにつけられた目印で、見かけるたびに安心する。解読不明なものばかりだが

白沢とは、名前のとおり清らかな水流が原生林を縫いながら大イワナを育む女川の最深部である。この答えに備えて、僕らはいくつか手札を用意していた。

「僕らも白沢狙いでしたが、ふたりに譲りますよ。その代わり、出合まで釣って、牛股沢に入ってもいいですか?」

「どうぞ、どうぞ。ありがとうございます」

万事は整った! 曇っていた気持ちが、クリアに晴れ渡っていく。後続者に気を揉む彼らもきっと同じ気持ちだっただろう。

尾根を下りながら周囲を見渡すが、大雨による土砂崩れは目立っていない。女川へ下りる踏み跡が大雨で崩れていないか、心配だったが、杞憂に終わった。

トレランシューズから沢靴に履き替えて谷底に立つと、雨がパラパラ降ってきた。これまでの藪の濃さ、踏み跡の曖昧さから察するに、イワナはすぐ釣れると踏んだ。大雨で流されていなければ、の話だが……。

広い瀬と深い淵が連続する釣り人には垂涎の渓相が、4時間の藪こぎに耐えた僕らを迎えてくれた。すぐに竿が大きくしなり、僕らを笑顔にした。人為的と言われる異常気象を生き抜いてきた逞しい命に「すまんすまん」と思慕の念を抱く。

新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
女川が白沢と牛股沢に名前を分ける出合の手前、つまり女川最奥に棲んでいた透き通るようなイワナ。いずれも23cm以上で引きが強く、スリム。沢では虫を見かけなかった
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
美しいイワナに出会うためならば、腰までの入水はやむを得ない。右から突き出た岩に隠れながらの好アプローチ。ドライ毛バリが流心に落ちたとき、背後で見ている者の鼓動も高まる。今回は源流用の短いテンカラ竿しか持参しなかったが、フライロッドを振りたくなる奥行きのある明るい淵が多かった
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
長い冬に備え、流れの速い瀬でせっせと虫を捕食していたイワナ。競争率が低いようで、ずいぶんと上品な食いつきであった
新潟県関川村・山形県小国町/荒川水系女川源流
川底の砂利に擬態したイワナの背。背から腹へいくほど斑点が大きくなるのは、水の屈折を考えてのことだろうか? ひとつとして同じものがないきれいな模様にいつも感心する
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山釣りの世界へ

源流域に生息するイワナとの出合いを求めて、釣り竿を手に谷を遡行し、沢音を聞きながら眠る。登山とは異なる角度から山を楽しむ山釣りの世界をご紹介します。

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