チョウだけじゃなかった!? 虫の名が付く山の盟主・北アルプスの蝶ヶ岳で出会った高山の生きものたち。ホシガラス、ライチョウ、そして……。
日本の山には昆虫の名前が付いた山が幾つかある。たとえば夏虫山(岩手県、717m)、蜂倉山(宮城県、289m)、鳴虫山(栃木県、1104m)、蛾ヶ岳(山梨県、1279m)、蜂城山(山梨県、738m)、蝿帽子嶺(1037m、福井県と岐阜県の県境)、虫倉山(長野県、1378m)、蟻峰山(岡山県、232m)などである。なかでも蝶ヶ岳(長野県、2677m)は標高といい、昆虫愛好家に人気の高いチョウが名前につくという点で、虫の名前がついた山の盟主と言えるのではないだろうか。
文・写真=昆野安彦
目次
蝶ヶ岳の名前の由来
日本の山には、春に山肌に現われる雪形に由来する名前が付けられた山が幾つかある。雪形とは、残雪と岩肌が作り出す模様を人物や動物などの形に見立てて名付けられたものの総称だが、たとえば、白馬岳や木曽駒ケ岳は、馬の形をした雪形にその山名が由来している。
蝶ヶ岳の場合も、山麓から見える山頂付近の雪形が蝶の形に見えることから付けられた山名だが、実際、この山には魅力的な蝶が2種類生息している。高山蝶のタカネヒカゲとミヤマモンキチョウだ。私は上高地をベースに北アルプスの自然観察を行なうことが多いが、蝶ヶ岳はその上高地からもっとも近いこの2種の生息地なので、若いときからよく登っている山だ。
昨年の夏も登ったが、天気が良い日を選んで登ったこともあり、高山蝶以外にもさまざまと生きものと出会うことができた。以下、私が蝶ヶ岳で観察した高山の生きものたちを紹介してみよう。
星空の模様が美しいホシガラス
まずはホシガラスだ。カラス科の鳥で、体色は全体的に黒茶色だが、たくさんの白い斑点が散りばめられ、まるで満天の星空のようにみえる。名前のホシガラスの「ホシ」はこの白い斑点に由来する。
春先は上高地の森でも巣立ったばかりの幼鳥を連れた親鳥を見ることがあるが、夏になると高山に移動するようで、夏に上高地でその姿を見ることはほぼできなくなる。
私が蝶ヶ岳を訪れたときはたまたまかもしれないが個体数が多く、稜線の針葉樹にとまって大きな声で鳴く様子を間近で見ることができた。また、大きくなったハイマツの球果を地上で分解して熱心についばむ様子も観察できた。
ホシガラスは冬季用の餌としてハイマツの種子を別の場所に貯蔵することが知られており、この時のホシガラスがその場で種子を食べていたのか、それとも別の場所に持っていくために集めていたのかは分からないが、蝶ヶ岳稜線は見通しが良いので、ホシガラスがどのような生態の野鳥かを観察するにはとても良い場所だと思う。
ライチョウ親仔が食べていたムカゴトラノオの「むかご」とは?
次はライチョウだ。私が訪れたときは山頂から常念岳方面への稜線にかけて、数羽の個体を観察することができた。2021年の夏に訪れたときには観察できなかったので、久々のライチョウとの再会が嬉しかった。
親仔の採餌行動も観察できたが、私が見たときにはタデ科のムカゴトラノオの「むかご」の部分を好んで食べていた。むかごというのは将来新たな植物体になる栄養繁殖器官のひとつで、栄養価が高い。きっとライチョウもそのことを本能として知っているのだろう。なお、「むかご」を作る植物としては、ほかに、ムカゴイラクサ、ムカゴニンジン、ムカゴユキノシタ、ヤマノイモなどが知られている。
口笛そっくりのさえずりのウソ
上高地から夏の蝶ヶ岳に登る場合、私は徳沢から入山するが、標高によって野鳥のさえずりが異なる。徳沢付近ではコマドリ、ウグイス、ミソサザイが多いが、登るにつれてメボソムシクイの割合が多くなり、山頂に近づくとウソの口笛のような「フィー、フィー」と聞こえるさえずりと、カヤクグリの「チーチーリリリ」と聞こえる賑かなさえずりが多くなる。
蝶ヶ岳稜線では、そのウソとカヤクグリの姿も見ることができた。カヤクグリは1か月前の大雪山で撮影していたので、旧友に会ったような懐かしい気持ちになった。
一方、ウソを間近に見るのは初めてで、喉元の濃厚な赤い色彩がなんと美しい鳥なのだろうと思った。ちなみに古語で「口笛」のことを「うそ」と言い、この古語がそのまま野鳥のウソの名前になっているそうだ。
妖精の池で見つけた幼生(ようせい)とは?
野鳥の話が続いたので今度は両生類を紹介しよう。徳沢から登ると、山頂に近い登路脇に「妖精の池」がある。池の周囲にクルマユリやコバイケイソウなどの高山植物が咲き誇る夢のような場所で、なるほどこれなら妖精がいそうな場所だと納得がいく。
そこで本当に妖精がいるのかと池を覗いてみたわけだが、見つかったのはオタマジャクシによく似た、両生類・サンショウウオ科の1種の幼生だった。透明な水底にこの可愛い幼生が何匹も群れている様子はなかなか絵になる。妖精の池と名付けた人は、もしかするとこの幼生にヒントを得て池の名前を命名したのかもしれない。もしそうなら、なかなか洒落た感覚の方だと思う。
おもわず好物の蕎麦のことが思い浮かぶオヤマソバ
蝶ヶ岳では北アルプスを代表する高山植物も観察できる。稜線ではオヤマソバ、イワツメクサ、ミネズオウ、ミヤマキンバイ、イワギキョウ、コマクサ、コメバツガザクラなどが見られる。
稜線からやや下がった草地には、ハクサンイチゲ、ウサギギク、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、タカネヤハズハハコ(別名タカネウスユキソウ)、コイワカガミ、キヌガサソウ、コバイケイソウの姿が見られる。
オヤマソバは蝶ヶ岳の稜線ではとくに目立つ花だが、私はいつもそのクリーム色の姿を見つけると、好物の蕎麦のことが脳裏に浮かんでしまう。「家に帰ったら、薬味を効かせた蕎麦を作ろう!」と心に決めるのが、この蝶ヶ岳の稜線でもある。
蝶ヶ岳ヒュッテで出会った蝶(チョウ)とは?
最後に紹介するのはもちろん蝶だ。もっとも生きている蝶ではなく、蝶ヶ岳ヒュッテのトイレ入口にある、チョウをかたどった表示パネルだ。男女別に違うものが設置されているが、写真は男子トイレのもの。虫の名前がつく山の盟主・蝶ヶ岳にふさわしい、とてもお洒落なアイデアだと思う。
蝶ヶ岳ヒュッテは木のぬくもりが感じられる居心地のいい山小屋で、約30張りが可能なテントサイトも併設されている。とくに、ヒュッテから望む御来光や夕陽に沈む槍・穂高の眺めは一見の価値がある。このヒュッテに一泊することを日程に織り込めば、時間に余裕のある自然観察や写真撮影ができるだろう。
*
以上、蝶ヶ岳で見られる高山の生きものの幾つかを紹介した。徳沢からの登りだと、夏なら滑落するような危険な場所はほとんどないので、これから北アルプスの高山の生きものを観察したい方にはおすすめの山の一つだ。なお、昨年夏に蝶ヶ岳ヒュッテを訪れたとき、スタッフの方々に丁寧に対応していただいた。この場を借りて御礼申し上げる。
私のおすすめ図書

山と溪谷7月号増刊 夏山JOY 2024
今年の夏はどこの山に登ろうかと、検討されている方は多いと思います。まだ登っていない百名山、高山植物の宝庫・白馬岳、南アルプスの盟主・北岳、それとも今回の記事の蝶ヶ岳から常念、燕岳方面への縦走などなど、考えるだけでわくわくしてきますね。そんな方にお勧めなのが、毎年夏の定番増刊である、この『夏山JOY』です。夏山シーズンまではまだ間があるので、どこに行くか決めかねている方は、この本を参考にすると良いでしょう。なお、この号では、ハヤチネウスユキソウで知られる早池峰山などの東北の魅力的な山も紹介されています。
| 著者 | 山と溪谷社編 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社(2024年刊) |
| 価格 | 1,430円(税込) |
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この記事に登場する山
プロフィール
昆野安彦(こんの・やすひこ)
フリーナチュラリスト。東京大学農学部卒(農業生物学科)、東北大学農学部名誉教授。著書に『大雪山自然観察ガイド』『大雪山・知床・阿寒の山』(ともに山と溪谷社)などがある
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