長野県遠山谷に残る「奇談」の証拠。江戸時代の冒険物『遠山奇談』の舞台へ
文・写真=宗像充、資料画像提供=飯田市美術博物館
江戸時代は寛政年間。大火で消失した東本願寺の再建のため、浜松の齢松寺(れいしょうじ)から遠山郷へと用材を求めてやってきた僧たち一行は、山男や3mの大ヒキガエル、ウワバミなど怪物たちと次々遭遇した。寛政10年(1798年)に発行された探検記『遠山奇談』の世界を訪ねてたどり着いた現代の遠山谷。250年前の本山再建にかける門徒たちと地元住民との交流の証が残っていた。
文・写真=宗像 充、資料画像提供=飯田市美術博物館
続く怪現象
浜松を出た主人公の齢松寺一行の目的は、本来、東本願寺の用材調達の目星をつけること。なのに旅の記録はだんだん、不思議体験がメインになってくる。
一行は、水窪(みさくぼ)奥地で無人小屋に泊まり、そこで3m近い大ヒキガエルと出合った。水窪の町でその話を名主にすると、6、7年前にキノコ採りに行った里人が行方不明になり、小屋だけが残されていたという。つまりそのガマにやられたと名主は思い至り、一行は命拾いを喜んでいる。大ヒキガエル推定有罪。
4月15日には信州・遠州国境(静岡県と長野県の県境)の青崩峠(あおくずれとうげ)を経ていよいよ遠山谷に入る。青崩峠でも、大岩がそびえる崩落地帯で、人馬が通ったような磨径(みがけしみち)を見ると、今度は杣平五郎が「山男の通路」と断定する。
この青崩峠はつい最近トンネルが貫通した。まだトンネル通行はできず、車でも曲がりくねった林道で峠を越えていく。中央構造線に沿ったトンネル工事は苦戦し長年月を費やしている。そんなわけで付近にむき出しの岩肌や崩落地形が多い。武田信玄が静岡県に侵攻する際に通った歴史ある道だ。一行も「伝聞(つたえきく)青崩山へ入んといふに」今までの怪現象に心が倦んだ。齢松寺も大伽藍再建のためと励まして出立した。なのに今度は山男だ。
ついに山男出現
この後も、遠山谷に入って泊まった梶谷山で、夜中に真白で毛むくじゃらの獣の来襲を受けて鉄砲で撃ち殺し、夜中に飛び回る猛火に震え上がり「天狗の戯」と解釈する。とどめは山男の出現だ。
梶谷山の奥地で宿泊時に、全員、全身が冬のように冷えて目を覚ます。すると頭上が氷の天井で覆われ、大木の枝に5丈(3m)の人の形が。青崩峠のあやしい径の記憶が一致する。齢松寺は再び仏教説話で安心させる。何事も気の持ちようだ。
ちなみに用材の切り出し本番では、山奥の小屋にウワバミが現われ16人で斧で切りつけ仕留めている。
ところで何度も言ったが、『遠山奇談』で齢松寺一行がたどった場所は現代においてもほとんどが確認できる実在の地名だ。柳田國男が言うように、都会の人の空想の産物ではない。具体的な日記や体験談をもとに構成されたものだろう。当時の「辺境」地域の生活風俗自然環境を今に伝える貴重な資料でもある。
一方で、現代において齢松寺一行の成果を見つけるのは、今までの行程ではなかった。ところがそれが遠山谷では可能だった。
遠山谷は伊那山地と南アルプス主脈の間に挟まれた、北は大鹿村境の地蔵峠から南は地蔵峠までの間、13kmほどの真っ直ぐな谷だ。各地区の神社で夜を徹して行われる霜月祭が「千と千尋の神隠し」のモチーフにもなった。民俗伝承は豊富だ。
下栗の里のように急な斜面に家や畑が点在する景観も独特だ。軒先に幣が掲げられ、あちこち石塔や石仏が見られる。浜松の真宗門徒には異国情緒あふれる土地に見えただろう。
そこにやってきた大規模事業だ。再建費用は3万6420両だから、用材の6割を供出した遠山谷への経済効果だけでもバカにならない。
過去においても大阪城の建設に用材を供出し、「大坂山」という地名が谷の中ほどの木沢地区に残っている。東本願寺の時には、先の梶谷に「本願寺山(ほーがんじやま)」という地名を残した。
プロフィール
宗像 充(むなかた・みつる)
ライター。1975年生まれ。大分県犬飼町出身、長野県大鹿村在住。高校、大学と山岳部で、大学時は沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。大学時代の山の仲間と出した登山報告集「きりぎりす」が、編集者の目に止まり、登山雑誌で仕事をもらいルポを書くようになる。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(旬報社)など。
『遠山奇談』を歩く
山奥に分け入った僧たちを待ち受けていたのは、山男や3mの大ヒキガエル、ウワバミといった怪物だった・・・。寛政10年(1798年)に刊行された紀行文『遠山奇談』をたどる。
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