台風襲来、雨中のビバーク。誰か助からない者が出るかもしれない・・・『41人の嵐』②

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三重短大の中村さんがフラフラして自力では歩けない。仲間が両側から抱えて登っている。靴下の上にビニール袋をはいただけの松岡さんは、ビニールが滑って何度もころんでいる。そのたびに心配そうに仲間が支えている。

中村さんがとうとう倒れてしまった。

「容子ちゃん。しっかり」

「容子ちゃんダメー」

「しっかりして容子ちゃん」

「容子ちゃん」

緊迫した声が、雨の山中に響き渡る。

少しは雨よけになる木の下に運び込んで、四人で手足胴体をマッサージする。顔は蒼白である。脈はなかなか捉えられないほどに弱々しい。頬をたたいたり、呼んだりしながらマッサージは続けられた。

他のメンバーは、とにかくできるだけたくさんの枝葉を集める作業に入った。下山できても木の枝を大量に折った咎(とが)はまぬがれないな、と思いながらもたくさんの枝を折った。雨は容赦なく降っており、目を開けていられないほどに濡れながら、みんなは黙々と枝を折り続けた。ナイフもナタも軍手さえなく、手がかじかんだり、木のはだが刺さって痛いと思っても作業をやめることはできない。体は少しずつ温まってきた。

少し太めの枝がいる。できれば径十センチは欲しいところだが、そうそううまく落ちてはいない。それでも山中を探し歩き、見つけてはずるずる引きずって運ぶ。葉の付いた枝はだいぶ集められたが、細木が足りない。だが中村さんの容態が思わしくない。時折、「容子ちゃん! しっかり!」「容子ちゃん! ダメー!」と緊迫した声が響いてくる。一刻も早く小屋を作らねばならない。

小屋といっても、ハイマツに毛の生えたようなものを作ろうというのだ。時間さえあったら、そして十分な用具と十分な材料があったら、しっかりした小屋が作れるだろうが、なにしろすべてない。折って集めたトウヒとシラビソの枝だけである。

適当な立ち木に細木を立てかけたり、斜面と窪地を利用して細木を立てたり渡したりして骨組みを作り、その上に折って集めた枝葉を載せる。横の隙間も、細木を適当な間隔で立てて枝葉で埋める。わりあい雨風はしのげる。

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プロフィール

桂木 優(かつらぎ・ゆう)

1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。

41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録

1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。

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