台風襲来、雨中のビバーク。誰か助からない者が出るかもしれない・・・『41人の嵐』②
小さな小屋が三つできた。最初にできたところに中村さんを運び込む。急いで作ったうえに高さが十分でなかったため、座ってはいられない。不幸中の幸いというか、寝ころがらなければ入っていられないために、彼女をあお向けに寝かせ、リーダーの二村さんとサブリーダーの出張さんが同じように寝ころんでもぐり込み、両側から彼女を温めてやることができた。マッサージも続けられていた。少しでも元気な仲間は、小屋の外から雨に濡れながら彼女の足をマッサージしている。「容子ちゃん元気イ」と声をかけると「元気ィ」と弱々しい返事がある。
さらに枝葉を集め隙間につめる。傘も使って、屋根にしたり壁にしたりする。雨は相変わらず降っている。
突然「容子ちゃん! ダメー!」「容子ちゃん! いやー!」「容子ちゃん! ダメー! くると! 向こうから入ってマッサージして!」と悲痛な声がした。他大学の人たちも駆けつけて来る。そして互いに顔を見合わせながら心配して立っていた。
「容子ちゃん! 容子ちゃん! しっかり!」
「容子ちゃん! 容子ちゃん!」
名前を呼びながらの懸命なマッサージが続けられた。マッサージしかする方法がない。リーダーの二村さんたちの涙ぐましいマッサージの甲斐あって中村さんは一命をとりとめた。
三重短大の女の子たちはあと二人ほど軽いケイレンを起こしだした。そのたびに、隣同士で名前を呼びながらのマッサージが繰り返された。マッサージしか術がないのだ。小屋番は血の気が失せるようだった。
一番元気な、くるとこと水本洋子さんがあっちへ回ったりこっちへもぐり込んだりして、みんなのマッサージ係のように奮闘していた。彼女の精神力と体力はすばらしかった。
まだまだ助かる。勝算は十分にある、と小屋番は気を取り直していた。
三つできた小屋には、一つは三重短大、もう一つには愛知学院大、残りの一つには新潟大と田中さん、轡田さんが入った。狭い空間に肩寄せ合って雨風をしのいだ。小屋の効あってか、寒さをさほど感じないようになった。
小屋番は三重短大の小屋にいた。そして作業中についに聞いてしまった言葉をかみしめていた。
「私、お姉さんを絶対許さない」
当然出てくるはずの言葉である。
小屋番は、広河原へ向けて出発するという三重短大に対して、両俣で台風をやり過ごしてみてはどうかと誘っている。その結果、着のみ着のままで雨の中に逃げ出すはめになってしまった。そのうえ、仲間の中村さんが倒れてしまった。しかも危険な状態だ。悔やんでも悔やみきれないことだろう。予定どおり広河原に行っていたのならこんな目に遭わなくて済んだのに、という思いが彼女の胸の中でいっぱいになっていたことだろう。両俣を出ていれば、こんな生死をかけるような目に遭うこともなかったのだ。お姉さんのあの一言がなかったら……。当然の思いである。
小屋番はその言葉を聞いた時、謝ることをあえてしなかった。今謝れば、今自分の非を認めてしまえば、苦しい状況なだけにおのおの張りつめている気持ちが緩んでしまい行動がとれなくなってしまうだろう。今は緊張を持続してもらうしかないのだ。謝る時は今ではない。助かる見込みがついて、みんなが安心した時にこそ謝ろうと決心した。その時まではみんなに、二十四人にどう思われようと平然としていなければならない。憎しみもまた人のエネルギーになるはずだから、と言い聞かせていた。今はとにかく体を休ませて温めなければならないと、そのことだけに集中した。
(書籍『ヤマケイ文庫 41人の嵐 台風10号と
両俣小屋全登山者生還の一記録』から抜粋)

ヤマケイ文庫 41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録
| 著 | 桂木 優 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 1,210円(税込) |
プロフィール
桂木 優(かつらぎ・ゆう)
1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。
41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録
1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。
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