南岳からめざす槍ヶ岳! 青空の下、槍を見ながら稜線歩きを満喫

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読者レポーターより登山レポをお届けします。真鍋晋さんは槍沢から天狗原(てんぐっぱら)、南岳(みなみだけ)を経由して稜線歩き、槍ヶ岳(やりがたけ)をめざしました。

文・写真=真鍋 晋


子どものころ、写真で見た槍ヶ岳のかっこよさに、すっかり魅了された。天をつくような、峻鋭な山容がどのようにして生まれたのか、その成り立ちを知り、ますます心を奪われた。太古の昔、氷河が四方を削り取り、ホルンと呼ばれる尖峰が残った。その結果、4つの弧を描く側壁が形成され、凱旋門から放射状に延びるパリの街道のように、槍へと導く4つの稜線ができあがったのである。

今回はそのうちの一つを歩くことを計画した。稜線上には、南岳、中岳(なかだけ)、大喰岳(おおばみだけ)、槍ヶ岳と4つの3000m峰が立ち並ぶ。槍ヶ岳をめざす、天空の稜線歩きである。

1日目:上高地バスターミナル~横尾~槍沢ロッヂ

朝から電車とバスを乗り継ぎ、上高地に到着した時には、すでに11時を過ぎていた。はやる気持ちに水を差すように、7月の大雨で通常ルートの梓川左岸が通行止めだった。右岸の迂回コースは、岳沢湿原を通過する。ここがなかなかの絶景であった。驚くほど透明度の高い水が、立ち木の中を流れる。冷涼な景観にしばし心を癒される。

岳沢湿原
岳沢湿原

初日の道のりは15kmとやや長いものの、登山道はよく整備され、勾配もほとんどない。上高地でカツカレーを食べ、徳澤園でソフトクリーム、横尾山荘でコーラを楽しみ、登山というより楽しい観光となった。

16時に宿泊地である槍沢ロッヂに到着。山小屋での食事とお風呂でしっかりと疲れを癒し、明日からの山行に備えた。

2日目:槍沢ロッヂ~天狗原~南岳小屋

2日目は槍沢を出発して、天狗原を経由し、横尾尾根を登って、南岳小屋へと向かう。通称“氷河公園コース”である。今日一日で、標高を一気に1,200m上げることになる。朝5時出発。槍沢では、氷河が削り取ったU字谷地形の底を歩くため、登山道には日陰が多い。1時間半ほどで天狗原分岐に到着すると、南岳方面に進路をとる。ここからは斜面をトラバースするため、強い日差しが降り注ぐ。

槍沢のU字谷
槍沢のU字谷

8時に天狗池に到着。ここは氷河が削りとった岩屑が堆積した、モレーンと呼ばれる地形で、周囲を高い崖に囲まれた、静寂な窪地になっている。ここで軽食と水分を補給し小休止をとる。幸い空は雲一つない快晴で、水面には“逆さ槍”が映えていた。

天狗池の逆さ槍
天狗池の逆さ槍

いよいよここからは、ハシゴあり、鎖場ありの急登である。危険な崖は多くはないが、真夏の強烈な日差しの下でのテント泊重装備は、とにかく体力を消耗した。山小屋から持参していた2.5Lの飲み水が頼りだった。

横尾尾根の急坂
横尾尾根の急坂

11時、へとへとになって南岳山頂に到着。そのまま南岳小屋に向かい、少し早めのランチをいただいた。テントを設営し、この後アタックザックの軽装で、大キレット方面に出向くつもりだったが、もう余力は残っていなかった。このころには周囲にガスが立ち込めていたため、午後はまったりとテント場で過ごすことにした。

南岳小屋
南岳小屋

夕飯には持参した軽食のほかに、16時まで提供してくれる小屋のおでんを食べ、缶ビールを楽しんだ。テント場ではずっと眺望が悪かったのだが、日没直前に突如、霧が晴れてきた。テント場に接した獅子鼻展望台まで出向くと、ついに大キレットが姿を現わした。うっすらと雲をまとったその雄姿は、あたかも魔物の潜む伝説の岩稜のようだった。

大キレット
大キレット
テント場の夕暮れ
テント場の夕暮れ

3日目:南岳小屋~槍ヶ岳~飛騨沢~新穂高温泉

3日目はいよいよ、今回の旅の目的、天空の稜線歩きである。暗いうちにテントを撤収、まだ肌寒い空気のなか、日の出とともに歩き始めた。足下を雲が流れていく。道端にはいろんな花が咲いている。平坦な道のりばかりではなく、中岳には、ハシゴや鎖場といった難所もある。夢のような稜線歩きは、2時間半に及んだ。

雲上の稜線歩き
雲上の稜線歩き
道端のイワギキョウ
道端のイワギキョウ

8時、槍ヶ岳山荘に到着。重い荷物をデポして、いざ山頂へ。見上げると、足のすくむような絶壁であるが、登り始めると足場や把持する岩がしっかりしている。最後の長いハシゴを登れば、いよいよ山頂である。頂上から見渡すと、ここが北アルプスの中心であることがよくわかる。今日歩いてきた南岳からの稜線も一望できた。しばし標高3000mの眺望を楽しんだあと、気を付けて山荘まで下山した。

槍ヶ岳山頂
槍ヶ岳山頂
南岳~槍ヶ岳の稜線
南岳~槍ヶ岳の稜線

旅のクライマックスはもう終わったが、まだまだ帰路は長い。飛騨沢方面を下ると、予期していなかった絶景が待っていた。美しいカール地形には、無数の花が咲き乱れ、まるでそこは夢に出てくるお花畑だった。新穂高までの復路はとにかく長い。おまけに大きな岩がゴロゴロしている。16時に新穂高に到着。この日は温泉宿でゆっくり疲れを癒した。

飛騨沢カール
飛騨沢カール

最終日の朝、宿の車で最寄りのバス停まで送ってもらった。ふと見上げると、ちょうど昨日の稜線が目に入った。昨日はあんなところを歩いていたのか。感慨にふけりつつ、旅路を終えた。

バス亭から眺める槍ヶ岳
バス停から眺める槍ヶ岳

(山行日程=2024年8月2~4日)

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数:2泊3日
コースタイム:【1日目】5時間15分
【2日目】4時間35分
【3日目】10時間
行程:【1日目】上高地バスターミナル・・・明神・・・徳沢・・・横尾・・・一ノ俣・・・槍沢ロッヂ
【2日目】槍沢ロッヂ・・・ババ平・・・水俣乗越分岐・・・天狗原・・・南岳小屋
【3日目】南岳小屋・・・南岳・・・槍ヶ岳・・・槍平小屋・・・穂高平小屋・・・新穂高温泉
総歩行距離:約36.3km
累積標高差:上り 約2,301m 下り 約2,712m
コース定数:71
真鍋 晋(読者レポーター)

真鍋 晋(読者レポーター)

普段は現役外科医、週末は登山・トレラン・ジョギング。じっと座っていることが、苦手な性分です。

この記事に登場する山

長野県 岐阜県 / 飛騨山脈南部

槍ヶ岳 標高 3,180m

 鋭角に天を突く岩峰でそのものずばりの命名、しかも北アルプス南部の登山道が集中する位置のよさ。槍ヶ岳は北アルプス南部の鎮である。  行政区分からいえば長野県の大町市、松本市と岐阜県高山市との境にそびえている山である。地理的条件も実に絶妙な場所といえる。  南から穂高連峰の縦走路、東から常念山脈や燕岳からの表銀座コース、谷筋では上高地から梓川、槍沢を遡っていく登山道、新穂高温泉から蒲田川右俣、飛騨沢を登るコースと、北アルプス南部のすべてのコースが槍ヶ岳に集中し、中央部へは西鎌尾根が唯一の回廊となって双六岳に通じる、北アルプス南部の扇の要である。  しかも鋭い槍の穂先のような姿は、日本の氷河地形の典型でもある。地質は硬いひん岩で、氷河が削り残した氷食尖峰。東西南北の鎌尾根も氷食地形、槍沢、飛騨沢、天上沢、千丈沢はU字谷とカールという、日本の氷河地形のサンプルぞろいである。  登山史上で初めて登頂したのは江戸時代の文政11年(1828)の播隆上人。4回登って3体の仏像を安置し、鉄鎖を懸けて信者の安全な登拝を可能にした。登路は安曇野の小倉村から鍋冠山を越えて大滝山へ登り、梓川に下って槍沢をつめている。今も残る槍沢の「坊主ノ岩小屋」は播隆が修業した籠り堂だ。  近代登山史の初登頂は明治11年(1879)の英人W・ガウランド。1891年には英人W・ウエストンも登っている。日本人では1902年の小島鳥水と岡野金次郎。穂高・槍の縦走は1909年の鵜殿正雄で、ここに槍ヶ岳の黎明が始まった。大正11年(1922)には3月に、慶応の槙有恒パーティによる積雪期の初登攀があり、同年7月7日には早稲田と学習院が北鎌尾根への初登攀に挑んでいる。早稲田は案内人なしの2人パーティで、槍ヶ岳頂上から独標往復。学習院は名案内人小林喜作とともに末端からと、方式も違う登攀でともに成功した。  その後も北鎌尾根ではドラマチックな登攀が行われ、昭和11年(1936)1月には、不世出の単独行者、加藤文太郎の遭難、昭和24年(1949)1月の松濤明、有元克己の壮絶な遭難が起きている。加藤の遺著『単独行』と松濤の手記『風雪のビヴァーク』は登山者必読の書である。  登山道で直接登るコースは、上高地から槍沢コース経由で槍ヶ岳(9時間30分)と、新穂高温泉から飛騨沢コース(8時間40分)の2本。ほかに穂高連峰からの縦走コース(7時間30分)、燕岳からの表銀座コース(8時間40分)、双六小屋から西鎌尾根コース(6時間)と数多い。

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