【書評】逡巡、決断、団結――気象遭難からの生還『41人の嵐』

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評者=高橋ユキ

断崖絶壁まで追いつめられる夢、殺し屋から追われ屋根から屋根を飛び移るなか、落ちそうになる夢……なぜか明け方に時折、絶体絶命の窮地に陥る夢を見ることがある。とはいえ、所詮は夢。目が覚めればその世界からは脱することができる。むくっと体を起こし、周囲を見まわして、寝室であることを確認し、ああよかった、とホッとする。

『41人の嵐』は、まるで自分が明け方に見る、そんな悪夢のような出来事が記された作品だった。現実に起こったことであるから、目覚めれば物語が終わるわけではなく、絶体絶命の窮地を自力で脱するしかない。夢よりも恐ろしい。

著者の桂木優(本名・星美知子)は、1978年から広河原ロッジで働き、80年には両俣小屋の小屋番になり、83年から同管理人となった。70代となった現在も現役の管理人として、両俣小屋を守り続けている。本書に記されているのは、星が小屋番になって2年目の82年夏の出来事だ。

全国での死者・行方不明者が95人という被害をもたらした大型台風10号は、若い登山者が集まった両俣小屋にも容赦なく襲いかかった。激しい雨風により小屋は土石に埋もれ崩壊寸前となる。電話はなく、すぐに助けを求めることもできない。学生の一人が持っていたトランシーバーが文字どおり命綱となった状態で、2年目の小屋番と登山者らがどのようにして生き延びたかが記録されている。

最も恐ろしかったのは、2度目の暴風雨だ。一同は当初、小屋の裏手を登り避難することで一命を取り留めた。雨風が去り、空に晴れ間も見える。誰もが台風一過だと思っていたなか、再び嵐がやってくるのである。悪い夢でもこんなことは起きないだろう。小屋がいよいよ潰れるという大ピンチのなか、小屋番は登山者らを率い、別の小屋へと向かうのである。どのようにピンチを脱したかは、ぜひ読んで確かめてほしい。

さて私が本書で最も驚いたのは、著者が、自身の判断ミスについても記しているところである。テントにいる学生らに対し著者は、小屋に避難するよう呼びかけながらも、なぜか社会人パーティーだけには声をかけなかった。そして後から彼らが小屋に避難してきてようやく「社会人パーティーはどうしても苦手なのだ」と理由を綴る。これは通常、明かしたくない内心であったことだろう。「台風を軽く考えていた。甘くみていた」など述懐するところもある。小屋に避難した登山者らと共に窮地を脱した成功譚として記録しているのではなく、当時の自らの判断ミスや失敗も、あますところなく正直に記そうと努めたその姿勢に、私はなによりも感銘を受けた。

巻末には学生たちによる手記も収録されている。著者の目を通じて記された出来事に、別の視点が加わることで、また見えるものがある。

41人の嵐

41人の嵐
台風10号と両俣小屋全登山者生還の㆒記録

桂木 優
発行 山と溪谷社
価格 1,210円(税込)
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桂木 優

1950年、福島県生まれ。71年ごろから登山を始め、78年からは、夏は広河原ロッジ、冬は八方尾根スキー場で働く。83年から現在に至るまで、南アルプスの両俣小屋管理人。

評者

高橋ユキ

1974年生まれ。フリーライター。刑事事件を中心とした裁判傍聴記を多数発表。著書に『つけびの村』(小学館文庫)などがある。

山と溪谷2024年9月号より転載)

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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