ジオでひも解く、上高地の176万年 前編 【山と溪谷5月号】
雑誌『山と溪谷』2025年5月号の特集は「聖地 上高地へ」。上高地は登山者だけでなく観光客にも美しい自然に感動できる日本屈指の景勝地です。岩稜連なる穂高岳の山並みと、ゆったりとした梓川の美しい流れ。このような上高地の地形はどのようにしてできたのか。前編では地質博士の原山智さんといっしょに、謎を解きながら名所を巡ります。
構成・文=小林千穂 写真=菅原孝司 監修=原山 智 イラスト=村林タカノブ
標高3000mを超える急峻な岩峰が立ち並ぶ名峰・穂高岳(ほたかだけ)。一方で、青く澄んだ水が涼やかに流れる梓川(あずさがわ)や、静かにたたずむ大正池(たいしょういけ)。上高地はこの対照的な地形がつくり出す、美しい景色が楽しめる場所だ。この絶景を生み出している地形はどのようにできたのだろうか。
その謎を解き明かしてくれるのは、理学博士の原山智(はらやま・さとる)さん。原山さんは、槍(やり)・穂高連峰や上高地を中心に、地形や地質を約50年にわたって研究してきた、北アルプス形成研究の第一人者だ。今回は、原山さんに案内していただきながら上高地周辺の名所を巡り、地形や地質の違いに注目しつつ上高地の成り立ちを探る。
1
穂高カルデラ誕生
穂高は火山だった?
私たちが最初に訪れたのは、穂高連峰を一望できる河かっぱ童橋近くのビュースポット。さあ、ここからどのようなジオ(大地)のストーリーが始まるのだろう。「梓川の奥に穂高岳の稜線・吊尾根がよく見えていますね。これから上高地のジオ・ストーリーを追いますが、まず、目の前の穂高岳を中心とする一帯で巨大な噴火が起こった、ということからお話ししましょう」
え、穂高岳で噴火? 火山といえば富士山や阿蘇山(あそさん)、上高地では焼岳(やけだけ)をイメージする。でも、穂高岳はいくつものピークが連なり、険しい岩壁に囲まれた山。見た目が火山と結びつかない。「それも当然かもしれません。噴火したのは今から176万年前で、その後の地殻変動や侵食で当時の地形はほぼ残っていません」
原山さんによると、このあたりで起こったのは富士山よりずっと規模が大きい巨大カルデラ噴火。噴出物を多量に噴き出し、大地が広範囲にわたって陥没するカルデラ地形ができた。穂高カルデラは南北に約 20㎞、東西に約6㎞で、槍ヶ岳の南側から中の湯の先までがその範囲。噴出物は関東や上越、近畿まで広がった。
それほどの大噴火が起こったという証拠は、梓川の河原に行くと見られるという。「河原の石は山からやってきますよね。だから、それを見れば上流の山のことがわかります」 なるほど。ということで、原山さんとともに梓川のほとりに下りた。河原に転がる石を観察する。表面をじっくり見ると黒っぽいもの、白っぽいもの、やや赤いものと、何種類かに分けられそうだ。その中から原山さんが取り上げたのは、やや青みがかった石。青灰色の中にごま塩のように白い結晶が散っている。「これが穂高の石。巨大噴火の証拠です」
この石は噴火でできた溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)。火山灰が高温、高圧で圧縮されて岩石となったものだ。ここで起きた噴火はカルデラをつくるほど巨大で、噴出物は火砕流となりカルデラ内にも分厚く堆積。熱い灰が一気に、そして大量に積もって、自らの熱と重さで溶結凝灰岩となった。つまり、溶結凝灰岩が見られるということは、この場所で超巨大噴火があった証拠になるのだ。「穂高岳の大部分はこの溶結凝灰岩です。噴火によって穂高岳の本体ができたのです。」
証拠❶ 火山岩発見
「穂高の石」溶結凝灰岩は、その名のとおり火山灰が一部溶けて結びつき、固まってできた岩石。というとあっさり聞こえるけれど、実際には、火山灰が溶結凝灰岩となるには莫大な圧力と高温が必要となる。圧縮されるほどの量の火山灰が降り積もり、一部が溶けるほどの高温だったということで、噴火の規模が非常に大きかったことがわかる。原山さんによれば、穂高カルデラ内に堆積した溶結凝灰岩の層は約1500mもの厚さに達するという。
2
超高速で隆起
標高をぐんぐん上げる
「巨大カルデラ噴火が起きたと言いましたが、それで穂高が3000mを超える高さになったわけでは ありません。実は、当時の穂高カルデラは、高く見積もっても標高1000mぐらいでした。それが、140万年ぐらい前から始まった地殻変動によって超高速で隆起し、高山へと変貌したのです。超高速で隆起ということがポイントなのですが、それがわかる場所があります」
私たちは梓川右岸の遊歩道を歩いて、ウェストン碑までやってきた。ウェストン碑は、近代登山を日本にもたらしたW・ウェストンの功績を讃えたもので、上高地の観光スポットの一つになっている。原山さんは、せせらぎを渡ってレリーフが埋め込まれている岩壁に近づく。
「苔や風化でわかりづらいのですが、この碑が埋め込まれている岩盤は、とても若い花崗岩でできています」
花崗岩というのは、マグマが地下3000mよりも深い場所でゆっくりと冷え固まってできた岩。花崗岩自体は日本各地で見られるが、多くは1億~6000万年前にできた古い時代のもの。だが、ウェストン碑の花崗岩は年代測定で150万年前と、とても新しいことがわかっている。これこそが新しい時代に、 激しく隆起したことの証拠だ。
「まず、マグマが冷えて固まるまでに約50万年かかります。さらに花崗岩ごと大地が上昇し、花崗岩の上部にあった地質が削り取られないと、花崗岩は地表に出ません。通常は年間2㎜が隆起速度の限界なので、出現まで150万年はかかります。この2点から200万年前より新しい花崗岩はない、といわれていました」
ところがここでは150万年前の新しい花崗岩がすでに目の前にある。さらに花崗岩はここより約1000m高い西穂の稜線にもあって、それはより若い80万年前のものだということがわかっている。
なぜそれだけ新しい花崗岩が露出しているかというと、穂高岳を含む一帯は、年間2㎜が上限という隆起スピードをはるかに上回る、年間5㎜の驚異的スピードで隆起したからだ。穂高岳はぐんぐん上昇、侵食され3000m超の標高になった。
証拠❷ 地下深くの岩が地上に
ウェストン碑が埋め込まれている岩盤は、滝谷花崗閃緑岩(たきだにかこうせんりょくがん)という花崗岩だ。滝谷花崗閃緑岩は世界一若い花崗岩であることが測定でわかっている。通常、花崗岩は地下深くでつくられ、地上に出るには隆起や侵食という過程が必要で、長い時間がかかる。若い花崗岩が地表で見られるということは、隆起と侵食が急に進んだ証拠になる。
花崗岩が地上に出るまで
地上の深いところでできる花崗岩
3
深いV字谷を形成
急峻な地形になる
私たちはウェストン碑から梓川沿いの遊歩道を下流へ向かって進み、穂高橋の近くまでやってきた。
上流を振り返ると、穂高岳の一峰である明神岳の岩壁がよく見える。
「険しい岩肌が出ています。これは、穂高の本体・溶結凝灰岩が侵食されてできた崖です。先ほど穂高岳は激しく隆起したとお話ししましたが、隆起すると同時に侵食も進みます」
穂高の岩である溶結凝灰岩は、高温・高圧で圧縮されてできているので非常に硬く、基本的には侵食されにくい。しかし、溶結凝灰岩は冷えて固まる過程で「節理」という鉛直方向の割れ目ができる。この節理に沿って岩が削り取られ、急峻な崖となる。穂高岳が険しい地形をしているのはこのためだ。そしてそのような場所は、谷も険しくなりやすい。
「北アルプスの黒部峡谷をご存じですか? 両側に数百メートルの岸壁がそびえる険しいV字谷です。実は上高地も、かつては黒部峡谷のように深くて険しいV字谷でした。その証拠は、今も上高地の地下深くに眠っています」
上高地がV字谷だったとは驚きだ。2008年から2009年にかけて、原山さん(信州大学山岳科学総合研究所)は大正池で、地下300mまでのボーリング調査を行なった。その結果、地下300~289mの地点に、古梓川の川床を示す丸い石の層を発見。それにより、かつては現地表から約300mも深いところに険しい谷が存在していたことが明らかになったのだ。
改めて穂高橋の近くから上流を見てみる。すると、川の左側(右岸)は穂高岳、右側(左岸)は霞沢岳の険しい岩壁が上高地に向かって落ち込んでいて、その間の平地を梓川が流れていることがわかる。 「そう、見えている両側の崖を自然に延長すれば、かつてここにあった深いV字谷の地形が想像できると思います。でも今の上高地は平らですよね。V字谷はどうなったのでしょうか? 次は、それがわかる場所へご案内しましょう」
証拠❸ 大正池の下に昔の河原の石
大正池で行なわれたボーリング調査により、現在の地表から300m下に古梓川が流れていたことがわかった。 300mの深さから掘り出されたのは、丸みを帯び、直径50cmものサイズの石。丸い石は河原の石であることを、大きなサイズは、それほどの石を運ぶ力がある急流であったことを示している。これにより、上高地が深いV字谷であることが証明された。ちなみに、289m ~114m地点までは、湖にたまった粘土や砂の堆積層が続いていた。
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焼岳火山群の噴火
堰き止めで巨大湖が出現
次にやってきたのは、大正池のほとり。風のない日は鏡のような湖面に焼岳や穂高連峰を映し、早朝は湖面に霧が立ち込める幻想的な光景が見られる。大正池は1915(大正4)年の焼岳の噴火活動によってできたことで知られる。噴出物を含む泥流が斜面を流れ下り、梓川の流れを堰き止めた。それによって水が溜まり、池が出現したのだ。「焼岳の噴火で大正池が造られましたが、過去にはもっとたいへんなことが起こったのです」
今から約1万2000年前、焼岳火山群に含まれる白谷山(しらたにやま)が噴火。ある時、山体崩壊を起こして、山の斜面が大規模に滑り落ちた。それによる土砂が、古梓川の深いV字谷を一気に埋めたのだ。
流路を完全に塞がれた古梓川は水をたたえるようになり、巨大な湖・古上高地湖(こかみこうちこ)ができた。仕組みとしては目の前にしている大正池と同じだが、古上高地湖は大正池とは比較にならないほど大きかったという。
「古上高地湖は、今の釜トンネルがあるあたりから、徳沢のあたりまで約10㎞、幅約2㎞も続いていました。最大深度は約400mで、貯水量は黒部ダムの約15倍にも及びます」
その湖は6000年にわたって水をたたえ続けた。その間に山から流れ出した土砂は湖の底に静かに堆積していった。V字谷は徐々に堆積層で埋められて、広大な湖の底は平らな面になっていったのだ。ちなみに、先に紹介した大正池のボーリング調査では、この堆積層も掘り出されている。そこに含まれる木片や花粉の分析結果から6000年にわたって湖が存在したことや、当時の植生など、貴重な発見が相次いだ。
現在、上高地を散策すると、大正池のあたりから、上高地バスターミナル、さらに上流の徳沢のあたりまで、細長く平坦地が続いていることがわかる。一帯は、かつて存在した湖の底だったのだ。
でも、現在は上高地に巨大湖はない。どこに消えたのだろう。
証拠❹ 10㎞も続く平坦地
大正池から徳沢まで、現在も約10㎞にわたって湖の堆積物が作った平坦地が続いている。その様子は、地形図や上空写真でもわかるけれど、実際に歩くと規模の大きさを感じられる。平らな地形がよくわかるのは田代湿原のあたり。湿原に行って、古上高地湖を想像しよう。
火山による巨大湖が平坦地を作った
平坦な様子がよくわかる田代湿原
5
現在の上高地の姿に
流れを変えた梓川
古上高地湖は満水になると、霞沢岳と安房(あぼう)山の間から流れ出し、今の梓川と同様、松本方面へ下っていた。それが 約6000年前、流出口が突如決壊。湖の水は、溜まっていた土砂とともに大洪水となって、一気に流出した。「決壊の原因は梓川沿いの境峠断層が引き起こした地震です。土石流は現在の松本市梓川梓から安曇野市豊科一帯まで及びました」
いきなり水を失った古上高地湖。あとに現地形である平地が出現したというわけだ。「ところで、ここで大事なことをひとつ付け加えましょう」と原山さんが切り出す。それは梓川の流れに関すること。現在川は上高地から中の湯で「く」の字状に折れ曲がって東の松本方面へ流れている。しかしかつては真逆、西の岐阜県側へ流れていた。私たちは最後に、その旧梓川流路をたどる。
焼岳南山腹の道なき道を進み、深いヤブをかき分けて奥へ入る。地形を知り尽くした原山さんの同行なしには行かれない。地質調査はこのように道がない場所でも行なうそうだ。
背を超えるヤブを漕ぎ、突然広い草原に出た。田代湿原に似た風景で、ミニ上高地といった雰囲気だ。「ここは細池(ほそいけ)といいます。梓川はこのあたりを通り、西へ向かっていました」
焼岳火山群が梓川を堰き止めたのは古上高地湖だけではなく、それ以前から繰り返す噴火のなかで何度も古梓川の谷を堰き止め、細池のような「ミニ上高地」を造っていた。今でも細池のほか、小舟(こぶね)、安房平などの窪地が残っている。西側にあるこれらの地形は、梓川がかつて岐阜県側へ流れていたことの証ともなる。
原山さんとたどった、上高地のジオ・ストーリー。巨大噴火に始まり、超スピード隆起、激しい侵食、巨大堰き止め湖とその決壊。美しい景色ができるまでには、想像を絶するダイナミックな出来事の積み重ねだった。大地は歴史のなかで、激しく姿を変える。この先もきっと変化していくだろう。私たちが目にしているのは、ほんのひとときの景色なのだ。
証拠❺ 点在する「ミニ上高地」
梓川がかつて岐阜県側へ流れていたことの証拠である細池、小舟、安房平の「ミニ上高地」地形。上高地の平地と同様に、焼岳火山群の噴火によって古梓川が堰き止められてできた。細池、小舟へは道がない。安房平は踏み跡を地図読みしつつたどれば湿原近くまで行けるが、道迷いとクマの出没に注意。
*細池は2025年3月末現在、焼岳火山活動による立ち入り規制区域内
上高地ジオ探検マップ
原山さんと見た証拠のうち❶、❷、❹は遊歩道を散策しながら、確認できる。河童橋から大正池までは、徒歩約1時間だ。のんびり歩きながらジオを体感してみよう。証拠❺は、3カ所とも国道158号(旧道)からは苦労なく窪地地形を見下ろせる。旧道をドライブしながら「ミニ上高地」を見るのがおすすめだ。
(『山と溪谷』2025年月5月号より転載)
この記事に登場する山
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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