南アルプス。赤石山脈の盟主、赤石岳へ【山と溪谷6月号】
山と溪谷社の月刊誌『山と溪谷』2025年6月号特集は、「決定版! 日本アルプス名コース100」。その中に収録されている南アルプス・赤石岳のルポを紹介します。赤石山脈の盟主・赤石岳は山深いところにあり、気軽に行ける場所ではありません。先人が築いた尾根道をたどり、赤石岳に登った先で見た絶景とは。
文=阿部 静 写真=金子雄爾
南アルプスといえば国内第2位の高峰である北岳(きただけ)から連なる白峰三山(しらねさんざん)や、甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)、鳳凰三山(ほうおうさんざん)などがメジャーな山だろう。アクセスのしやすさから人気があり、それぞれに魅力的な個性をもった山であるゆえ、多くの登山者に好まれている。
しかし、南アルプスという通称で親しまれている、これらの山々が連なった山脈は赤石山脈(あかいしさんみゃく)なのである。つまり、山脈名に由来する赤石岳こそ、この南アルプスの盟主といえる山だということだ。
赤石岳に登るにはいくつかのコースがあるが、山脈の奥にあるために、どれも行程が非常に長い。最も一般的なのは赤石岳の東尾根から登るコースだが、それにしても長い。畑薙第一(はななぎだいいち)ダムまでの峠道を車で登り、そこから先は一般車は進入できないので5時間ほど歩いて登山口へ向かうか、山小屋宿泊者専用のシャトルバスに乗るしか手段がない。できればシャトルバスを利用したいところだが、コロナ禍以降、避難小屋含め、すべての山小屋が予約制になり、宿泊定員も減らしているので予約するにも一苦労。そういった事情もあり、アクセス自体がなかなか困難なのである。盟主といえどもメジャーとは言い難く、私自身、いまだ足を踏み入れたことのない山域であった。
東尾根は「大倉尾根」(おおくらおね)とも呼ばれていて、この辺りの山林の持ち主である特種東海製紙(旧東海パルプ)の創業者、大倉喜八郎が赤石岳登山をする際に拓かれた登山道だ。当時、大倉は90歳で、もちろん自力登山ではない。輿(こし)に乗せられ山男たちのリレーによって山頂まで運ばれたという。しかも運び上げられたのは大倉だけではなく、大量の食材やビール、山頂で風呂に入るための水にも及んだという。それだけの物資を3000m峰のてっぺんまで担ぎ上げた山男たちはあっぱれであるし、自身の登山のためだけにこれだけ大それたことを実現させた大倉喜八郎の財力も相当のものであったことがうかがえる。
こうして私たちも氏の恩恵にあずかって大倉尾根からの赤石岳登山ができているわけだが、決してラクな道ではない。大倉尾根は標高差2000mを直登するコースで、急登が多くあるため、それなりに健脚でなければ山頂まで歩き通すことは難しい。幸い、尾根の途中に赤石小屋があるので、そこで区切って山小屋泊を一泊挟むことで難度を下げることができる。
今回私も赤石小屋に一泊したが、とても快適なものだった。管理人の高橋千亜紀さんをはじめ快活なスタッフのみなさんが迎えてくれて、温かくおいしい食事がいただけた。宿泊スタイルは1泊2食のほか素泊まりやテント泊も可能と、選択肢が複数あるのもありがたい。
翌日はガスがかかり、霧雨模様。
三六〇度の絶景が望めるという富士見平(ふじみだいら)の景色は霧のなか。根気強くガスが抜けるタイミングを待ち続けた末、ようやく目の前にそびえる赤石岳が姿を見せてくれたとき、その柔らかくも勇ましい山容が神々しく見えた。
その日は終日ガスで早々に到着した赤石岳山頂でも、やはり真っ白な景色だった。この山頂の魅力も三六〇度の大展望だと思うが、それは翌日の楽しみにとっておくことにして、山頂直下に立つ赤石岳避難小屋でまったりと過ごすことにした。
私が宿泊した日はあいにくの天気ではあったが、小さな避難小屋の中は満員で、私と同様に大倉尾根から登ってきた人や荒川三山(あらかわさんざん)を巡ってやってきた人など、さまざまだった。テーブルを囲んでコの字型に並んだベンチにぎゅうぎゅうに詰めて宿泊者みんなで座る。体が近寄れば心の距離も近くなり、誰も彼も和気あいあいと、今日まで歩いてきた山のことや、この先の旅の話に花が咲いた。
赤石岳避難小屋といえば名物管理人と呼ばれたお二人が知られていたが2022年に引退され、今は清水明さんが一人で切り盛りしている。清水さんは山男らしさを感じる気のいいお兄さんという雰囲気で、居心地よくアットホームな小屋の空気感を形作っていた。
小屋の中でのんびり過ごしながらも外の様子に気を配っていると、夕方になって変化が訪れた。山に纏っていたガスがひとところに集まり、それが滝雲となって尾根から谷底へと流れ落ちてゆく。
上空を覆っていた雲もうごめき、ついには夕焼けに染まった空がのぞいた。
赤石岳山頂という三六〇度見渡せる大劇場で、ドラマチックに変貌してゆく一幕をただ見つめながら、私たち観客は大きなため息とも歓声ともつかぬ言葉でその美しさからくる感情を共有し合っていた。
いつの間にかすっきりと晴れ渡った赤石岳大劇場の演目はその後も続いた。夜空には無数の星がちりばめられ、避難小屋の真上には天の川が架けられた。誰かがそれを見つけると、小屋の中で団らんを楽しんでいた私たちはみんなして保温着を着込んで表へと出て、その美しい一幕に立ち尽くす。
空が白みだし、星の瞬きが徐々に静まると、今度は山ぎわが赤く燃えはじめる。濃紺の空がだんだんと日の出色に浸食されてゆくさまと、そこへくっきりと浮かぶ富士山のシルエットがたいへん美しかった。
赤石岳山頂でのドラマチックな一部始終を見収めたあと、朝日を浴びながら来た道を戻る。後ろを振り返ってみると、そこには赤く染まった大きな赤石岳の姿。
赤石岳の名前は山中に点在する赤い石英石が由来だという説が有力ではあるが、赤石岳の山肌の石が朝日に染まって赤く見えるから、という説もあるらしい。朝日に染まる時間は一日のうちのわずかではあるが、この説を唱えた人は赤く染まった山の姿が焼きついて忘れられなかったのではないだろうか。堂々と赤く燃える赤石岳の姿を前に、私もそう思わずにはいられない。そして山頂で出会った真っ赤な空と、どこまでも見渡せる赤石山脈の山々の姿が今でも忘れられない。
(取材日=2024年9月9~11日)
赤石山脈の盟主、赤石岳をめざすモデルコース
大倉尾根~赤石岳(2泊3日)
椹島⇒赤石小屋⇒富士見平⇒赤石岳⇒赤石岳避難小屋⇒小赤石岳⇒富士見平⇒赤石小屋⇒椹島
大倉尾根ではシラビソやダケカンバからなる美しい樹林帯の森歩きが楽しめ、森を抜ければ赤石岳や荒川三山が目の前に迫る絶景の稜線が満喫できる。そしてこのコース最大の魅力は赤石岳山頂からの三六〇度の大パノラマ。赤石山脈の山々や富士山が望めるビューポイントだ。小赤石岳から見る荒川三山の眺めもすばらしい。途中の北沢源頭部のトラバース箇所では滑落事故が多発しているので足元に注意したい。また大倉尾根は険しい急登が続くため急坂歩きには慣れておきたい。コースタイムは辛口気味のため余裕をもって計画を立てるとよいだろう。
●参考コースタイム
1日目 計4時間35分 赤石小屋泊
2日目 計3時間10分 赤石岳避難小屋泊
3日目 計5時間50分
(山と溪谷2025年6月号より転載)
この記事に登場する山
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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