「山つきの米はうまい」。南アルプス山麓で田んぼをやる【前編】
米の値段の高騰が続いている。筆者は南アルプス内院、長野県大鹿村の標高1000mで田んぼをはじめて今年で9年目。遊休農地を田んぼに戻し、3km離れた水源から水を引く。新緑の時期に田植えをし、夏が過ぎると刈り取って稲架にかける。生活の一部に田んぼがある暮らしとはどんなものか。山小屋や執筆活動と並行して続けてきた秘境作家の、トライアンドエラーの米作りレポ。
文・写真=宗像 充 トップ写真=菅原孝司
「大鹿ミゾゴイ米」とは?
「山つきの米はうまい」と言われる。
うちのお米もとにかく甘くてうまい。大鹿村にはミゾゴイというゴイサギの仲間の鳥がやってくる。「ボー」という声を上げてクビを伸ばして木に擬態する。自然環境が豊かな沢筋などを住処としている。できるだけ昔ながらの米作りの仕方を踏襲し、無農薬でこの鳥がやってこられる生息環境を維持している。だから「大鹿ミゾゴイ米」という名前を米に付けた。
とれた米は友達に5kg2500円で売っていた。今年から5000円を付けても高いとは思われなくなる。近所では今年から田んぼを再開する人が出はじめた。
遊休農地を田んぼに戻す
20年来暮らした東京都国立市から、ぼくが大鹿村に引っ越してきたのは2016年のことだ。リニア中央新幹線が南アルプスにトンネルの穴を開けるというので、長野県側の現地の大鹿村に2012年に取材に入った。そこで出会った村の人と結婚して、2016年に村内の上蔵(わぞ)という集落に引っ越してきた。
空き家バンクで見つけた家屋敷には、家から少し離れた場所に田んぼもついていた。といっても当時は田んぼから畑になって何年か遊休農地のままだった。通常は、農家以外は農地を購入できない。そのため、家屋敷を売ってくれた地主さんと農地の部分だけ無料での利用契約を結んだ。
山間地のこの辺では明治時代に井水を引いて開墾した農地が元の林野に戻りつつある。隣町に出ていった地主さんからしたら、農地を維持してもらったほうが荒地にしておくよりいい。遊休農地が周囲に珍しくない山間地域のほうがきっかけも多く、田んぼを始めるハードルは高くないと思う。
連れ合いが村内の別の場所での田んぼの経験があったため、農具や経験も含めて彼女に頼る形で翌2017年から7畝(1反=10a=1000㎡の7/10)の田んぼを始めた。畑地に残ったビニールマルチをはがし、借りてきた小さな管理機(耕運機)で耕し、水路からパイプで水を引いた。なかなか水に浸からないなか、井水整備後に量の増えた水路から水が勢いよく出ると、やっと泥をこね田んぼになった。
井水整備から始まる田んぼづくり
田んぼは塩見岳の登山口、三伏峠へのアプローチの鳥倉山の麓から3kmのパイプで水を引いている。毎年5月の連休中に、この用水路組合のメンバーとともに、この黒の田井水の整備をして田んぼは始まる。
稲作のことを「田んぼをする」という。三里塚闘争に参画した社会活動家の前田俊彦は『百姓は米をつくらず田をつくる』(海鳥社)という著書で、米づくりが土づくりのみならず、周辺の環境や文化を一体として維持する営みであることに触れている。
この明治時代に掘削された井水は、萱場やもっと前は牧場として利用されていた、村の共有地と集落をつなぐ、黒の田街道沿いに水を引いていた。全長3kmの大鹿村最長の井水の整備をすることで、ぼくは「田をつくる」という意味が体で理解できた。
引っ越してきたとき、ぼくの暮らす上蔵(わぞ)集落は30軒があり、以前はほぼすべての家がこの井水にかかわっていたという。ぼくが組合に入れてもらったときには7軒になっていて、田んぼをしているのはうちも入れてそのうち3軒だけ。みんな60~70代だった。
ゴールデンウィーク中の一日、朝8時に集合して軽トラに乗り合わせて、30分林道を上がって沢のそばで車を止める。50mほど山道を下ると井水の取水口があり、石で流れを仕切って作ったプールから水を引く。取水口はさらに15分ほど沢沿いに下った先にももう一カ所あり、そこにも桝があってタンクに流入する水量を確保している。泥で埋まった桝を7人で手分けしてさらい、石を積みなおすと水がパイプに流れ込む。
すると別動隊が作られて黒の田街道をパイプ沿いに下って漏水がないかチェックする。漏水があると、堆肥袋を巻きつけ針金をシノで止めて応急処置をする。
広葉樹の新緑が美しい季節、初めてこの街道を下った。斜面に巧みにつけられた山道をトラバースして標高を下げていった。途中に組合の東屋や、道端に馬頭観音があり、その風情に魅了された。井水を維持することはこの街道もまた維持することであり、それは山と里をつないできたこの村の人々の歴史を受け継ぐことだった。
一年間の田んぼの流れ
田んぼに水を張るとこの辺だと、次は5月の後半に田植えをする。
うちの場合、水と泥をなじませてならす代かきと、収穫後の脱穀については謝礼を払って、近所の人の手とトラクターと脱穀機の力に頼っている。田んぼの周囲を畔波板で覆う作業、田植え、虫祓い、草取り、周囲の草刈り、稲刈り、稲架かけ、それに水の管理がもっぱら手作業になる。無農薬でやっているけど、除草剤を使えばもっと楽にできるだろう。こまごまとした田んぼに必要な道具は連れ合いが持っていた。
例えば、稲刈りの前に、水を落とした田んぼに稲を差すための線を引くのだって、1年に1度しか使わないとはいえ道具がある。除草作業には手押し式の田車を使う。田んぼの周囲の斜面の草刈りは草刈り機を買って使った。
全部が全部機械にすれば効率がいいわけでもなく、要は自分たちの力量や田んぼの広さに応じた作業行程を、機械も含めて選べばいいのだと今はわかる。だけど始めたころは、伸びていく稲の成長に追われるように言われるがまま、毎日新しいことをしていった。
梅雨の時期になると、泥負いという害虫が発生し稲の養分を吸ってしまう。クルミの葉っぱを切って払うと落ちる。その間にも草は生えてくるので、田車を使ったり手で取ったりしているうちに稲が分結し、ここで一度だけ化学肥料を入れると稲がグンと成長する。
盛夏を過ぎると稲穂が出てくる。そうすると田んぼには入れないので作業も一段落し、9月の後半には稲を刈る。鎌で稲を刈る作業は2人では何日もかかった。稲架を調達してきて稲をかけ、3週間ほどしたら農協で水分量を測ってもらい脱穀。10月の半ばにようやく新米が食べられる。この後冬の間に管理機で堆肥を機械にすき込むと、だいたい一年間の田んぼが終了する。
苗を育てるのだって、最初の年は農協から買ったものの、2年目からは彼女の実家のビニールハウスで種もみから育てた。1年目は豊作で、30kg袋で籾が10袋以上とれた。こんなんでうまい米が食べられるなら、やめる理由はない。そんな虫のいい田んぼの状況が一変したのは、引っ越してきて4年目のことだった。
プロフィール
宗像 充(むなかた・みつる)
むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。
山に登る、米を作る
日本の農業の根幹をなし、主食として欠かすことのできない米。令和の米騒動をきっかけに、あらためて自分で米を作ろうという気運が高まっている。登山のかたわら稲作に取り組む人たちの奮闘ぶりを紹介しよう。
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