山と米と私【前編】 おむすびに願うこと

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山での行動食を聞かれたら、「もっぱら、おむすび」と答えている矢口拓さん。信州登山案内人として活躍し、また、年間を通して北アルプス北部遭難防止対策協会の救助隊員として、さらに夏の50日間は稜線で長野県北アルプス遭難防止常駐隊員として、救助や遭難防止活動にも従事している。山で活躍する彼のもう一つの姿は安曇野の米農家。生活の一部に山と田んぼがある矢口さんの米への思いとは。

文・写真=矢口 拓

救助活動の力の源は、米。

救助活動などは一般の登山に比べて消耗が激しく、長時間行動も辞さない。動き続けるための力の源について、「なにを食べて動いているのですか」と問われる。私や周囲は、「米」一択だ。むろん懐古主義ではなく、他のものも食べる。最新のギアも使えば、アミノ酸も携行する。しかし、なにをさておき主役は米である。ご飯を食べなければ動き続けられない、ということを体感している。

仕事で山に行くことばかりになり、個人山行はめっきり減ってしまったのだが、以前は生米とメスティンを携行して、テント場で炊飯しては、炊き具合に一喜一憂していたことが懐かしい。米への信頼は、その頃も今も変わりはない。  

炊き立てでつやつやと輝くごはん
力の源は米。炊きたてでつやつやと輝くご飯

山男には米と日本酒が欠かせない

家族と暮らす長野県から、県境を越えて富山県へも通う。阿曽原温泉小屋(あぞはらおんせんごや)に集う「チーム阿曽原」と呼ばれる面々と、登山道整備や浮き石の処理などの山仕事にも従事する。言ってみれば「山のなんでも屋」なのだが、冗談交じりに「山岳土木技師」などという、新たな職種だと言ってみたりもする。

ロープで確保しながら急斜面の整備
ロープで確保しながら急斜面の整備
北葛岳の道標を歩荷する筆者
北葛岳(きたくずだけ)の道標を歩荷する筆者

「チーム阿曽原」は、山の職人集団だ。ザイルで斜面にへばりついての道の工作や石落とし作業など、山ならではのミッションをこなす。そんなメンバーもやはり、活力源は「米」と声をそろえるが、それに加えて「酒」という。日本酒も米から作られるのだから、同じ土俵なのだ。

私の周囲には、夏は山の仕事に従事し、冬は酒蔵で日本酒作りに取り組むという人が少なくない。その酒は、山の伏流水で仕込むのだから、そこでも山と酒、米の縁を感じる。

稲作が山のトレーニング

私は里では農家として稲作に取り組み、自ら育てた米を食べて、山で活動している。米に限っては、自給自足を自負している。

登山のためになにかトレーニングをしているか、と聞かれることも多い。思い返してみても、特別な運動はしていない。強いて言えば、農家の仕事は山よりつらく、ある意味では心身のトレーニングとなっている。

水田の草刈りひとつとっても、年間に4~5回、畦の草を刈りながら歩くのだが、計ってみると1回につき合計で100kmほどを歩く。年間に400~500kmになる計算だ。

水田の草刈り
草刈りは1回につき合計100キロ歩く

また、肥料の散布では、あえて大型機械を使わずに、10kgほどの散粒機に20~30kgの粒剤を入れて合計40kgほどになるものを背負い、計3tほどを撒き続ける。さらに、山の仕事と里での農作業を両立するため、稜線と水田を何度となく行き来する。歩いて、背負っての作業は、まさに登山のトレーニングだ。されど苦ではなく、むしろ楽しく自身を鼓舞している。そこもまた、登山に通じるところであろう。里の百姓仕事で鍛え、山で成果を発揮する。百姓仕事で出来上がった米を山で食して活動する。私のなかで「山」と「米」は、強くつながっているのだ。

稲を見守る筆者
稲を見守る筆者

渦中の米と筆者の願い

そんな米が今、渦中にある。店頭価格が急上昇し、「令和の米騒動」と報じられたが、農家としては青天の霹靂だ。農家の収入は店頭価格のように上昇していない。「さぞ儲けたのでしょう」などという言葉も受けたが、寂しい限り。手持ちの米は、価格据え置きですべて譲ったが、知人友人からの問い合わせは後を絶たない。悲しいが、秋の収穫まではお手上げだ。山では「米」がなければ働けぬ。だけれども、今は「米」がない。米不足の原因を、あれやこれやと分析しても、真実は見えてこない。毛頭、知るすべもない。

「おむすび」の名や形の由来は諸説あるらしいが、人と人とつなぐ縁を願い「結び」と言い、神の宿る山の形にして祈りを込めたという。私が今、山につながる神聖な「おむすび」に込めるのは、価格上昇の原因追及などではなく、「適正な価格で米を腹いっぱい食べてほしい」という、農家からのささやかな願いだ。私にできることは今日もまた、米を食って、山でも里でも、汗をかき続けることだけだろう。

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