山と米と私【後編】 足りない米と人
米高騰が続く一方、農家には値上げ分が還元されない異常な状況が続く。そんななかでも「適正な価格で米を腹いっぱい食べてほしい」と願う矢口拓さん。新聞記者、登山案内人、救助隊員、米農家という異色のキャリアを持つ筆者が、新たな視点から山と米のダブルワークの未来を考える。
文・写真=矢口 拓
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美しい田園風景は人の手によって守られる
私の暮らす北の安曇野、長野県北安曇郡池田町(きたあづみぐんいけだまち)は、山麓に広がる田園と眼前の北アルプスを一望できる絶景の町。私が耕作している水田からは、表銀座(おもてぎんざ)から後立山(うしろたてやま)連峰、白馬(はくば・しろうま)三山まで見渡せる。私たちにとっては農作業の合間、なにげなく目に飛び込んでくる日常の景色だが、山好きにとっては最高のごちそうだろう。
幼いころからいつも、高台の自宅から田園を抜けて学校へと続く通学路の正面に北アルプスがそびえていた。春には山々が早苗の並ぶ水鏡に映り、夏には緑に茂った稲が一面を覆い、朝の一瞬だけ北アルプスが顔をのぞかせ、あっという間に雲に包まれる。秋には黄金色の稲穂の向こうに遠く北アルプスが連なる。冬は真っ白な景色に山々の陰影が鋭く浮き上がる。そんな景色を毎日、登校しながら見ていた。
そんな、当たり前だと思っていた景色だが、存続が危ぶまれる状況となっている。農業の担い手がいないのだ。水田が荒廃すれば、北アルプスと対をなす田園風景は保てない。そして、米不足へもつながる。それは、令和の米騒動でも課題が表面化した。ただ、幸いに私たちの町からは今のところ、昔と変わらぬ景色が眺められている。
新聞記者から登山案内人、米農家へ
10年ほど前、ローカル新聞社の記者から一転して就農し、同時に山では登山案内人と救助隊員を務めるようになり、二足ならぬ三足、四足のわらじを履き始めた。周囲で離農が始まり、空いてしまった水田を引き受けた。信念などもつ暇もなく、気がついたら農家になっていた、というくらい、あっという間の10年だったが、北アルプスと水田がある風景は残したい、という思いはあった。
今では、ほぼ一人で6ha以上を耕作している。これは、野球場6個分以上の広さだ。それとは別に農業法人を立ち上げて共同で約20haを管理している。田植え機や収穫に使うコンバインなど大型農機具も購入し、機械作業も受託し、なんとか景色も米作りも守っている。しかし、人手も担い手も足りないまま、次の世代へ引き継ぐ道筋は立っていない。
人手不足と新たな農業へのチャレンジ
北アルプスの遠望は美しいままなのだが、一歩懐に入ると荒れつつある。各所で崩落などがあり、以前のように登山道が維持できないところも多く見られる。地質的な原因もあるが、整備を担う山小屋で働き手が減っているという。労働力の問題は、農業や山に限ったことではない。あらゆる業界で今後、深刻化するとの予測だ。「米が足りない」と騒ぎが広がっているが、あらゆるところで、人も足りていない。
とはいえ手をこまねいているばかりではない。ガイド業の傍ら登山道整備に従事できる仕組み作りや、観光的な要素を取り入れた民泊と農業をつなげた活動などが周囲で動き出している。私のような山と水田との「二足のわらじ生活」も問題解決の糸口にならないものか、とも考えている。山を通じた移住者も増えている。山と溪谷オンラインに登場する方々が、近隣在住だったりして驚く。今後は農業や山の担い手が引っ越してこないものかと、期待もしている。
また、昨今は「スマート農業」という言葉も聞く。新たな農業機械による効率化をめざすもので、私も今季は直播による水稲を実験中だ。従来の方法だと苗を育ててから移植するため、重い苗箱を運ぶのが重労働で、人手も必要となるが、新たな取り組みは、ドローンで水田へ直接、種をまいて育てる。課題もあるが、歩みださないと始まらない、と考え、挑戦を始めた。さらに、乗用の直播農機具も導入する予定だ。
感動の6K
「農業」といえば3K、「きつい」「きたない」「給料が低い」と言われてきたが、最近は機械化も進み、負の「K」は薄れているように思う。ましてや山麓で営んでいると、山と同じ、「きれいな」「景色」「空気」「感動」と、新たな「K」が見えてくる。さらに山ヤの私は、おむすびを持って「空腹知らず」の「K」もある。また、北アルプス裏銀座の七倉山荘(ななくらさんそう)や晴嵐荘(せいらんそう)など山小屋の食事で私の米が提供されているのだが、「おいしい。ありがとう」との声を聞くと、喜びもひとしおだ。そこでは「感謝」の「K」がいただける。
やっぱり米がいちばん
先日、夏山シーズンの到来を告げる「針ノ木慎太郎祭」が開かれ、スタッフとして参じた。日本三大雪渓のひとつ、針ノ木(はりのき)雪渓で、新緑のなか山の雪が解け、清冽な水が流れ下る様を見て思った。山からの伏流水が里に届き、水田を潤し、そして米が実る。山と米は深くつながっている、と。世代も、景色も「おむすび」に込められた「縁を結ぶ」という思いに結実してほしい、と願いつつ、今日も山の飯は「米」だ。
山に登る、米を作る
日本の農業の根幹をなし、主食として欠かすことのできない米。令和の米騒動をきっかけに、あらためて自分で米を作ろうという気運が高まっている。登山のかたわら稲作に取り組む人たちの奮闘ぶりを紹介しよう。
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