狐と爺ちゃんの戦いの結末は【山怪】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。べストセラー山怪シリーズの新刊『山怪 青 山人が語る不思議な話』が7月1日より好評発売中。本書より一部抜粋して紹介します。

文=田中康弘

狐vs爺ちゃん

島根県最西部の山間地で広島県との境に位置するのが旧匹見町(現益田市匹見地区)だ。昭和38年のいわゆるサンパチ豪雪では、4メートル以上の雪に埋もれ孤立している。そんな匹見でも飛び切り山奥にあった父方の実家が大好きだった渡邉さんの話。

「子供の頃は夏休みが待ち遠しかったですねえ。毎年祖父の所に行って遊ぶんですが、楽しくて」

子供にとって山里は最高の遊び場なのだ。一日中たっぷりと野山を駆け回った夜のことである。従弟や兄弟と気持ち良い縁側に座って涼んでいると誰かが声を上げた。

「あれ? あれは何やろ」

彼が指差したの向かいの山だった。そこには蒼い光が見える。それも二つ。

「おい、ありゃ火の玉じゃねーんか」

山の稜線付近を左から右へと移動する火の玉に子供たちは大騒ぎである。それを聞きつけた祖父がやって来た。

「どげした?」

「あそこに火の玉が出たんだわ」

「火の玉?」

祖父はしばらく稜線に目を向けると言った。

「はあ、あれは火の玉じゃないわね。狐の尻尾に火が着いとるんだわな」

「尻尾に火が着くの?」

「尻尾の中で燐(りん)が燃えて見えちょる」

火が着いたら狐は焼け死ぬのではないかと子供心に心配したが、その光は戯れるように動いていた。それを見た祖父は夫婦の狐だと断言したそうである。これは40年ほど前の出来事だ。

渡邉さんのお父さんが子供の頃は、今と違い冬は寒く雪も多かった。そんな冬の朝、祖父と一緒に畑の見回りに出かけると、田んぼで枯れた竹を手に格闘する人がいる。見れば近所の爺ちゃんだった。彼は手にした竹を田んぼの畔に何度も何度も突き刺しているではないか。あまりにも意味不明な行動を見て祖父は声をかけた。

「どげした? なにしちょーかや」

「ああ、畔に狐が巣穴開けて悪戯しちょーだわ。そげだから殺そう思うちょう」

爺ちゃんは振り向きもせず一心不乱に竹を突き刺し続けている。妙なことをするもんだなと思いながらその場を離れた。

その夜のことである。玄関先が騒がしく、祖父が戸を開けると近所の婆ちゃんが血相変えて飛び込んできたところだった。

「うちの爺ちゃん知らんかや」

爺ちゃんとは田んぼで竹を突き刺していたあの爺ちゃんである。

「爺ちゃんがどけしたかや? えっ帰らん? まだ帰っちょらんか」

時計を見ると九時近い。外は真っ暗で雪が深々と降っている。これは命に係わる一大事だ。そこで近所の男たちが集まり捜索隊を編成するが、祖父は真っ先に田んぼへと向かう。昼間の姿がどうにも気になったからである。真っ暗な田んぼを捜すと白い塊が動いていた。爺ちゃんである。爺ちゃんは降りしきる雪の中で昼間と同じように竹を突き刺していたのだ。

「まぁだやっちょったかや! 爺ちゃん何しちょーかや、もう夜だでぇ」

「死んじょらん、狐がまぁだ死んじょらん。狐が死んじょらん、死んじょらん」

うわ言のように繰り返す爺ちゃんをその場から引き離そうとしたが、頑として動こうとしないのだ。長時間雪の中にいたせいで爺ちゃんの体は冷え切っている。嫌がる爺ちゃんを何とかその場から引きはがすと家へと連れ帰ったが、それから高熱を出して寝込んでしまった。

「狐が、狐が来ちょる、狐が来ちょるで」

布団の中で何度も呟く。家族が気になって家の外を確かめたが、静かに雪が降り積もるだけである。

「爺ちゃん、なんも来ちょらせんわね。狐はおらん」

「いいや、狐が来ちょる、狐が来ちょるけぇ」

高熱でうんうん唸りながら狐に怯える爺ちゃんの姿に、家族はもう助からないのではないかと思った。

翌朝、爺ちゃんの熱は下がり状態は落ち着いた。安心した家族が雨戸を開けて外を見るとすっかり晴れて青空が広がっている。そして庭一面に無数の足跡が付いているではないか。

「何だこりゃあ?」

「狐でないかや。やっぱり狐が来ちょったんだわ」

足跡の状況からして一、二匹とは考えられない。たくさんの狐が家の周りに来ていたとしか思えなかったのである。爺ちゃんの体調は持ち直したが、結局顔の右半分が引きつってしまい、それは生涯治らなかった。

これについて、渡邉さんのお父さんは狐を殺そうとしたから仲間たちが仕返しをしたのではないかと考えている。単に追っ払うだけなら問題は無かったのかも知れない。

(本記事は、『山怪 青』を一部抜粋したものです。)

山怪 青 山人が語る不思議な話

山怪 青 山人が語る不思議な話

田中康弘
発行 山と溪谷社
価格 1,650円(税込)
Amazonで見る
楽天で見る

プロフィール

田中康弘(たなか・やすひろ)

1959年、長崎県佐世保市生まれ。礼文島から西表島までの日本全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。農林水産業の現場、特にマタギ等の狩猟に関する取材多数。著作に、『シカ・イノシシ利用大全』(農文協)、『ニッポンの肉食 マタギから食肉処理施設まで』(筑摩書房)、『山怪 山人が語る不思議な話』シリーズ『鍛冶屋炎の仕事』『完本 マタギ 矛盾なき労働と食文化』(山と溪谷社)などがある。

山怪シリーズ

現代の遠野物語として話題になった「山怪」シリーズ。 秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、山で働き暮らす人びとから実話として聞いた、山の奇妙で怖ろしい体験談。

編集部おすすめ記事