心満たされる、北八ヶ岳の森を歩く【山と溪谷8月号】
山と溪谷社の月刊誌『山と溪谷』2025年8月号の特集は、「癒やしと冒険の八ヶ岳案内」。そのなかから、風にそよぐ草原や、森に広がる苔など魅力あふれる北八ヶ岳の1泊2日の山行ルポを紹介。リラックスできる様子が伝わります。雑誌では八ヶ岳の情報を一度に見られるので、お手に取ってご覧ください。
文=渡邊もも(山と溪谷編集部) 写真=矢島慎一
ゴンドラの窓の向こうに蓼科山(たてしなやま)が姿を現わすと、乗客たちがわあっと歓声を上げる。ロープウェイはぐんぐんと標高を上げていき、あっという間に終点の坪庭(つぼにわ)駅が見えてきた。
朝のひんやりした空気と太陽に温められた空気が混ざり始めたころ、北横岳(きたよこだけ)山頂に到着した。まず目についたのは蓼科山。諏訪富士(すわふじ)と呼ばれるだけあって、きれいな円錐形をしていた。ロープウェイ坪庭駅からわずか1時間半程度でこの絶景を味わえる手軽さも、北横岳の魅力だ。
来た道を戻り、坪庭の溶岩台地を抜けると、木道が続く草原に出た。四方を山に囲まれたのどかな平地で、鳥の鳴き声が聞こえてきそうだ。しかし、いくら耳を澄ませても、聞こえてくるのは草木を揺らす乾いた風の音だけだった。鳥たちは夏のあいだに子育てを終え、別の地域へ移動してしまったのだろう。この時季の北八ヶ岳は静かで少し寂しかった。
草原をしばらく進むと、縞枯山荘(しまがれさんそう)の青い三角屋根が見えてきた。草原に山小屋がポツンとたたずむ景色は童話に登場しそうだった。
雨池峠(あまいけとうげ)の急坂を越え、縞枯山展望台で休憩する。眺めのよい岩に立ち、周囲の山と市街地を見下ろした。下から吹き上がってくる風は冷たく、火照った体にちょうどよかった。
茶臼山(ちゃうすやま)に向かう途中、立ち枯れたシラビソ林に遭遇した。縞枯現象だ。枯れた木々は葉を落とし、倒れているものもある。一方で、高さ2m程度の若い木々が育っていた。この現象が引き起こされる原因は未解明な点が多いらしい。
茶臼山を越えると辺りは少し暗くなり、薄い霧に包まれた。ここは苔の森だった。苔は木々のあいだの平らな場所や地面に転がる石、しっとり濡れた倒木を好んで生えている。呼吸をするたびに、湿った重たい空気が鼻腔を通り、土と木の匂いが胸に広がっていった。麦草峠(むぎくさとうげ)に着くと、小雨が降りだした。なまぬるい風が吹き、野草園の草花たちを揺らしている。今夜は嵐になるかもしれない。
白駒(しらこま)の奥庭(おくにわ)から続く木道を進むと、大きな湖が現われた。大学時代に訪れて以来、約7年ぶりの白駒池だ。ここにも風が吹いていて、あおられた波が岸辺に打ち寄せていた。本格的に降られる前に白駒荘に到着した。
雨はその直後に強まり、白駒池の水面を容赦なく叩きつけていた。外は雷が鳴っていたので池の散策は諦めて、ゆっくりお風呂で疲れを癒やすことにした。
白駒荘の夕食は自家農園で育てた何種類もの野菜をふんだんに使ったメニュー。消灯までの時間、館内のいたるところで楽しげな会話が聞こえてきた。ひと仕事終えて、おしゃべりに花を咲かせる従業員の女性たち。親子3世代で宿泊している仲良し家族。私も友達を連れてきたくなった。大部屋の外に出ると、階段に座ってスマホをいじる青年と目が合った。彼は台湾から一人旅で来たという。白駒池はSNS で知ったと言い、誇らしげにスマホで撮った白駒池と苔の写真を見せてくれた。
朝起きると、雨はすっかり上がっていた。後日、カメラマンの矢島さんから送られてきた撮影データには、朝日を浴びてオレンジ色に輝く白駒池の写真があった。私も早起きすればよかったなあ……。朝食を食べ終えてから出発まで時間があったので、名物のほおずきのレアチーズケーキをいただき、エネルギー満タンで山荘を出発した。
苔やキノコがあちこちに生えている森を抜け、木の根が張る急坂を上がりきり、にゅうに到着した。思わず口に出したくなるようなかわいらしい地名とは対照的に、大きな岩がごろごろと転がる険しい場所だ。遠くに見える富士山には真っ白な笠雲がかかっていた。両手の親指と人差し指で三角形を作り、笠の部分に重ね合わせてみた。
にゅうから黒百合平に向かう道は、針葉樹の森を通過する。樹皮にはサルオガセや苔が付いていて、森の至る所にキノコが生えていた。つい立ち止まり写真撮影に夢中になる。コースタイムから少し足が出てしまったが、昼頃には黒百合(くろゆり)ヒュッテに到着した。小屋の玄関にはクロユリをデザインしたステンドグラスが飾られている。さあ、お待ちかねのランチタイムだ。メニューはどれもおいしそうで、なにを食べようか迷ってしまう。小屋の名物はビーフシチューだと教えてもらい、早速注文した。大きな窓があるスペースに腰を下ろし、熱々のビーフシチューを頰張る。
おなかの底から足先まで、体中がじんわり温まる。山小屋で食べるごはんはやっぱり特別で、どんな料理もおいしく感じる。山の魔法がかけられているのかもしれない。ぺろりと平らげて、これまた特別なコーヒーを飲む。ふわっと顔にかかる香ばしい匂いと、口に広がるおいしい苦みが疲れた体に元気をくれた。靴ひもを締め直し、下山口である渋ノ湯(しぶのゆ)に向けて出発。下山後、無事に歩き終えた喜びを胸いっぱいに抱えて渋御殿湯(しぶごてんゆ)の温泉に浸かった。
苔をめで、美食を味わい、温泉で温まる。心満たされる最高の登山だった。
(山行日程=2024年9月18~19日)
苔とグルメ、温泉を楽しもう!
本コースでは、北八ヶ岳の代名詞である苔や縞枯現象と、南八ヶ岳などを見渡せる展望スポットを1泊2日で巡る。
出発地点の坪庭から約1時間半で北横岳北峰に到着し、蓼科山や南八ヶ岳などを見渡せる。坪庭に戻り、木道が続く八丁平を雨池峠方面に進む。雨池峠からの急斜面を登りきると、周囲を針葉樹に覆われた縞枯山山頂に到着する。少し先の縞枯山展望台からは南八ヶ岳や南アルプスを眺められる。茶臼山山頂も展望がないので、茶臼山展望台まで足を延ばして景色を楽しもう。
白駒池からにゅうまでは大きな岩が転がる道を登る。中山峠までは針樹で構成された深い森のなかを歩いていく。霧が出ていると幻想的な雰囲気だ。
MAP&DATA
(山と溪谷2025年8月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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