北アルプスの古道 一ノ俣谷を歩く【山と溪谷10月号】
発売中の『山と溪谷』10月号では、昭和初期に開かれて今はほとんど歩かれていない北アルプスの古道、「一ノ俣谷」(いちのまただに)について掲載されています。横尾山荘の4代目主人の山田耕太郎さんによる、一ノ俣谷を登り、二ノ俣谷を下ったルポを紹介します。
文=山田耕太郎 写真=高橋郁子
一ノ俣谷出合で歩きなれた槍沢の道に別れを告げ、ヤブこぎが始まる。沢を左岸へ右岸へと行き来しながら進み、一ノ俣谷の奥へと足を踏み入れていった。
一の俣小屋。横尾山荘の前身であるこの小屋の存在を認識したのは、松本に帰郷し、横尾山荘で働き始めた2016年だった。祖父の宏吉にはたびたび横尾へ連れて行ってもらったが、一の俣小屋についての話を聞いた記憶はあまりない。ただ、松本から常念岳(じょうねんだけ)がきれいに見えるたびに「今日もよく見えるな」と、ある種、思慕を寄せるように口にしていたのをよく覚えている。その根底にある想いについて知ったのは、父の直と一緒に働くなかで、曽祖父の利一が開いた常念小屋や一の俣小屋、そして横尾山荘を、祖父や父がいかにして守ってきたかを聞くようになってからだ。
そんななか、一の俣小屋があった場所から常念小屋のある常念乗越までが登山道でつながっていたことに興味を持つのは必然だった。曽祖父や祖父、父、そして多くの仲間の尽力によって受け継がれてきたその道は、廃道になって30年以上がたち、地図から消滅している。先人たちが守っていた一ノ俣谷を、いつかこの目で見てみたい、そう思っていた。
父が当時の道の跡を追いながら歩き、われわれもその後に続く。かつて道だったであろう場所は深いヤブに覆われ、その植生の繁茂具合に人が歩かなくなってからの年月を感じる。しかし、突然に現われる古い踏み跡、朽ちたロープや看板の遺物が、かつて確かに道が存在し歩いていた者がいたことを語りかけてくる。
小さな滝をいくつか眺めながらその脇を巻き、時には急流を避けて岩から岩へと跳び移り、沢を渡りながら進む。
しばらくして、まさに当時の呼び名「小黒部」(こくろべ)にふさわしい滝が目の前に現われた。両岸の岩はとても登ることができず、その脇から水の染み出る不安定で急なルンゼを登り、足場の悪い斜面をトラバースすると、岩壁に沿ったバンド状の道に出た。谷が深く、その全貌を見ることができない七段ノ滝を高巻くための道であった。急峻な岩壁には不釣り合いに歩きやすいその道は、よく見ると岩をうがったような跡があり、人が手を加えて拓いたことがわかる。高巻きの頂点まで来て振り返ると、そこはちょうど精悍な北穂高岳(きたほたかだけ)が望めるすばらしい場所だった。
何度かその頂を踏んだ北穂も、当然ながらその角度から見るのは初めてのことで、それは間違いなく、曽祖父も祖父も見たであろう景色に違いなかった。そこに立たなければ見られない景色。心揺さぶられたその瞬間を、僕はきっとこの先一生、忘れることはないだろう。
歩みを進めると、一ノ俣の滝、山田ノ滝、そして常念ノ滝と次々に滝が現われる。このうち山田ノ滝と常念ノ滝は、常念山脈から流れ込む支流である。普段よく見る登山地図にも、これらの滝の存在と名称は記され、その景色を何度も想像していた。はたして、そのいずれも、これまで北アルプスで目にしたことのないような、すばらしいものだった。特に常念ノ滝は、10月下旬にしては暖かい気候のおかげか、少し遅く紅葉したモミジやナナカマドが周辺を彩り、雲間から注ぐ日を浴びて輝きながら水が弾けるそのさまは、本当に美しかった。
常念ノ滝を後にして進んでいくと、次第に流れが穏やかになる。雪で押されて真横に伸びたナナカマドや、ヤナギに囲まれた緩やかな沢を詰めていくと、東天井岳(ひがしてんじょうだけ)へ向かって延びる左俣と常念乗越(じょうねんのっこし)へと続く右俣の合流点に差しかかる。昨今の豪雨等の影響なのか、谷の中は少し荒れていた。右俣を進み、景色が沢から樹林帯に変わる。針葉樹の森の中を進む、常念小屋の裏手に出た。
この日の晩は、数年ぶりに常念小屋にお世話になった。ここ数年は通過するだけで、最後に泊まったのは高校生のとき。当時は、常念小屋の先代で私の祖父・宏吉の弟である恒男がまだ元気だった。今は、今回一ノ俣谷を一緒に歩いた私の「はとこ」にあたる山田雄太が、仲間と共に小屋を仕切っている。
翌日は雄太と別れ、稜線を北へ進む。東天井岳からふたたび道を外れて支稜を歩き、中山乗越を経て二ノ俣谷へ下り、沢沿いを槍沢へと戻った。このルートは近代登山が興るよりも前、杣人や猟師が北アルプスへ通った道が起源と聞く。歩かれなくなった年月は一ノ俣谷よりもさらに長く、道の痕跡はかすかにあれど、行く手を阻むヤブがひときわ深かった。人が来なくなって久しい山の中は、動物の気配が強く、複数人であるが、頻繁に大きな音を立てながら歩かなければならなかった。
分厚い雲の下、時折風雨にさらされながらの山行だったが、東天井岳から中山乗越までの美しくたおやかな稜線と、一ノ俣谷よりもさらに猛々しく轟々と流れる二ノ俣谷の沢は、これまたすばらしい光景だった。
二ノ俣谷へ出てからは、水量の多さや足場の悪さもあって歩くのに難儀した。つい渓流美に目を奪われていると足がもつれそうになる。ようやく二ノ俣谷出合に架かる橋が見えたときは、心地よい疲労感に歩き抜いた安堵感と山旅が終わる寂しさが混ざっていた。
改めて思い返すと、一ノ俣谷の痕跡には驚かされた。それは急流の際にそそり立つ巨岩に残されたロープや、桟道の残骸があった場所にしても、そもそも人の手を加えるには険しく、作業には大変な危険を伴ったに違いない箇所が多かったのだ。谷を詰めるにつれて狭くなり、数多の滝が行く手を阻む沢沿いに道をつくるのは、並大抵のことではない。今日において、同様の作業を行なうのは不可能ではないかと思ったほとだ。そしてその道を維持することは、知恵と技術はもちろん、相当な覚悟が必要であったはずである。
歩かれなくなって久しい一ノ俣谷。人生で初めて履いた沢靴で歩いたその場所に、長い年月がたった今でも、当時道を守っていた人たちの息遣いや想いを確かに感じた。
(取材日=2024年10月15〜16日)
(『山と溪谷』2025年10月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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