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テーマ:百名山

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上信越 (長野県 群馬県)

四阿山 

標高2,354m

 四阿山は吾妻山(あづまやま)ともいい、どこから見ても山の形が屋根の棟に似ているのでこの名がつけられたという。古事記によれば、日本武尊が東征から戻って、信濃に入る峠に立たれたとき、「あずまはや」と叫んで弟橘(おとたちばな)姫をしのばれたといい、嬬恋村(つまごいむら)の名もこの伝説による。  長野原町から上田市へと通じる国道144号が県境を越える所が鳥居峠で、ここからは、昔の信仰の道、花童子(げどうじ)通りが復元され歩きやすくなった。登るにしたがって南方が開け、噴煙を上げる浅間山を中心に、東に鼻曲山、浅間隠山、西に黒斑山、篭ノ登山、近くは草津白根山などによって大きく囲まれた浅間高原や嬬恋村を眼下にできる。  信州上田地方では最も遅くまで雪の残る山で、頂上に、真田昌幸の建立に始まるという神祠を祭る。西に続く根子岳(2207m)は、旧四阿火山の爆発によって山頂部を失った外輪山だ。南西麓の菅平高原は、冬はスキー、夏はスポーツ合宿地として有名。  山頂へは、南面の鳥居峠北の林道終点から所要3時間、東面のバラギ湖登山口から4時間、菅平高原から根子岳経由4時間30分。また、東北面のパルコール嬬恋スキー場のゴンドラ(季節運行)の山頂駅から山頂まで2時間。

周回 日帰り 5時間
菅平から根子岳・四阿山をめぐる 日帰り

コース定数:23

縦走 一泊二日 8時間30分
毛無峠から四阿山へ 日帰り

コース定数:33

上信越 (新潟県 長野県)

高妻山 

標高2,353m

 広義の戸隠山は戸隠表山、西岳、高妻山を含む一連の岩山だが、その中で高妻山は群を抜いて高く、孤高を誇っている。少し離れて戸隠全山を見渡すと、その秀麗な姿は岩屏風の奥にかくまわれた、お姫様のように優雅である。  高妻山に登るには、朝早く中社の宿か、戸隠のキャンプ地をたちたい。大洞沢を登り、一不動の小屋に着く。ここから二釈迦、三文珠と、高妻山の頂上に至るまで、石仏がササの陰に置かれている。途中に五地蔵山がある。ここから今登ってきた戸隠牧場や飯縄山、黒姫山が見渡され、ひと休みしたい所である。  しかし戸隠姫のガードは堅い。一不動からいくつもの登り下りを繰り返した揚句、相当の疲労を覚えたころ、頂上直下の猛烈な急傾斜が始まる。深いネマガリダケの中を、まさに胸突八丁の急坂が山頂近くまで続くのである。  頂上の一角に取り付くと、岩のごつごつした細い尾根となり、一挙に北アルプスの銀屏風が目に飛び込んでくる。頂上には修験道の山らしく、たくさんの鏡や剣が立ち並べられている。  登山コースは、戸隠牧場から5時間弱、縦走は戸隠山の八方睨から5時間30分。高妻山から乙妻山へは往復2時間をさらに要する。

北海道 (北海道)

大雪山 大雪山・旭岳

標高2,291m

 大雪山の盟主として、また北海道の最高峰として、誰もが一度は登りたい、また登らねばならない山が旭岳である。「ヌタプカムウシュペ」というのはこの山塊全体の呼称で、個々のピークにアイヌは名をつけなかったようだ。旭岳という名称は、忠別川の源頭にあるところからきており、アイヌ語でチュプ・ベツ「日の川」を旭としたもの。旭川市や忠別岳の名も同じ由来である。  古くから登山道は開かれていたようで、明治36年(1903)、上川文武館生徒21名が集団登山した記録があるが、往復に3日を要している。この頃、旭岳は「於武建志計(オプタテシケ)山」と呼ばれていたという。明治の文学者・大町桂月の登山はずっと後で、大正10年(1921)、黒岳沢から無名峰(現在の桂月岳)に達し、北鎮岳を経て旭岳に登り、松山温泉(天人峡)に下っている。冬の登頂は翌大正11年(1922)1月、北海道大学の板倉勝宣、加納一郎らが最初である。  いま夏の登頂は全く容易になった。ふもとの旭岳温泉(旧名 勇駒別温泉)から、2本のロープウェイを乗り継いで一気に1600mの姿見駅へ。お花畑の中の道をたどって、旭岳の姿を映す「姿見ノ池」のほとりから、火山礫の登山道を、白く煙を上げる火口を見下ろしながら登ること2時間ほど。ついに頂上に立てるのだ。道内最高地点だけに展望は広大で、国立公園内の山々はもとより、天塩岳、暑寒別岳(しよかんべつだけ)、芦別岳(あしべつだけ)なども見え、さらに快晴の日には遠く利尻山までも望むことができる。  黒岳からの縦走はもっとすばらしい。黒岳石室を早朝に出発し、第2の高峰北鎮岳(ほくちんだけ)にも登って旭岳に至るコースは、約5時間の行程だ。旭岳の北東面には遅くまで雪渓が残り、夏スキーを楽しむ人々も多い。雪渓の下が指定のキャンプ地になっていて、最盛期には色とりどりのテントが花と咲く。頂上に登らず、途中の中岳から旭岳の山腹を巻き、山中に湧く無人の中岳温泉を経て姿見駅に出ることもできる。駅付近には姿見ノ池のほかにもいくつかの沼が点在し、それらを散策するのもよい。  頂上付近は草も木もないから、どこへでも行ける。なかには道を踏み外してどんどん下ってゆき、帰ってこられなくなった例もある。姿見駅の付近でさえ、ガスがかかると分かりにくくなる。ロープウェイは冬には多くのスキーヤーを運び上げるが、軽装で頂上を目指したまま行方不明となる人が時々出るのも、目標物に乏しい頂上付近の地形に惑わされるからであろう。充分、注意したい。

往復 日帰り 3時間50分
旭岳ロープウェイ姿見駅から旭岳山頂を往復 日帰り

コース定数:16

周回 日帰り 6時間50分
旭岳から間宮岳・裾合平周回 日帰り

コース定数:26

縦走 二泊三日 19時間10分
旭岳・高根ヶ原・化雲岳大縦走 2泊3日

コース定数:70

東北 (山形県)

鳥海山 鳥海山・新山

標高2,236m

 山形県と秋田県境にそびえる成層火山で、東北を代表とする高山である。秀麗な山容から出羽富士、秋田富士の名で親しまれている。  山は中央火口丘の新山(最高峰)を中心に、行者岳、伏拝岳、七高山の比較的新しい東鳥海火山と、火口湖だった鳥ノ海(鳥海湖)、中央火口丘の鍋森を中心とする、笙ヶ岳、月山森、扇子森の西鳥海火山、および山腹に付随する寄生火山からなる複式火山である。  有史以来度重なる噴火活動が人々の畏怖の的となり、山そのものが火を吹く荒ぶる神としてあがめられ、山岳宗教が発達した。山頂には、大物忌神を祭る「大物忌(おおものいみ)神社」がある。ところが、修験道の発達とともに山上の奉仕権と嶺境の争いへと進み、江戸幕府裁定で決着を見るという、人間臭い一面を今に残す山である。  日本海から山頂部まで、わずか約15kmの独立峰で、冬の季節風をまともに受けるため、山の方位によっては積雪や風に大きな違いが見られる。そのためチョウカイフスマ、チョウカイアザミ、チョウカイチングルマなどの鳥海山特有の植物をはぐくみ、植生を規制してきた。  1673年から数回、幕府の命によって、採薬登山が行われている。また、イギリスの登山家、ジョン・ミルンが1879年に登山し、わが国で初めて氷河問題の口火を切った山でもある。純粋な意味での登山は、朝日連峰、飯豊連峰に遅れをとり、大正末から昭和初期に始まった。  そして、昭和22年(1947)には、県立自然公園の指定を受け、国民体育大会開催(1952年)、国定公園指定(1963年)、さらには山岳観光道路「鳥海ブルーライン」開通などにより、山岳観光地として全国的に脚光を浴びるようになった。なかでも、スキー登山の地として人気が高く、ゴールデンウィークなどは全国から集まる愛好家で賑わっている。  かつて熊が爪跡を残し、ヤマヒルが巣くったという百宅口のブナも乱伐が進み、痛々しい変容ぶりである。昭和49年(1974年)には、153年ぶりに火山活動も見られた。しかし、宗教登山からスポーツ登山へと変わっても、日の出の力強い陽光を浴びた鳥海山が日本海上に写し出される「影鳥海」や冬の外輪山の内側の岩肌を飾る「岩氷」などは、単なる美しさを通り越して、今でも充分に神々しい。  鳥海山は、山岳信仰の息吹を残しつつ、東北の山特有の落ち着いた雰囲気と温もりのある山である。  登山道は、かつての登拝路を中心に山形・秋田両県から数多く整備されており、山頂まで約5時間。

往復 日帰り 7時間30分
矢島口から鳥海山へ(矢島口) 日帰り

コース定数:30

関東 (山梨県)

瑞牆山 

標高2,230m

 瑞牆山とはなんとも難しい漢字である。明治38年、山梨県知事となった武田千代三郎がこの字に替えたという。『甲斐国志』には「子産(こうぶ)岩」、または「瑞壘」と記録されている。  遠くから眺めるとそんなに目立たないが、間近な西側の黒森集落や富士見平の手前辺りで見ると、峨々とした岩峰の林立は鬼気迫るものがある。全山花崗岩で、初夏のころ、アズマシャクナゲの花の群落は見事である。  一般的に、富士見平から天鳥川に下りる。岩塊の間を縫い、たくみにつけられた道を上がり、樹間を北側から抜けて山頂に立つ。  眺望絶佳。はすに見上げる金峰山、御坂の山の上に富士山、さらに右、大無間山から延々と南アルプスの連嶺が続く。そして中央アルプス、八ヶ岳、右に北アルプスは白馬岳まで。登山口からわずか3時間ばかりの登高で、これだけの絶景である。  下にぽつんと金山の集落が見える。ここには、奥秩父の先駆者、木暮理太郎翁のレリーフが金峰山に向かって建てられている。昭和26年の建立。  毎年5月には日本山岳会山梨支部により、「木暮碑前懇親会」が、10月には増富観光協会などの共催で「木暮祭」が開かれている。

往復 日帰り 5時間
瑞牆山荘から瑞牆山往復 日帰り

コース定数:21

関東 (群馬県)

至仏山 

標高2,228m

 尾瀬ガ原の西端に位置し、東の燧ヶ岳とともに尾瀬を代表する名山である。ミズバショウの花咲く湿原のかなたに残雪の至仏山、といった写真はよく目にすることだろう。  山頂から眼下に見る尾瀬ガ原はすばらしい。西には奥利根、谷川の山並みを望む。足元には蛇紋岩地特有のホソバヒナウスユキソウやオゼソウなど、貴重な高山植物が多い。山名の故か、百名山登頂の最後にこの山を登る人たちもあると聞く。山名は、仏教には関係なく、ムジナッ沢(つあわ)の別名「渋ッ沢」に由来するという。  山ノ鼻から直登するコースは植生保護のための通行禁止が平成9年に解除された。ただし状況によっては再び通行禁止となる場合もある。山ノ鼻から頂上まで所要2時間30分。鳩待峠からは緩やかで展望のよいコースがある。鳩待峠から頂上まで所要2時間40分。  鳩待峠は、その昔片品村の男たちが、厳冬期に入山し、木地師として木工品を作っていたころの仕事場であった。鳩は寒中はふもとの村にいて、暖かくなると山奥へ移る習性がある。峠の近くで鳩が鳴けば、男たちは久々に里へ下り、田植えを始める。雪深い山中で、鳩が来る春の日を待ち続けたことから、鳩待峠と呼ばれた。

中央アルプス (長野県 岐阜県)

恵那山 

標高2,191m

 岐阜県中津川市と長野県下伊那郡阿智村との境界上の山。美濃の最高峰である。中央アルプスの最南端にあって、山容が船を伏せたような形をしているところから船伏山(ふなふせやま)ともいい、古くは伊勢湾を航行する船の目標となっていた。山名は『吉蘇志略』によると「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」とするところからきたのものとされている。なお、この山の北側の肩を通る神坂(みさか)峠は、すでに記紀の時代から開けており、日本武尊もここを越えたとされているほど古い峠である。  登山道は神坂(みさか)峠からのコース、恵那神社からの前宮コース、広河原からのコースなどがある。

往復 日帰り 6時間40分
恵那山・黒井沢コースを往復する

コース定数:30

往復 日帰り 7時間45分
広河原から恵那山への最短コースを往復 日帰り

コース定数:31

縦走 一泊二日 11時間50分
神坂から富士見台、恵那山を縦走

コース定数:46

上信越 (群馬県)

草津白根山 白根山

標高2,160m

 草津白根火山は、白根山、逢ノ峰、本白根山などを中心として、北は山田峠の円頂丘、横手山、南は米無山、東は芳ヶ平、青葉山、西は万座山などを含む、広大な火山である。  白根山はやや酸性の溶岩からなり、最盛期を過ぎて老年期に入った火山である。その特徴はガスの噴出による爆発で、溶岩流出型の大島の三原山やハワイの火山とは対照的だ。  最近の爆発は昭和58年(1983)で、同年、浅間山と焼山(妙高山群)も爆発した。  白根山を中心に、東に草津、西に万座の二大温泉があり、白根山はその母胎である。  山頂には湯釜、水釜、涸釜の3つの火口湖がある。湯釜は直径約250m、酸性度は世界一で、エメラルド色の美しさで知られる。  登山コースは、草津温泉からバスなどで30分の白根火山大駐車場から徒歩0.5kmで山頂。立ち入り区域の規制がある。なお、最高峰は本白根山である。 ※2018年1月23日に本白根山で噴火があり、気象庁は噴火警戒レベルをレベル3(入山規制)に引き上げた。雪崩や噴石で複数の負傷者が出ている。

関東 (群馬県)

武尊山 

標高2,158m

 上越線沼田駅付近の車窓からも見える山。  武尊山は前武尊(まえほたか)、剣ガ峰、家ノ串、中ノ岳、沖武尊(おきほたか)(主峰)、剣ガ峰山(西武尊)、獅子ガ鼻山と2000m級7座の峰頭を連ね、群馬県の北部、利根郡の中央を占める名山である。  これらの峰々を中心に、裾野には900~1500mの高原が広がっている。東に武尊牧場、南に玉原湿原、西に上ノ原高原、北に武尊湿原の溶岩流高原があり、火山の規模は直径十数kmに及ぶ。火山といっても100万年も前にできた古い火山で、山体の浸食が進み、放射状に刻み込まれた谷は深く数も多い。武尊九十九谷ともいわれ、ツキノワグマの生息数は群馬県内一である。  山名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の故事によるもので、古来から山麓民の信仰があつい。  平成2年(1990年)9月から、マッキンリーに逝った名アルピニスト山田昇を記念して、山田昇記念杯登山競争大会(2014年からは上州武尊山スカイビュー・ウルトラトレイル 川場村山田昇メモリアルカップに名称変更)が行われている。  山頂へは、上ノ原登山口から4時間。宝台樹キャンプ場から4時間40分。花咲口(林道駐車場)から前武尊経由で縦走して5時間30分。川場口(野営場登山口)から縦走して4時間50分。武尊高原川場キャンプ場から西峰を経て5時間30分。武尊牧場から4時間。

上信越 (新潟県 長野県)

苗場山 

標高2,145m

上信越高原国立公園内にある山で、第4紀火山の安山岩類からなり、頂上部は多くの池塘を光らせた4km四方に及ぶ高層湿原を展開しており、その景観と特異な山容から、越後の名山として注目され、県内外の登山者に親しまれている。 頂上には保食神の青銅像や伊米神祠、苗場七柱大神などの石塔があり、昔から延喜式内伊米神社の奥ノ院として、農民や修験の登拝があったらしい。 文化8年に塩沢町の鈴木牧之(ぼくし)が、案内や従者ら12名を伴って登山し「苗場山は越後第一の高山なり、魚沼郡にあり登り二里という。絶頂に天然の苗田あり、依て昔より山の名に呼ぶなり、峻岳の巓に苗田ある事甚だ奇なり」と、その著『北越雪譜』に苗場山紀行を載せている。 登山道は上越新幹線の越後湯沢駅から清津川を渡り、和田小屋、神楽ヶ峰を経由する三俣コースや、三国峠に近い元橋からの赤湯温泉コース、飯山線の津南町から中津川を遡った秋山郷の金城山・小松原コース、小赤沢コースなどがあって、それぞれに苗場山の多様な側面を見せているが、交通、宿泊の便がよくて登山者に好まれているのは三俣コースで、マイカーを利用すれば、スキーシーズン以外は、和田小屋の徒歩20分手前の町営駐車場まで入ることができる。 かつてはブナの原生林をたどった登山道は、スキー場造成の伐開やリフト架設で昔の面影を失ったが、自然保護のため木道が敷かれて登山者に喜ばれている。 登山の対象としてよりもスキー場が有名で、苗場山を巡って民宿150軒、スキー場17カ所もの施設があり、ゲレンデに林立するスキーリフト群が山相を一変させた観がある。 一等三角点の頂上には、苗場山頂ヒュッテがあり、天然の苗田と見られた池塘群には、ワタスゲ、ヌマガヤに混じってヤマトキソウ、キンコウカ、ヒメシャクナゲなどの湿原植物が多彩で、その間にコメツガなどの低い針葉樹林が点在しており、木道に導かれた山上庭園の散歩が楽しい。もちろん上信越の山々をはじめとする展望も申し分ない。 三俣口8合目の神楽ヶ峰には、鈴木牧之の苗場登山を顕彰して、昭和15年に我が国登山界の元老である高頭仁兵衛氏らが、高さ3mの「天下之霊観」碑を建立したが、落雷か積雪の圧力かで折損放置されていたのを、平成3年に日本山岳会越後支部が、原型と同じ仙台石で霊観碑を再建している。 和田小屋からや約4時間30分で山頂に立つことができる。

往復 日帰り 9時間
小赤沢から苗場山往復 日帰り

コース定数:36

縦走 一泊二日 11時間45分
祓川登山口から苗場山に登り、赤湯温泉へ 1泊2日

コース定数:47

縦走 一泊二日 13時間15分
和山温泉入口から苗場山に登り、赤湯温泉へ 1泊2日

コース定数:52

縦走 日帰り 16時間30分
【信越トレイル】森宮野原駅から苗場山へ 1泊2日

コース定数:72

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