雪隠橋跡とオロセー休場探索・焼小屋尾根 ワンデイハイク
雪隠橋の孫惣谷架橋地点(候補)、オロセー休場(候補)、オロセ尾根、篶坂ノ丸、タワ尾根、焼小屋尾根( 関東)
パーティ: 1人 (加藤キーチ(モンターニャ) さん )
雪隠橋の孫惣谷架橋地点(候補)、オロセー休場(候補)、オロセ尾根、篶坂ノ丸、タワ尾根、焼小屋尾根( 関東)
パーティ: 1人 (加藤キーチ(モンターニャ) さん )
晴れたり曇ったり
バス
08:05~東日原バス停をスタート
08:52~八丁橋
09:04~カーブで休憩中のMさんSさんに追いつく~09:10
09:24~林道上の孫惣谷への下降点周辺~09:48
10:49~谷までわずかのツブレ小屋跡~10:58
11:01~孫惣谷に降りる
11:28~孫惣谷をあとにする
11:53~林道に戻る~12:12
12:12~林道の対面からオロセ尾根に取りつく
12:43~オロセー休場とされる地点~12:53
14:24~篶坂ノ丸~14:50
15:06~P1443の先から焼小屋尾根の下降を開始
16:08~林道に降りる
17:25~東日原バス停フィニッシュ
あきらめが悪いものだから雪隠橋がかかっていた「かもしれない」地点を探索に孫惣谷に降り、林道に上がりなおしてオロセー休場「らしい」場所を探してウロウロすれば13時。タワ尾根から焼小屋尾根を下降し陽の短い秋のハイキングは終わってしまった。オロセー休場・雪隠橋・ハタゴヤの位置特定はもう難しいのだろうか。
先にいっておくと、焼小屋尾根は事前の情報なしに踏み跡とMさんのアドバイスを頼りに下降したが、最後を誤ったらしい。オリツキ窪を渡ってからの険路にひやひやしながら林道にたどりついた。当記録のルートでの焼小屋尾根の登降はおすすめしない。
概略は本文を、詳細は写真のキャプションを参照。
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〇 机上演習~雪隠橋の位置探し
前回10月14日は孫惣谷c900m付近にはいる堰堤=「せき」記号を目指した。昭和7年の陸測図の標高をもとにすると橋はこの位置になる。谷に降りることはできたが雪隠橋の位置はまったく見当がつかず、むかしの地形図を頼りにするのはもはや無理だと思った。
/前回の「雪隠橋を探して」~20231014/
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=286292
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あらためて、古書から雪隠橋にまつわる記述を集めてみる。孫惣谷の様子から橋の位置を特定できないか、ということだ。なお ≪≫部分はモンターニャによる注釈。
>……≪雪隠橋の≫直ぐ下流に、七八米の二段の悪い滝をかけて……橋から二三分で孫衛門窪を跨ぎ、更に十分で今朝別れた「オロセーの休場」に着き……
(日原を繞る山と谷、朋文堂、真鍋、1942、P114)
>オロセーの休場で裏参道を分かって、ダラダラ坂を下ると、孫惣谷の粗末な橋≪雪隠橋≫を渡る。之からは通称「ハタゴヤ坂」の急坂を、ジグザグに喘登するのであるが、……
(日原を繞る山と谷、朋文堂、真鍋、1942、P114)
>≪オロセーの休ん場から≫左下へ孫惣谷雪隠橋へ下って天祖尾根を喘登する昔の表参道は上下がきつく労ばかり多いので利用されなくなり、雪隠橋も荒廃して渡れなくなった
(登山とハイキング案内登山地図帖、山と渓谷社、1958、P94)
>≪孫惣谷二段20米の滝を巻いたあと≫行手は一変しておだやかになるが流水は豊かになり小滑が二つほど断続する。程なく頭上に荒廃した雪隠橋の姿を仰ぐ。
(登山とハイキング案内登山地図帖、山と渓谷社、1958、P97)
>径は左へ下つて横に回り、右手の砂場に石積みがあつて、孫右衛門窪といふナメになった窪に丸太橋がある。まもなく孫惣谷へ下る。……大木を三本ばかり組んだ橋がかゝつてゐる。山葵畑があり橋を雪隠橋といふ。下は滝状となつて落ちてゆく。
(奥秩父、原全教、朋文堂、昭和17年1942、P52)
>≪雪隠橋の≫下から水は可なりの量と激しい勢で落ちて行くが≪その下流も上流も伏流である≫……地図≪陸測図≫では「谷」の字の所で急に百米程下る様になつて居るが、実際もう少し手前で表裏の二路に分岐し、表参路はもつと緩く横に巻く様な気味で、途中孫右衛門窪と称する崩壊一つ横切り、又谷底へ下つて雪隠橋を渡つてからは、地図では横に巻く様になつて居るが、実際は急激に二百米近く登り、……
(奥秩父、原全教、朋文堂、昭和8年1933、P152~P153)
>≪使用不能の雪隠橋から≫上流は沢筋が明るくなって扇状のF3(三メートル)があり、……
(山と高原274号、朋文堂、角田、1959-08、P32)
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描写には共通点もあり、以下の項目がピックアップできる。
1. 雪隠橋のすぐ下流には顕著な滝がある。『7-8m×2の二段』『二段20m』。
2. 雪隠橋の上流は沢筋が明るくなる=空が広くなる?
3. 天祖尾根への登り返しは急斜面のジグザグ。
4. 橋は『大木を三本ばかり組』んだ作り。
5. 橋は沢筋からは『頭上に姿を仰ぐ』高さにかかっている。
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すぐ下流に二段10数m~20mの滝があるとする位置情報は重要だ。丸太三本でそれなりの高さにかかっているなら両岸が狭い地形でないと渡せない。次いで、右岸は急激にまっすぐ天祖尾根目指して上がれる地形であり、最後に、橋から上流は下流と比較すれば明るい。雪隠橋が渡っていた場所のイメージは以上のようになる。
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古書の著者が遺す記述からできあがるイメージと比較すると、前回探索したco900m付近の堰堤ちかくは齟齬が大きい。
◎ 大きな堰堤部分が二段の滝だった可能性はある。
×沢筋は上流・下流ともにすでに明るい。
×丸太で渡すには沢筋が広すぎる。
×まっすぐ天祖尾根を目指して上がるとすれば、ハタゴヤの位置がずいぶん高くなってしまう。
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〇 今回の雪隠橋の位置探し
以上を踏まえて前回より下流のco780m近辺に降りてみる。根拠としては地形図的に、前後で沢の上空の開け具合が違うように思えたから。結果としては、
× 二段の滝を見かけず(探すために下流に向かわなかった)。
△ 下流は上空が狭い。上流はやや明るくなるか。
◎ 丸太で渡せる谷の狭さ。
◎ハタゴヤの位置関係とのズレは見当たらない。少なくとも標高が高すぎることはない。
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co900をウロウロした前回よりはまだマシな地形だったとは思うが、二段の滝を探していないし、右岸の急斜面をたどってもいない。機会をつくって谷に降り、少しづつポイントを絞ってゆくことになるだろう。
/動画~林道から孫惣谷へ降りる/
https://youtube.com/shorts/ab2ssN0qxak?si=P8uFJdRvt4y-PyOl
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〇 オロセー休場の位置について
現代のハイキング記録でオロセー休場≪やすんば≫とされている場所ははじめて訪れた。休場からダラダラ下って雪隠橋に至ると古書にあるが、橋の位置が特定できないから逆算はできない。現状では休場単独で「それらしいか、否か」を判断しなければならない。
写真38から42のように、候補地点は大きな露岩が印象的な小尾根の末端にある。下は岩屑がいっぱいだから現在進行形で崩れている様子だ。そして古書に当たっていて休場の「岩」についての記述を読んだ記憶がない。
>≪ガニ沢を渡って≫右手に大木を横にした休場があるのがオロセである。
(奥秩父研究、原全教、朋文堂、1959)
なんでもないちょっとした平地に大木のベンチがあり、道標がある。古書の書きぶりからできあがるイメージと現場の様子が、記録者のなかでは一致しなかった。
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〇 焼小屋尾根
繰り返すがオリツキ窪左岸の急斜面の山腹道がとても悪く、当記録のルートでの登降はおすすめしない。オリツキ窪を渡らず、手前の右岸の尾根をはずさないで降り、最後に孫惣谷の上流方向に進路を振って写真69-2に着地するのが安全なようだ。「水道局の人が登ってゆくのを見たから、間違いないだろう」とはMさんからうかがった話。
正着のルートをたどる限り、危険個所のないゆったりとした好ましい尾根だと思う。
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タワ尾根の縦走路co1457m~林道上のオリツキ窪出合いco1000mの標高差457mに距離1600m、平均勾配29%。
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(20231110 了)
【その他】 ラ・スポルティーバのウルトララプターⅡ(以下ほとんどモンベル)。タイツ・半ズボン・チェーンスパイク。メリノウール薄手にカンガルーヤッケ・ペツルのヘルメット・ブラックダイヤモンドのフルフィンガーグローブ。ザックはモンベルのアルパインライト30Lにヘッドランプ・スマホ(カメラ+GPS)・バッテリー充電器と予備電池・ココヘリ発信機・雨具上のみ・傘・フリース・ロールペーパー。ハイドレーションに水1.8L・コッペパンふたつ・エナジーバー・カルパス・ナッツとドライフルーツ+塩。着替え一式とサンダルは奥多摩駅のコインロッカー。 |
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