行程・コース
天候
終日小雨が降ったり止んだり、尾根の向きによっては強風
登山口へのアクセス
バス
この登山記録の行程
08:15~東日原バス停をスタート
08:39~一石山神社
10:20~ウトウの頭~10:38
11:17~県境尾根に上がる
12:03~酉谷山~12:09
12:27~酉谷避難小屋~12:45
13:21~坊主山東の鞍部~13:25
13:41~七跳尾根下降点
14:27~犬麦林道に下りる
16:06~東日原バス停フィニッシュ
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
天気は良くない、ヒザの調子も良くない。でも山には登りたい。どうプランニングするかあれこれ考えるなかで思いついたのが「県境尾根の茅葺き小屋跡探し」。
原全教の『奥秩父』には、酉谷山東の鞍部と坊主山東の鞍部に「人の常住する小屋がある」の記述がある。
戦時中の茅葺き小屋跡の特定は難しいだろうが、1700mまで上がるモチベーションにはなる。「登って降りる」くらいだましだましやれるだろう、と出かけてみた。
悪天候の予報に加えてクマ騒動が影響しているのか、東日原行きのバスは行きも帰りも一人だけだった。小雨が降ったり止んだりの一日だったのだが。
概略は本文を、詳細は写真のキャプションを参照。スマホのGPSが引き続き不調、七跳尾根~バス停のログと累積標高はアテにならない。
〇 タワ尾根
紅葉を眺めながら、やっぱり彩度が低い、くすんでいるよなあとつぶやきながらの登り。日原に下りて地元のかたと話をすると、「黄色が出てるぶんまだ良いんじゃないの」とのこと。
〇 県境尾根の茅づくりの小屋跡
もちろん見つからなかった。『奥秩父』にある酉谷峠から「南へ三十米も下つた所」の「八十近い老翁」が住んでいた第一候補地点は、酉谷避難小屋だろう。坊主山東の鞍部ではもう少し時代が下った(=現代に近い)ころのものと思われる、大量の酒瓶を見る。
アステカの首都テノチティトランはメキシコシティの下に眠る。ローマは何層にも積み重なる遺跡の上にあるから3本目の地下鉄を通すのに20年かかりまだ全線開通に至っていない。素人の古代マニアが集まれば邪馬台国の卑弥呼の王宮跡は太宰府天満宮の下でしょう、との意見が必ず出る。
「なにもないところ」ではなく「現代でも何かがあるところ」に茅づくりの小屋はあった、とするほうが自然かと思う。
〇 七跳尾根
大規模な崩落による小川谷林道の通行禁止にともない、七跳尾根も通行止めと各所で案内されている。下部は右に左にいったりきたりの一辺の長い山腹道がはっきりついており、水道局の仕様と思われる。上部も同様に九十九道がついているようだが、踏み跡が薄い。ハッキリしないならまっすぐ降ろうとすればザレで少し厄介。初見の下降はおすすめできない。GPSを使うか・もしくは現在のところピンテは散見されるのでサインを地道に追うのが安全だろう。距離に比べて時間がかかる。
〇 小川谷林道
崩落の第一通報者になったのが23年の5月※1、そろそろ修復作業も終わりかと通りかかれば再度の崩落があり工事は中断したらしいのに気づいたのが25年の5月※2。今回久しぶりに通過したが、ここ2年半でデブリがいちばん堆積しているように見えた。車両が入らないので前後も荒れだしている。倉沢林道の「魚留橋から先」みたいにならないと良いが。
※1
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=267527
※2
https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=316263
〇 奥多摩駅で特急を見た
https://youtube.com/shorts/IdkKfkCP9eM?si=2pH7_alt4WZDJXyS
(20251112 了)
フォトギャラリー:31枚
0.
『奥秩父』、原全教、朋文堂、昭和8年(1933年)から該当記述部分。
1.
「冷たい雨のいちにち」予報にしたって川苔山への登山者もナシか。一人きりの東日原行き。
2.
バス停から対岸。
3.
一石山<イッセキザン>神社。
4.
尾根末端に上がり燕岩方向。
5.
一石山付近。
6.
同地点。
7.
金袋山手前で薄くなる。
8.
篶坂ノ丸あたりはだいぶ落ちている。
9.
ウトウの頭に着く。ちょっと体が重めの2時間05分。登りはヒザは気にならない。ここまでパラっときたのが2回。
10.
バス停から3時間で県境尾根に上がる。このタイミングでごく細かい雨が降りだす。歩き出しから上は雨具+メリノウール厚手+薄手バラクルバ、下はタイツに半ズボンのまま。傘を取り出しやすいポケットに入れてある。
11.
12.
3時間50分で酉谷山。無事に上がれてホッとする。
13.
酉谷通過後は早めに「南へ三十米」降って小屋跡探しにかかる。半ば埋められわかりにくいが、大量のスーパードライの空き缶。発売は1987年だそうだから、さすがに小屋から出たものではないだろうw
14.
巻き道をたどり酉谷避難小屋。やはり「南へ三十米も下つた所」の第一候補地はココになるのではないか。鞍部の、やや酉谷寄りなのが気になるが。
15.
久しぶりに中をのぞく。キレイに使われている。
16.
避難小屋を発ち、引き続き「南へ三十米も下つた所」を探りながら東に進む。平場や遺物は見つからず。
17.
巻き道に戻り、
18.
小雨で濡れた桟道を慎重に通過する。落ち葉がありがたい。
19.
坊主山と東の無名ピークの鞍部に着く。はじめ窪みに目が行き、窪地に小屋を建てたら水がはけない。付近の地形が変わっていない限り。そう思いながらも少し進んでみると、
20.
北面、秩父側にゆるく傾斜した平場で大量の酒瓶を見る。『鞍部には人の常住する小屋が相對<対>して二戸ある』の候補地点はこことしよう。
ただし『奥秩父』の記述は微妙で、日向沢の頭と坊主山の鞍部、と読み取ることもできる。
21.
近所には茶碗も。いつの時代か、小屋があったのは確からしい。
22.
飲みに帰ることにする。
お「なにが楽しみって、山歩きの半分は下りて飲むことだからな。オルソくんにはわからんだろうが」
オ「…………」
23.
天目山まで回りこむつもりでいたが、小雨が降り続くし。「ごめんなさい」して七跳尾根を下ることにする。
24.
犬麦林道に下り、小川谷林道終点広場とは反対方向に進んで撮影地点から小尾根を下る。
25.
間知ブロックを飛び降りた小川谷林道co970m。きょうのなかではいちばん見事。
26.
小川谷林道をゆく。あちこち細かく崩れている。
27.
大崩落現場。崩落デブリの体積が増えていると感じる。
28.
川乗橋でも誰も乗らず。
お「行き帰りとも一人と一匹は新記録だ!もう1本つけよう」
オ「……………………」
29.
それが。
お「これだよ。ヒマな日のみすず堂さんの早仕舞って有名なんだがな@個人の感想です」
オ「…………」
タイムズマートで酒を仕入れる。
30.
改札脇の時刻表を眺めると「特急」の運行がある。ダッシュでホームに上がり出発直前の『新酒・もみじ回遊号』5両編成を撮ったのだが。
年にいっぺん、一往復の運転が「奥多摩駅がガラガラの日」って。JR東さん残念過ぎる。
装備・携行品
| 【その他】
ラ・スポルティーバのウルトララプターⅡ。(以下ほとんどモンベル)メリノウールソックス、タイツに半ズボン。メリノウール厚手長袖・雨具上・ブラックダイヤモンドのフルフィンガーグローブ・ブラックダイヤモンドのヘルメット・傘。アックス(下ろさず)。ザックはブルーアイスのドラゴンフライ26Lにヘッドランプ・スマホ(地図、GPS、カメラ、ボイスレコーダー)・バッテリー充電器・ココヘリ・カンガルーヤッケ・ロールペーパー・虫よけネット。ハイドレに水1.5L。コッペパン・チーズ・羊羹・柿の種・カルパス。オルソくん・お守り。着替えとサンダルは奥多摩駅のロッカー。 |




