新緑の森|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第4回は、残雪と新緑のブナの森。

文・写真=星野秀樹

 

 

赤、黄、橙色。
春なのに、この季節らしからぬ不思議な色合いの森が広がっている。
あれ、なんだろう。どう見たって、紅葉だ。
もしも木々の根元を覆う分厚い残雪がなければ、美しい秋の森だと見間違うだろう。
残雪と紅葉の森。春のブナの森は、そんな淡い彩りに溢れている。
ブナの新緑は、紅葉で始まるのだ。

この里から雪が消えて、千曲川縁から上がってきた緑の波に日々の暮らしが包み込まれたころ、
まだたっぷりと雪を残す山の森にも、やっと芽吹きの風が吹き始めた。

軽トラにスキーを積んで森へ向かう。田起しに忙しいトラクターを遠目に眺めながら集落を抜け、道脇のヤブ草が茂り始めた車道をゆるゆると登って行く。やがて途切れがちに小さく残っていた雪が、少しずつ大きな島のように繋がって、ヤブ野原が雪原に変わり始めた。1m、いや、もっと厚く積もっている。里ではすでに姿を消した雪が、ほんの少し山へ向かって標高を上げるだけで、まだこんなにもたっぷりと残っていたのに驚かされる。大きく開けた車の窓から、里の乾いたぬるい風に変わって、雪原を渡って下りてくるびっくりするほど冷たい風が吹き込んできた。
見回す山肌では、冬と春の、最後のせめぎ合いが続いている。里から登って来た春の、新緑の波が、冬木立の森に打ち寄せて、芽吹きの時を促している。きっと今日と明日ではこの風景は違ってみえることだろう。春が少しずつ勢力を広げて、緑が少しずつその色合いを変えているはずだから。

そしてその「新緑」の色合いの、なんとも不思議なこと。

ブナの冬芽を覆っていた芽鱗を割って最初に現れるのは、柔らかい赤みを帯びた新芽だ。縮んでいた葉っぱが広がるにつれ橙色から黄色へと彩りを変え、やがて黄緑、淡い新緑へと変化していく。そんな自然のグラデーションは、まさに「紅葉」に見える。残雪と「紅葉」、そして新緑。冬と春と秋、いくつもの季節が混在したかのようなブナの「新緑」は、雪国の森を彩る春の姿そのものだ。
不思議な彩りは「新緑」の葉っぱに見られるだけではない。森の下地を覆う残雪は、落ちた多量の芽鱗に覆われて、まるで落ち葉の季節に迷いこんだかのよう。足元は雪と茶色い芽鱗、見上げれば新緑の天井。少し前までは雪とブナの幹しかない、モノトーンだった世界が嘘のように賑やかに、華やいでいる。

除雪終了地点に車を停め、スキーを履いた。たどる沢筋では深く遠く雪の下から水音が聞こえ、もうまもなく沢が顔を見せることだろう。太いブナの根周りには大きな穴が開いている。「根開け」だ。木そのものの温もりか、暖かい雨によるものか、まるで厚く積もった雪から抜け出そうとするかのような、力強いブナの鼓動を感じる。

薫風、という美しい言葉がある。
初夏の、瑞々しい新緑が放つ豊かな香りを乗せて漂う風。
今雪国の森には、そんな風が吹いている。

 

●次回は6月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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