紅葉の匂い|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第9回は、関田山脈を彩る紅葉の話。

文・写真=星野秀樹

 

 

秋の森を歩いていると、不思議な匂いがすることがある。
カツラの落ち葉のような甘い香りではなく。
銀杏のような、ああいうキツめの匂いでもなく。
かすかに刺激的で、渋いというか、ヤブっぽいというか、なんというか…。
その場にいた同行者に意見を聞くと、「ケモノの匂い」だと言われたことがあるけれど、アノ手の匂いとは明らかに違う、何か別の匂い。
それは同じ森を歩いていても、他の季節には決して嗅いだことのない匂いなのだ。
僕はひそかにそれを、「紅葉の匂い」と呼んでいる。

集落周辺の稲刈りが終わった10月中旬、関田山脈に彩りの波がやってくる。
ブナの森を覆うのは「黄葉」だ。
だから黄葉の盛りに森に入ると、ウルシやモミジなどの「紅葉」を圧倒する黄色い世界に包まれる。もちろんそれはそれで美しいけれど、ブナの森がさらなる彩りを見せるのはもう少し季節が進んで、ブナの葉が枯れ始めて赤茶けてきた頃だ。樹冠の赤茶、白いブナの幹、下草の黄色が揃うと、美しい「三段染」になる。

この時期に森を歩くのは楽しい。それは美しい黄葉があるから、だけではなく、おいしいキノコの季節でもあるからだ。むしろキノコついでに黄葉を楽しむ、というべきかもしれないけれど(まあ、キノコの話はまた別の機会に置いといて)…。
秋の森は圧倒的な彩りに囲まれることが大きな魅力だけれど、足下や目線の高さにある葉っぱを観察するのも僕は好きだ。そこには「黄葉」や「紅葉」の一言では語り尽くせない、あたかも宇宙のような広がりが存在する。

 

 

ヤマウルシの葉っぱ、オオカメノキの葉っぱを見つけた。見ると、葉っぱの色味が一様ではない。葉脈に沿って赤かったり、黄色かったり。部分的に紫とか緑とか、ひとつとして同じ葉っぱは存在しない。今まさに「紅葉」というプロジェクトが進んでいる、そんな過程を見ることが出来る。小さな葉っぱの中で、それぞれがひとつの宇宙を成しているかのようで、見るたびに発見がある。自然が冬へ向けて行う準備の過程が、かくも変化に富み、美しく移り変わっていくものかと驚かされる。
足下に見つけたのはホウノキの落ち葉だ。葉本体はすでに朽ち、複雑な葉脈のみが、もとあった朴葉の姿を形作っている。毛細血管のような、迷路のような、葉脈。それは葉を、木を生かすための生命の地図に他ならない。不思議な紋様のような地図に見入っていると、深い森の中にいて、深く葉っぱの中を彷徨っているかのような、不思議な気持ちがしてくるのだった。

そんなふうに森で遊んだ帰り道。太いブナが並ぶ森から、ヤブを漕ぎながらかすかな踏み跡を辿って行くと、またあの匂いがするのに気付いた。「紅葉の匂い」だ。今度こそ正体を突き止めようと周辺を嗅ぎ回るものの、やはり匂いの出どころを特定できない。葉っぱや幹、ヤブの隙間、地面、一体何が発する匂いなのか、どうしても分からない。
いや、だからきっとやはり、秋の葉っぱが、紅葉の森が発する匂いだと思うのだ。

 

●次回は11月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

ずくなし暮らし 北信州の山辺から

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