山のイロハを教わった美大のワンゲル部。山用語「キジ玉」「武器」の意味とは?

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山と旅のイラストレーターやまとけいこさんの画文集『蝸牛登山画帖』(山と溪谷社)より、一部抜粋してお届けします。美大のワンゲル部時代の思い出。ワンゲル部といえば、夏合宿、北アルプス、テント泊。

 

美大ワンゲル夏合宿(「第二章 ワンゲルの日々」より)

 夏合宿は例年、テント泊で一週間くらいの縦走登山をする。北アルプスのこともあれば南アルプスのときもあり、そのときどきの話し合いで場所や行程を決める。新人の頃はまだ山のことがよくわからないので、とにかく行くと決まった山域の地図を買い、暇があれば眺めてイメージを膨らませた。

 東京から北アルプスの山に向かうときは、当時まだ走っていた新宿発〇時二分の松本行き夜行列車に乗った。乗客は登山者がほとんどで、空いた座席か床にマットを敷いて寝転んだ。こんな世界があるなんて、登山を始めるまで想像したこともなかった。

 ワンゲルの先輩からは山のイロハすべてを教わった。テントの立て方、ガソリンコンロの使い方、革製重登山靴の手入れの仕方、天気図の書き方、山用語、もろもろ。

 山用語で面白かったのは、トイレットペーパーを「キジ玉」と呼ぶことだった。登山者なら多くの人が知っていることだが、野外でするトイレを「キジ撃ち」という。茂みに低く隠れてトイレをする姿が、キジを撃つ猟師の姿勢に似ているところからきている。それで「キジ玉」。ご飯を食べる箸やフォーク、スプーンを総称して「武器」というのも可笑しかった。

 先輩は山を歩きながらも、登りはステップを細かく刻んだほうが楽だとか、荷物は重いものを腰の上や背中側に寄せたほうがいいとか、その都度気づいたことを教えてくれた。

 あるときは、雪渓の中に肉などの傷みやすい食材を埋める、という方法を教わったが、こちらは埋めた場所がわからなくなって困った、というオチがついていた。のちに私はその方法を応用して川で食料を冷やしてみたのだが、貴重な食料は見事カラスに食われた。

 いずれにせよ、新しいことをひとつひとつ覚えたり、発見したりすることは、山に登るのと同じくらい楽しいことだった。

 夏合宿の参加者はたいてい十人くらいだった。一緒に歩くと多すぎるので、パーティーを二つに分けて歩いた。テント等の装備はパーティーごとに持ち、同じ行程で前後しながら行動した。テントもそれぞれのパーティーで寝た。山では当たり前のように男女構わず同じテントで寝るので、山に登らない人から「男女同じテントで寝るの!」と驚かれたとき、なるほど言われてみればそんなものか、と改めて一般的な感覚に気づかされた。

 私自身、既成概念にあまりとらわれない性質だったのか、合宿での共同生活も、一週間お風呂に入れないことも、まあこんなものかと受け入れることができた。強いて言うならば、カレーやシチューを作ったあとの、鍋を拭かずに作るお茶は苦手だった。たしかにそうすれば鍋もきれいになるし、ゴミも出ないので一挙両得なのだが、味がどうにもいただけなかった。

 とらわれないという意味では、周りの仲間も似たり寄ったりだったかもしれない。

 あれは白馬方面に夏合宿で登りに行ったときだった。白馬岳の西側に白馬大池という、面積六〇平方メートル、最大水深一三・五メートルの、北アルプスで二番目に大きな池がある。大昔の白馬大池火山の噴出物によってできた池だ。

 夏合宿前のミーティングで、白馬大池で泳げるね、水着が必要だな、なんて話があったのだが、まさか私は冗談だと思っていた。なのに何? みんな海パン持って、水着持って、浮き輪まで? この人たちを見ていたら、私は美大生だけど、かなり自分が普通寄りの人間なのだと思わずにはいられなかった。と同時に、彼らの感性に対してある種の羨ましさを感じた。

 ちなみに浮き輪ではしゃいで泳ぎまくっていた女性は、夜になっても寒い寒いと震え、軽い低体温症の症状が見られたので、迂闊に雪解け水の池で泳ぐのは危険だと思った。

 

 

※本記事は『蝸牛登山画帖』を一部掲載したものです。

 

『蝸牛登山画帖』

6月生まれで、雨の日にあじさいの葉の上をのたりのたりと歩く蝸牛(かたつむり)に親近感をおぼえ、
なんだか自分に似ているという、やまとけいこさん。

薄くて軽い渦巻状の蝸牛の殻は、一人静かにプライベート空間を楽しめる、くつろぎのマイホーム。

家財道具すべてを背負い、心ゆくままに旅にでることのできる山登りと、
コツコツと一人、試行錯誤しながら描きたい絵を描くことは似ている。

蝸牛のように、山と絵の世界を歩き続けてきた著者による、エッセイ&イラスト集。


『蝸牛登山画帖』
著: やまとけいこ
発売日:2021年6月19日
価格:1430円(税込)

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【著者略歴】
やまとけいこ

山と旅のイラストレーター。1974年、愛知県大府市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。高校生のときにはじめて北アルプスに登り、山に魅了される。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、日本の山々を縦走する。同時に渓流釣りにもはまり、沢歩きを始める。卒業後は「鈴蘭山の会」に所属し、沢登りと山スキーを中心とした山行へ。イラストレーターと美術造形の仕事をしながら、29歳から富山の山小屋アルバイトを始める。この頃からアフリカや南米、ネパールなど、絵を描きながら海外一人旅もスタートした。39歳で「東京YCC」に所属し、クライミングを始め、現在に至る。黒部源流の山小屋、薬師沢小屋での暮らしは、トータル14シーズン。2020年、長年通い続けた憧れの富山に移住。剱岳、立山連峰、薬師岳を眺めながら、富山県民として新たな暮らしを始めたところ。イラストレーターとしては、山と溪谷社、Foxfire、PHP研究所、JTBパブリッシング、北日本新聞などで作品を発表。美術造形の仕事としては、国立科学博物館、名古屋市科学館、福井県立恐竜博物館、熊本博物館、東京都水の科学館、東京ディズニーランド、藤子・F・不二雄ミュージアム、ほか多数で制作に携わる。著書に『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)がある。

蝸牛登山画帖

夏山シーズンには黒部源流の薬師沢小屋で働く、山と旅のイラストレーターやまとけいこさん。『黒部源流山小屋暮らし』に続く画文集『蝸牛登山画帖』より、一部抜粋してお届けします。

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