【まさか…!】泳ぎが得意なラッコが溺れる…その超意外すぎる理由とは?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第6回は、可愛い顔の大食漢、ラッコについて。

 

 

ラッコは陸上でほぼ歩けない

ラッコは、食肉目イタチ科に分類される海の哺乳類である。同じイタチ科のカワウソやイタチの中にも水辺に棲息する種がいる。

おそらく、そうしたイタチ科の一部の種が海へ進出し、ラッコの祖先になったのだろうと考えられている。野生のラッコは北半球の海にだけ分布し、アメリカ、カナダ、ロシア東部の他、最近では北海道の周辺海域にも棲息している。

食肉目に分類されるラッコは、基本的に動物性タンパク質を主食としている。大好物は大アサリやアサリ、ハマグリをはじめとする貝類で、その他、カニ・エビなどの甲殻類やウニも大好きで、硬そうな甲羅をバリバリ砕いて食べる。

小柄な体に似合わず大食漢で、水族館ではお金がかかる飼育動物のダントツ1位がラッコだそうだ。食費が半端ないのである。

さらに、今では禁止されているが、かつて野生のラッコは非常に高価な値段で取引されていた。水族館の方から聞いた話では、ラッコ1頭の値段は、ドイツ製高級車が楽々1台購入できる数字だったという。人気のある動物なので、それだけ値段を吊り上げられても取引してしまう、という状況だったようだ。

水族館でラッコを観察していると、水中と陸上での彼らの動作には格段の違いがある。毛皮を持つ海の哺乳類の中で、最も水中生活に依存しているのは、ラッコといっていいだろう。

なにしろ、ラッコは陸上でほとんど歩くことができない。
今度、水族館でラッコの陸上移動を見られるチャンスがあったら、ぜひ観察していただきたい。

人間が着るサルエルパンツという種類のボトムがある。普通のボトムより股ラインが極端に下にあり、それを着用すると、両足の間に膜ができたような格好になるが、ラッコの後ろ肢はまさにこのサルエルパンツを履いた状態で、両足と胴体が完全に毛皮でつながっている。

イラスト=芦野公平

そのため、陸上では四肢を使って歩くというよりは、まず前肢を地面につき、それを支点に体全体を前に引き寄せるように移動する。その様子、「ヨッコラショ、ドッコイショ」といわんばかりの〝シャクトリムシ歩行〞で、早く走ったりすることはできない。

ちなみに、ラッコの前肢には、イヌ・ネコとは少し違うが肉球がある。
この肉球を見ると、陸上生活を営むためにあるのではと考えたりするが、どうやら餌をつかむときに役立っているようだ。

一方、ひとたび海に入ると、本領発揮である。四肢があるので、ホッキョクグマのように犬かきをするのか、アザラシのように左右に振って泳ぐのか、と思いきやそうではない。
サルエルパンツ状態の後ろ半身を背腹に振って泳ぐのである。イルカやクジラと同じように、一枚岩となった後ろ半身を背腹に振りながら前に進む。

ラッコも、アザラシと同じように全身が毛皮で覆われている。海の哺乳類の中で被毛(ひもう)を持つ種は、陸上にいる時間がわりと長いため、寒さをしのぐために真冬の銀座のマダムのように毛皮のコートを羽織っている場合が多いが、ラッコはその生涯のほとんどを海の上で過ごす。

となると、海の中で身体は冷え切ってしまわないのか、あるいは毛が濡れて重くなり、溺れてしまわないのか、と心配になる。

しかしそこはしっかりと適応しており、被毛を密に生やして二重構造にすることで、皮膚に近い産毛(うぶげ)のような短い毛の間に空気の層をつくり、体温が逃げないようにしているのだ。

ラッコの毛皮は動物界一の密度を誇る。人間の髪の毛の総量を、ラッコの毛皮に置き換えてみると、1センチメートル四方に収まってしまうほどである。

先にラッコは大食漢と伝えたが、これも水中で常に体温を一定に保てるように、熱を生産し続ける必要があるためと考えられている。単なる食いしん坊ではなく、大食漢なりのまっとうな理由があるのである。

さらに、毛皮の外側にある長い硬い剛毛は、外からの衝撃や刺激から身体を守る役割を担う。この剛毛は皮脂腺の油分によって撥水(はっすい)性や強靱(きょうじん)性を持たせている。

そして、ラッコはこの自分の毛をいつもグルーミング(毛づくろい)する。舌でなめながら、毛表面を常に健常で清潔な状態に保ち、油分をまんべんなく毛皮の隅々まで行き渡らせ、撥水性や強靱性を維持している。そのため、体の調子が悪くなり、グルーミングができなくなると、あっという間に溺れてしまう。

こうした保温性や撥水性に優れたラッコの毛皮を、人間が見逃すわけがない。かつて、ロシアの探険家であり博物学者でもあるゲオルク・ヴィルヘルム・ステラー氏が、900枚のラッコの毛皮をロシアに持ち帰ったことから、その品質と高級感が瞬く間に評判となってしまったのだ。

アメリカのアラスカ州からカリフォルニア州にかけてはラッコの一大棲息地なのだが、皮肉にも、北米が良質な毛皮の産地であることが知られ、それはそれは大量のラッコが捕獲された。

当時、ラッコの毛皮はソフトゴールド(柔らかい金)ともてはやされ、その頃ロシアで人気のあったクロテンの毛皮よりも高値で、ロシアや中国、ヨーロッパで取引されていたようである。

以後も乱獲は続き、1820年カリフォルニアのラッコはほぼ絶滅した、とまでいわれた。日本においても、択捉(えとろふ)島からオンネコタン島に至る千島列島で盛んに捕獲され、1900年初頭には北太平洋の個体数は急速に激減した。

そうした事態を重く見て、1911年に、日本、アメリカ、ロシア、イギリスの4ケ国が国際保護条約(Fur Seal Treaty、膃肭獣(おっとせい)保護条約) を締結。これにより、1741年から1911年までの約170年続いた世界的な乱獲は終結した。

その後、アメリカは先の条約に加え、海産哺乳類保護法(Marine Mammal Protection Act)や、絶滅危惧種を保全する保護法(Endangered Species Act)などを公布。おかげで一時は数頭の群れが点在するほどまでに激減した個体数が、現在は3000頭近くまで回復した。

しかしながら、ラッコの数は今でも安定せず、未だ絶滅危惧種に指定されている。

 

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』
著: 田島 木綿子
発売日:2021年7月17日
価格:1870円(税込)

amazonで購入


【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

編集部おすすめ記事