「イッカク」だけがもつ“細長いドリル”驚きの正体とは?

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日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第22回は歯があるクジラ、「ハクジラ」について。

 

謎に包まれたハクジラを追う

クジラは、「ヒゲクジラ」の仲間と「ハクジラ」の仲間に大別される。名前の由来にもなっているように、口の中にヒゲ板の生えているのがヒゲクジラ、歯が生えているのがハクジラである。

歯のあるハクジラは、じつに興味深いクジラたちである。ハクジラ類は世界中で10科76種が知られている。深海でイカ類を食べるマッコウクジラもハクジラ類であり、マッコウクジラだけ例外的に大きいが、ハクジラ類は中型から小型の種が多い。

歯はあっても咀嚼(そしゃく)はせず、獲物を捕らえるときに使うことはあるが、そのほとんどは丸飲みする。水族館で人気者のハンドウイルカやカマイルカ、シャチやオキゴンドウもハクジラ類に含まれる。

また、ハクジラ類の中にオウギハクジラ属というグループがいるのだが、世界中では15種ほど棲息している。日本近海には、ハッブスオウギハクジラ、イチョウハクジラ、オウギハクジラ、コブハクジラの4種が棲息しているが、おそらく初めて見聞きするクジラばかりであろう。

上からハッブスオウギハクジラ、イチョウハクジラ、オウギハクジラ、コブハクジラ。体長は5メートル前後で扇形の歯をもつ。似すぎていて専門家でも見分けるのが難しい(イラスト=芦野公平)

 

実際、いずれもその生態は未だ謎に包まれている。水族館での飼育記録はほとんどなく、人の目にふれるところに姿を現すことも滅多にない。つまり、生きているオウギハクジラ属クジラの研究は世界的にもとても難しい。

しかし、冬場の日本海側ではオウギハクジラ属のオウギハクジラが頻繁にストランディングし、太平洋側では、1年を通して残りの3種、イチョウハクジラ、ハッブスオウギハクジラ、コブハクジラがそれぞれストランディングするのである。

謎めいたクジラたちのストランディング、この機会を逃す手はない。2001年3月には、日本海側の各地で1週間のうちに合計12頭のオウギハクジラのストランディング個体が発見され、私たち関係者は大忙しの状態となった。

佐渡島で1個体の調査を終え、新潟県の両津港に着いたとたんに、今度は秋田県から別の個体の連絡が入り、次に能登半島の海岸で調査をしていたら、半島の反対側でもう1頭発見されて駆けつける。そんな1週間だった。このときは、12頭のうち、7頭しか調査することができなかった。

とにかく、冬場の日本海側の寒さは非常に厳しい。気温が低いだけでなく、大雪が降り、海岸にいれば北風が容赦なく吹きつける。こんなとき、いつも鳥羽一郎さんの『兄弟船』が頭に流れる。

作業中は体を動かしているため、なんとか寒さをしのげるが、数分でも作業を止めると、とたんに手はかじかみ、体の震えが止まらず、吹雪の日には体を持っていかれそうになる。

人間だけでなく、カメラのシャッターも下りなくなり、サンプルを入れる保存液も凍ってしまう。そんな寒さなのだ。

私はといえば、4頭目を調査している途中から悪寒が走り始め、作業を終えて帰宅する途中で発熱。その後数日寝込むこととなった。

 

歯があるのにイカを丸飲みするクジラ

ハクジラ類には歯がある、と紹介したが、実はその数は種類によって大きく違っている。ハクジラにもかかわらず、その数を大規模に減らしてしまったものたちがいる。

ハナゴンドウやマッコウクジラ、オウギハクジラ属を含むアカボウクジラ科がその代表である。

さらに、アカボウクジラ科では、成熟したオスしか歯は生えず、下顎に左右1〜2対しか存在しない。メスにおいては、歯は一生生えてこない。

そもそも、ハクジラ類の歯は、歯がすべて同じ形をした「同形歯性」であり、いわゆる餌を細かくする咀嚼機能は果たしていない。シャチやハンドウイルカも同様だが、彼らはたくさんの歯を持ち、その歯を使って餌生物を捕まえたり、嚙んだりはする。

しかし、アカボウクジラ科ではオスはその歯がたった2〜4個しか存在しない上、繰り返しになるが、メスでは歯は一生生えてこない(!)のである。

このように歯の数を減少させたクジラたちにはある共通点が存在する。それは、イカ類を主食としている、ということ。どうやらイカを捕まえるときは、歯を使う必要がないらしいのである。わたしたち人間からすると、イカこそ歯がなければ食べられない食材の代表ではないか。

では、どうやってイカを捕まえるのかというと、吸い込んで丸飲みするのである。味もへったくれもなく吸い込んで丸飲みする。このとき歯を使う必要がなくなり、イカを主食とするクジラたちは歯の数を減少させていった、と考えられている。

さらに、アカボウクジラ科では、歯がオスの二次性徴として重要な機能を果たすようになった。つまり、メスを獲得するためのツールとして歯は存在するようになった。

アジアゾウの牙や、シカの角と同様に、繁殖期にメスの取り合いで闘うときに使い、当のメスへは、求愛アピールの象徴とする。このようにオスとメスで外形が違うことを「性的二型」という。

成熟したアカボウクジラ科のオスの体表には、闘った痕跡と思われる傷(相手の歯による平行な2本線の傷痕)がよく見られる。

歯のつながりでいうと、ユニコーンという空想上の動物の由来となったイッカクにもふれておきたい。イッカクも、ハクジラの一種であり、北極圏の海に棲息する。

上唇から伸びた細いドリルのようなものが〝角〞に見えたため、ヨーロッパではイッカクから空想上の動物である「ユニコーン」を創作し、いろいろな物語に登場させた。しかし、イッカクのこれは、角ではなく、分類名が示すとおり歯が発達したものである。

さらに、イッカクもこの歯は成熟したオスしか大きく成長しない。メスや子どもには外からわかる歯は見当たらない。オスでは、左の門歯だけがねじれながら発達し、上唇の皮膚を貫いて2メートル近くまで成長する。

イッカクにとっても、歯は餌を消化する器官ではなく、求愛アピールの象徴となった。長くて立派な歯を持つオスだけが、社会的地位を獲得し、メスへの求愛を許されるのかもしれない。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


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著: 田島 木綿子
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【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

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