【誤解していてごめんなさい】「鈍くさそう」に見えて、実はスゴかった…ジュゴンとマナティだけがもつ並外れた能力とは?

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日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第10回は、似ているようで結構違うジュゴンとマナティについて。

ジュゴン

 

「人魚伝説」に意義あり!

マナティやジュゴンの話をすると、必ずといっていいほど、「人魚のモデルになった生物ですよね」という反応が返ってくる。

確かに、そういう伝説が広く知られている。マナティとジュゴンは、どちらも海牛類の仲間で、乳頭が左右のわきの下にあり、子どもを抱えながら哺乳する姿が、一見すると人にも見え、それが人魚伝説の由来となった。

しかし、実際の海牛類を見ると、ディズニー映画などに出てくるマーメイドの外見とは(大変失礼だが)およそかけ離れている。

学術的にも、海牛類の正式名称の「海牛目」は、ラテン語で「Sirenia」といい、ギリシャ神話に登場する女怪セイレーン(Seirên)に由来する。セイレーンは上半身が人間の女性で、下半身は鳥や魚の姿をしていたとされている。その妖艶な姿と歌声で船乗りたちを魅了し、海に引きずり込んだとされる。

ここでも〝妖艶な姿〞と語り継がれているが、果たしてマナティやジュゴンが妖艶かというと、「うーん」としかいえない。

海の哺乳類は、魚類や両生爬虫類と違って皮膚表面がなめらかで、実際にふれると弾力性があって温かい。たとえば海で溺れて意識が不明瞭なときに、マナティやジュゴンがぬーっと現れて、たまたま陸のほうへ押し戻してくれたら、目覚めたとき「あれは人魚だった!」と思うかもしれない。

ジュゴンとマナティは、一緒くたに語られることが多い。しかし、よく見比べてもらえればすぐわかるが、結構違うのである。

たとえば、ジュゴンは浅瀬の海底に生える海草を食(は)むので、口の形が下向きである。
これに対してマナティは、海面に棲息するウォーターレタス(海草や水草の一種、和名ボタンウキクサ)などを好んで食べることから、口の形は直線状になっている。

さらに両者は、尾ビレにも大きな違いがある。
ジュゴンは、イルカと同じ三角型の尾ビレで、外洋の高速巡航(船に並走して泳ぐイルカのような泳ぎ方)にも適応できる尾ビレである。一方、マナティの尾ビレは、大きなしゃもじ型をしており、沿岸性の急発進加速度型(尾ビレを一振りするだけで急速加速できる泳ぎ方)である。

ジュゴン

マナティ

また、ジュゴンのオスには立派な牙(上顎第二切歯)があり、この牙でオスをすぐ見分けることができる。ジュゴンは、赤道をはさみ太平洋からインド洋、紅海、アフリカ東岸、日本では沖縄の周辺に棲息する。

マナティの棲息地はそれぞれの名前が示すように、アフリカマナティはアフリカ西部近辺、ニシインドマナティ(ウエストインディアンマナティ、アメリカマナティともいう)は、アメリカのフロリダ州近辺にのみ棲息するフロリダマナティと、バハマからブラジルの沿岸および河川域に棲息するアンティリアンマナティの二つに分かれる。

アマゾンマナティはアマゾン川の固有種で、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ペルーにまたがって棲息する。

中でも沖縄は、ジュゴンの分布する最北限海域にあたる。しかし近年、餌となる海草の減少や漁業などの影響でジュゴンの数は激減し、絶滅の淵にいる。

タイやフィリピン、オーストラリアの北側海域には、安定した数のジュゴンが棲息しているが、沿岸部のため人間社会の影響を受けやすく、常に絶滅の危機と隣り合わせである。マナティも同様だ。

マナティ

 

ラクに水中を浮き沈みできる秘密

一方、ジュゴンとマナティには共通点も多い。

体長は3メートル前後で、体重は250〜900キログラム、メスよりオスのほうが大きくなる傾向がある。草食性のため、盲腸があり、腸も比較的長い。消化時間が陸の草食動物よりはるかに長いのも特徴だ。

面白いことに、彼らは極力エネルギーを使いたくないのか、ただ怠惰なだけなのか、海の哺乳類の中で、最もラクな姿勢を水中で保てるような体になっている。

肺は魚の鰾(うきぶくろ)を彷彿(ほうふつ)させるように、背側一面にびっちり配置されているため、細かな姿勢制御をしなくとも、自然な姿勢で浮いていることができる。

さらに、骨格がとても重くできているので、肺から少しの空気を抜くだけで、微動だにせず沈むことも可能である。

どの生物も、骨の組織は緻密質と海綿質からできている。緻密質は骨の外側にある硬い部分で、内部の小孔と網目状からなる部分を海綿質という。水中に棲息する動物は一般に、海綿質を増やして、その間に脂肪を蓄え、水に体を浮きやすくしているようである。クジラやイルカはそれが顕著である。

一方、海牛類の骨は緻密質を多くすることで重量を増し、沈みやすくしているのだ。

プールで泳ぐ場面を想像してほしい。私たち人間もそうだが、哺乳類は意外と水に浮くよりも沈むほうが難しい。空気をたくさん溜め込んだ肺と、水より軽い皮下脂肪を蓄えているため、自然のままだと浮いてしまう。ダイビングのとき、重りを背負って潜るのはこのためである。

そこで、海牛類は骨を重くし、肺の空気を抜くだけで浮き沈みを調整できるように進化したのである。なんて素晴らしく効率的な体の構造であろう。一見すると少し鈍くさく見えるかもしれない彼らだが、彼らなりにじつに巧みに水中生活に適応している。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』
著: 田島 木綿子
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【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

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