「愛されキャラ」のスナメリに会えなくなる…その深刻理由

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日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第16回は、バンドウイルカと並ぶ人気モノ、スナメリについて。

イラスト=芦野公平

 

愛されキャラの“スナメリ”が教えてくれること

日本では、アザラシやオットセイなどの鰭脚(きょうきゃく)類や、ジュゴン、マナティといった海牛(かいぎゅう)類と比べ、クジラやイルカの鯨類のストランディング報告が最も多い。とくに、日本の沿岸にすんでいるスナメリは、1年を通してよくストランディング(漂着、座礁)する。

スナメリは、アジアの河川や沿岸域に棲息する体長2メートルほどの小型のハクジラ類である。日本では「仙台湾から東京湾」「伊勢・三河湾」「瀬戸内海」「大村湾」「有明海・橘湾」の五つの海域に、大きな集団が棲息しており、集団内では1頭から数頭の小さな群れで暮らしている。

スナメリの名前は知らなくても、口から輪っか状の泡(バブリング)を出すパフォーマンスをするイルカを、テレビやインターネットの動画で見たことのある人は多いだろう。あれがスナメリである。

クチバシも背ビレもないスナメリは、見た目は「イルカらしくないイルカ」といえるかもしれない。しかし、その丸っこくて愛らしい顔つきから、ハンドウイルカとその人気を二分するように、スナメリをモチーフにしたキャラクターやグッズが、海や地域の広報活動によく使われている。キャラクターやグッズは、子どもにも大人にも大人気である。

そんな愛されキャラのスナメリだが、海岸に頻繁に打ち上げられている現状を知る人は少ない。

長崎大学水産学部では、九州地区の海岸にストランディングしたスナメリの個体を冷凍庫に保管している。そして年1回、全国から解剖調査を希望する研究者を募り、さまざまな研究に供する試料や情報をみんなで得るための「解剖大会」を開催し、今では年度末の恒例行事となっている。

毎回、20 〜30頭のスナメリの解剖調査を行う。ということは、九州地区だけでも1年間にそれ以上のスナメリがストランディングすることを示している。スナメリは、イルカの中でも海岸近くの浅瀬に棲息している。なぜ沿岸域を好むのか、それを探ることがこの解剖調査の目的の一つでもある。

これまでにわかっているのは、沿岸に棲息する餌生物を好んで食べること、体長2メートルほどの、それほど大きい種ではないので、外洋にいる比較的大きな種類とすみ分けをしているのかもしれないということくらいだ。

沿岸域に棲息していると、人間社会の影響を受けやすい。埋め立て工事によって餌や棲息場所が失われたり、河川経由、大雨経由で陸から流出する汚染物質にさらされるリスクも高い。

埋め立て地はその最たるもので、汚染物質の宝庫といっても過言ではない。パソコン、携帯、テレビ、自動車などの部品が埋め立てられれば、それらに使われている難燃剤、塗料などから環境汚染物質が河川を経て海へ流れ出ていく。

海洋プラスチックなどの海洋汚染物質のうち、約7割が河川経由のものである、という報告もある。「蛇口をひねったその先に海がつながっていることを感じながら、日々生活することが大切」と、ある環境保護団体の方がいっていた。その通りだと私も思う。

日本の下水処理能力や施設は世界トップレベルかもしれないが、それでも検出できなかった、直径5ミリメートル以下のマイクロプラスチックが、海洋生物に甚大な悪影響を及ぼしていることが近年わかってきた。

私たちが汎用しているコンタクトレンズ、歯磨き粉やボディスクラブのツブツブ、プラスチック容器の破片などが下水に流れ、そのまま海へ流れてしまうと、海洋生物の生死に関わる一因となるのだ。

たとえば、水質の悪化による餌の減少や溶存酸素(海水に溶け込んでいる酸素の量)の低下、また、環境汚染物質が体内に蓄積されると免疫能力が低下して病気にかかりやすくなる、さらに、海面が海洋プラスチックで覆い尽くされてしまうと呼吸ができない、などの深刻な理由で、スナメリが姿を消してしまう可能性がある。

スナメリのストランディング死体を目にするたび、スナメリが身をもって、人間社会の現状に警鐘を鳴らしてくれているような気がしてならない。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』
著: 田島 木綿子
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【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

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