紅葉の八甲田山でお客様が行方不明・・・その驚きの理由から考える、登山旅行の未来

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ハンディキャップのある人が、周囲の理解と適切なサポートを受けながら、山での素晴らしい体験を味わえるようになる――、そうした機運が高まることは歓迎すべきこと。登山ツアーであった、ちょっとしたトラブル体験をもとに、これからの登山旅行を考える。

 

10月も中盤を過ぎ、各地の山の色づきはは標高を下げながら進んでいる頃でしょう。紅葉が有名な山はいくつも挙げられますが、個人的なお気に入りは八甲田山です。

八甲田と聞けば雪中行軍を思い浮かべる方が多いかもしれません。明治時代の陸軍が厳冬期に行った無謀な訓練の顛末を、新田次郎が小説『八甲田山死の彷徨』として刊行。その後、高倉健の主演で映画化され、当時の日本映画歴代配収記録を塗り替えるほどの大ヒットとなりました。

しかし、紅葉のピーク期に訪れれば、「八甲田山=紅葉の山」というイメージに変わるはずです。中でも深田久弥が『日本百名山』の中で「神の工(たくみ)を尽くした名園」と表現した毛無岱(けなしたい)の錦繍は、日本屈指の山岳景観だと言えるでしょう。高層湿原に点在する池塘が青い空を映し、カエデやナナカマドは赤や黄に染まります。その三原色のハーモニーといったら、まさに筆舌に尽くし難いものです。

いや、一応物書きでお金をいただいているので筆は取らなければいけませんが、百聞は一見にしかず。以前、筆者が撮影した写真をご覧いただければと思います。

錦繍に染まる八甲田山・毛無岱(けなしたい)


さて、今一度この写真をよーく見てください。画像の中央右側あたりに、何やら行列が写っているのがお分かりでしょうか。実はこれ、ほとんどがツアー登山の団体客。紅葉の時期の八甲田山は人が多いことでも有名で、撮影当時、登山専門旅行会社の添乗員だった筆者も、ガイドさんと共に十数人のお客様を引率している最中でした。すれ違う大勢の人たち に「こんにちは!」と交わす声も枯れてきた頃、私達のパーティーにとあるアクシデントが発生しました。

 

秋が来ると思い出す 遥かな八甲田 いない客

混雑するエリアで山岳添乗員が気をつけなければならないことは、なんといっても参加者の人数把握です。万に一つでも、お客様を置いてけぼりにする訳にはいきません。事が起きたのは、一本道の登山道脇で休憩を終え、手持ちのリストとクライアント(参加者)とを照らし合わせていた時のこと。お察しの通り、パーティーのメンバーが1名足りなかったのです。

行方不明になったのは、お一人参加の男性のお客様。「こんなところで人が消える訳がない!」と焦りつつ、ガイドさんと手分けをして付近の捜索にあたりました。すると、来た道をしばらく戻ったところで、数分前に挨拶を交わしたばかりの別ツアーの添乗員さんを発見。なぜだか筆者同様、顔面蒼白で冷や汗を垂らしています。よくよく話を聞いてみると、「なぜか参加者の人数が1人多いんです。座敷わらしを連れてきちゃったかも」「いや、それ、うちのお客さんですね」

紅葉といえば涸沢。ここもシーズンには大混雑する名所だ。


幸い、すぐに発見できたため重大なトラブルに発展することはありませんでしたが、自分が参加したツアーのガイドや添乗員の顔を覚えられないのはともかく、歩いてきた方向へ逆戻りする別ツアーに付いて行ってしまったのは尋常ではありません。その後の言動なども含めて推測する限り、このお客様はどうやら認知症をお持ちのご様子。

しかし、それがツアー中に発覚したとして、添乗員になす術はありません。無論、「旅行開始後の解除権()」を使って一人でご帰宅いただくのは人道的にもNGでしょう。ホテルで同室になった方にそれとなく事情をお伝えするなど、他のお客様のご協力によってなんとか日程をこなすことができましたが、いつも以上に気疲れし、ほうほうの体で帰路についたのでした。

ツアー中に旅行者の契約の一部を旅行会社側から解除できる権利。病気や怪我などでツアー参加の継続が難しくなった際にも行使できる(・・・という建前)。

 

旅行の取り消しは本人しかできないという罠

筆者が経験した事例はほんの氷山の一角に過ぎないでしょう。客層柄、旅行会社で働いていると、電話越しにも認知症の疑いが感じられるお客様からご相談・お問い合わせをいただくことはそう珍しくありません。お話し相手になってあげるのはやぶさかでないものの、困ってしまうのは、そのような方から実際にツアーのご予約をいただいた時です。

現場のスタッフや他のお客様の迷惑にならないかという心配はもちろんですが、なりすまし防止や個人情報保護の観点から、実は旅行は一度契約してしまうと本人以外に取消ができない仕組みとなっています。たとえご家族の方であったとしても、原則として他人がツアーをキャンセルすることはできません。

ご家族の方へ予約受付の確認をとりたくても、認知症の自覚がない当の本人からは「なんで?」と拒否されてしまうケースがほとんどです。また、前述の八甲田山の件のように、そもそも旅行会社側が認知症だと気付かずに予約を受けてしまうことも考えられます。意図しない旅行代金の支払いや、危険なツアーへの参加を防ぐため、介助者はときおり旅行会社との通話履歴やメッセージ内容を確認した方が良いかもしれません。

チベットなどの高所もリスクが高いデスティネーションのひとつ


そうとは言え、「認知症の疑い」程度に見受けられる方であっても、特に費用が高額な海外旅行やハイリスクな登山ツアーなどに関してはやんわりと受付をお断りしている旅行会社が多いのではないでしょうか。しかし、2021年5月に障害者差別解消法が改正され、(認知症を含む)障害を理由とする「差別的取扱いの禁止」に加え、従来は努力義務だった「合理的配慮の不提供の禁止」も法的義務へと変更されました。認知障害があるから(あるいは疑いがあるから)という理由だけでツアー参加を拒否すると、一年以下の懲役または50万円以下の罰金が課せられてしまう可能性があるのです。

筆者は福祉や法律の専門家ではありませんので、これ以上、このセンシティブな問題を論じるのは控えます。しかし、お客様本人やそのご家族に気を使ったつもりが、反対に「合理的配慮の不提供だ」と訴えられてしまうかもしれないなんて、旅行会社にとってはなんとも不都合な真実です。

 

大切なのは家族のサポートと事前の打ち合わせ

ただし、旅行会社の社員や登山ガイドという立場としては、認知症や障害をお持ちの方であっても進んで登山に挑戦していただきたいと考えています。そもそも、山は健常者にとってもチャレンジングな目標であり、そのハードルは高ければ高いほど達成感が得られるものだと思うからです。

実際、風の旅行社でも車椅子のお客様をネパールトレッキングへお連れしたことがありますし、筆者も添乗員として片脚が義足のお客様とブータンの山へご一緒したこともあります。車椅子のお客様は現地スタッフ数名が交代で「おんぶ」することで踏破し、義足の方はガレ場だけショートロープでバランス補助をすることで登頂に成功しました。

右側が義足のお客様と登ったブータンの岩山


このように、出発前の打ち合わせ次第で合理的な配慮はいくらでも考えられます。八甲田山で一時行方不明になったお客様に関しても、事前に旅行会社側が認知症だという情報を得て、介助者に同行してもらうなどの対応策をとっていれば、全く問題なくツアーにご参加いただけたはずです。大切なのはご家族のサポートと出発前のブリーフィング。この2点に尽きるのではないでしょうか。

まずは旅行会社に相談することをお勧めします。手前味噌になりますが、風の旅行社は問題を原理原則で処理せず、お客様それぞれに沿った形でツアーを提案できる柔軟さが自慢です。障害をお持ちの方やそのご家族の方も、「やりたいこと」「やりたくないこと」「できること」「できないこと」を気軽にお知らせください。募集型企画旅行(いわゆるパッケージツアー)への参加が難しいと思われる場合も、オーダーメイドの受注型企画旅行として独自にアレンジいたします。

ダイバーシティやインクルージョンが叫ばれる昨今。本年には東京パラリンピックも開催され、よりハンディキャップを持つ方々に対する差別解消への機運が高まっていると言えるでしょう。最後は会社の宣伝のようになってしまいましたが、様々な特徴・属性を持つ方々へ登山や旅行の魅力を紹介できれば、筆者としてもそれほど嬉しいことはありません。

 

プロフィール

川上哲朗

日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ、旅程管理主任者。(株)風の旅行社で主にネパールトレッキングの企画・販売を担当。
コロナ禍において山のライター、シラス漁師、鮮魚店の売り子、ポニーのお世話などの副業を始め、あらためて自分の好きなことを仕事にする喜びを感じている。1985年生まれの子育て世代。ペットは深海生物のオオグソクムシ 。

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