「沖縄でジュゴンの死体が発見された」…動物解剖学者が苦闘の末に見つけた「真犯人」とは?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第18回は沖縄で行なったジュゴンの解剖調査について。

 

「田島さん、沖縄でジュゴンが死んだので」

日本では、南西諸島の沿岸に野生のジュゴンがわずかばかり棲息している。ここはジュゴン棲息域の最北限にあたる。しかし、米軍基地や空港建設などの影響で、ジュゴンの餌である海草の棲息地が激減し、今や最も絶滅の危機に瀕している。

ジュゴンを守るために、日頃から保護団体と政府間でさまざまなやりとりが行われていることをご存じの方も少なくないだろう。

数年前のある日、環境省の方からいきなり科博の私のもとへ連絡がきた。
「沖縄で、成体のメスのジュゴンの死体が発見され、環境省と沖縄美ら海水族館主導で死因解明の解剖調査を実施するのですが、調査に際していくつかの助言をいただきたいのです」とのこと。

ちょっと大変なことになりそうな予感がした。調査結果は、生物学的なことだけにとどまらない。前述したように政治的な問題にも関わることを思うと、それなりの覚悟が必要である。

そもそも、解剖調査を行って死因を特定できるかどうかもわからない。専門家チームが集結して「何もわかりませんでした」では済まされない事案だと感じた。そこで、協力できるかどうかは別として、とりあえずお話を伺うことにした。

環境省の人の話は、次のような内容だった。

沖縄では、環境省を含む研究チームが、ハイドロフォン(水中マイク)を各所に設置し、沖縄周辺のジュゴンの棲息場所や行動観察を行っているが、そのハイドロフォンに、ある時期、数日にわたって夜間しきりにジュゴンの鳴き声が録音され、その鳴き声があまり聴いたことのないタイプのものであったとのこと。

その後まもなくして、ジュゴンの死体が発見されたことから、おそらく鳴いていたのはその個体であり、生前、その個体に何かしらの事態が起こって死亡したのではないか、そう推測しているようだった。

現在、ジュゴンの死体は、地元の水族館に運搬され、解剖調査チームを編成しているのだが、私にどのような部位を観察して、どのようなサンプルを取り、どのような追次検査(細菌検査や血液検査、環境汚染物質解析など)をすれば死因解明につながるのかを助言してほしい、ということだった。

「そんな、簡単におっしゃいますが……」と、心の中でつぶやく。

クジラやイルカの調査であれば、過去の経験からある程度の見通しもつくが、海牛類の調査は、フロリダでの経験しかない。簡単にいえば、まったくもって自信がなかった。ところが、そんな思いとは裏腹に、自分でも驚くような言葉が口をついて出た。

「ジュゴンもクジラと同じ哺乳類なので共通性はあります。何かしらの異常や変化があればわかるでしょう。もし調査を行うのであれば、私もその解剖調査チームに参画させていただけますか?」

ええーーっ! 何をいっているんだ私、と心中パニックである。

またやってしまった。最初は「お話を聞くだけなら」とか「引き受けるかどうかは検討したい」と伝えていたのに、最終的に研究者としての興味や探究心が勝ってしまい、ナント自ら立候補しているではないか。

電話を切って頭を抱えていると、近くで一部始終を聞いていたスタッフに「大丈夫ですよ、田島さん。いつものことじゃないですか」といわれる。確かにそうだ。いつものことなのだ。あとは当たって砕けろ、である。

環境省からの折り返しの電話で、めでたく(!)私も解剖調査チームに加えていただくことになり、すぐに沖縄に飛んだ。

 

ただならぬプレッシャーの中、死因を探る

環境省から連絡をもらった数日後には、「めんそーれ」の言葉に歓迎され、那覇空港に到着していた。

そして、翌朝、水族館へ到着し、関係者とあいさつを交わしたあと、調査対象のジュゴンと対面した。

全長は3メートルはあっただろうか、丸々と肥ったとても立派な体格をしたメスの個体である。おそらく相当年齢のいった個体であることが外貌から見て取れたので、老衰死も視野に入れる必要がある、とすでに病理屋のスイッチが入る。

外貌の計測や写真撮影をスムーズに終え、内臓の調査に突入する。同じ海の哺乳類でも、クジラとは内臓の配置が全然違っていた。マナティとも違う。まず、心臓がノドのすぐ下(胸腔の最頭側)にあるため、表皮を剝がすときは慎重に慎重を重ねた。

肺は背側に一面に並んでいるため、先におなかの臓器を出さないと、肺全体を見渡すことができない。腸は草食性ならではの、とても長く、とても太いもので、クジラよりも扱いが大変だった。

調査中、沖縄の暑さが体力を奪っていく。解剖室は決して風通しがよいとはいえず、さらに感染症対策のための防護服とマスクが暑さに拍車をかけていた。いつも以上に汗まみれの状態で、腸を少しずつ引っ張り出したり、心臓を慎重に取り出したりしていく。果たしてどんな結果になるのかという緊張感もあり、変な汗も一緒に出ていた気がする。

わずかな休憩時間に、スポーツドリンクを一気に飲み干す。
ふと、子どもの頃に、父親がいつもストローの包装紙を蛇腹に折って、そこに水を1滴垂らし、ジュワーッと伸びて生きた毛虫のように見える芸当を、妹と私に見せてくれたことを思い出す。その包装紙の毛虫さながらに、体中にジュワーッと水分が染みわたった。

解剖、再開。

取り出した主要な内臓には目で見る限り、異常はまだ見つからない。念のため、病理検査用にサンプルを採取していく。改めて、皮膚の表面に変化がないか、頭側から慎重に観察していく。

すると、体幹の右腹側の皮膚に、何やら穴のようなものを発見したスタッフがいた。一同で改めてよく観察してみると、確かに直径1センチメートルほどの穴が開いている。穴はまだおなかに残っていた腸の方向に向けて伸びており、そこに長さ23センチメートルのエイの棘らしきものが突き刺さっていた。

「ヤッタ!」と、声を出しそうになる。

しかし、ひとまずぐっとこらえて棘の先を探っていく。すると、腸の一部が棘によって破裂し、腸の内容物が腹腔の中に散乱していた。間違いなくこれが死因である。自然死とわかった瞬間、現場の空気が一気にゆるんだ。

その後の追次調査で、棘は沖縄周辺に棲息するオグロオトメエイというエイのものであることが判明。オグロオトメエイは、ダイビング業界でも危険生物リストに挙げられている種だ。人間も、この棘に刺されると、ケガをしたり、死亡したりする場合もある。

メスのジュゴンは、エイの棘が刺さったあと、その痛みに耐えかねて夜間ずっと鳴いていたのだろう。鳴き声が数日にわたって録音されていたことを思うと、いたたまれない気持ちになる。

ジュゴンがエイの棘で死んでしまうなんて、誰も想像していなかった。実際に一件一件、解剖調査をすることで、こういう知見が蓄積されていくのである。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』
著: 田島 木綿子
発売日:2021年7月17日
価格:1870円(税込)

amazonで購入


【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

編集部おすすめ記事