ルポ・白馬鑓温泉小屋。「雲上の露天風呂」を守り続けて
『山と溪谷』2023年8月号の特集「北アルプス山小屋物語」から、山中の秘湯を訪ねたルポをご紹介。北アルプス北部・白馬岳を主峰とする白馬三山。その一つ、白馬鑓ヶ岳の懐深く、冬には雪崩の通り道になる一角に毎年建てては壊す山小屋がある。夏でも4時間は歩かないと入れない雲上の露天風呂が自慢だ。
写真・文=菊池哲男
2022年8月、3年ぶりに白馬鑓(はくばやり)温泉小屋が営業を再開したというので、現地を訪れた。白馬鑓温泉は北アルプス北部に位置する白馬三山の一つ、白馬鑓ヶ岳直下の標高2100m という高地にある。冬季は雪崩を避けるため、毎年6月に小屋を組み立て、10月に解体されるというなかなか手のかかる山小屋だ。
2020年の夏、自慢の露天風呂に経年劣化による穴が開き、お湯が流れたことで登山道の下にトンネル(大きな空洞)ができてしまい、非常に危険な状態になった。この小屋をはじめ、白馬山荘などこの山域で7つの山小屋を経営する株式会社白馬館の松沢貞一社長によると、小屋の地盤修復と登山道の付け替え工事には3000万円以上の費用がかかり、登山道整備などの名目で国と村から補助金が出たものの、結局大半が会社の支出となった。工事費用の半分以上がヘリによる資材運搬費で、ここにも最近のヘリ代高騰の波が重くのしかかっている。これを知った、ある山の関係者からは工事のためのクラウドファンディングを持ちかけられたが、コロナ禍ということもあり、バタバタしているうちにタイミングを逃してしまったという。もしこれが実施されていれば、秘湯の一軒宿ファンや残雪期山スキーシーズンに私を含めてこの温泉目当てに登ってくる輩は多いので、それなりに寄付が集まったと思う。
さて当日、まだ暗いうちに白馬岳の登山口・猿倉に入り、駐車場で星夜の白馬(しろうま)岳を撮影してから出発。すぐに鑓温泉への標識に導かれてブナ林を登っていく。やがてジグザグの急斜面をやり過ごし、もう少しで小日向(おびなた)のコルというところで若い女性二人組に追いついた。うち一人はほぼ空荷であったため、「もしかして小屋のスタッフ?」と声をかけると一人は下の猿倉荘のスタッフで、もう一人はこの日から鑓温泉小屋で働くという九州出身の医学生・中尾圭さんだった。コルまで見送ってもらい、その先は一人で行くことになっていたらしく、よかったら一緒に行ってあげてくださいと頼まれた。こちらも気ままな一人山旅だったので、ちょうどよいと引き受けた。
小日向のコルを越えたところで、厚い雲の下にめざす白馬鑓温泉小屋が小さく遠望できた。「あれが白馬鑓温泉小屋だよ」と指さすと「ひゃ~、凄いところに立ってますね!」と驚きを隠さない。聞けば高校時代は山岳部で北アルプスは憧れだったという。さまざまな高山植物を愛でながらごうごうと流れる杓子沢を仮設橋で渡り、杓子岳の中腹を巻くように少しずつ高度を上げていく。この道は水要らずの登山道で、何ヶ所も湧き水が出てくる場所がある。試しに勧めてみると圭さんは両手ですくって「おいしい!」と目をキラキラさせて笑った。さらに仮設橋で流水を渡り、雪渓をトラバースして急な斜面を登っていくとお目当ての白馬鑓温泉小屋だ。小屋直下はテント場になっていて、その一角に無料の足湯があり、数名の登山者が足湯を満喫している。
新しくつけ替えられた登山道から露天風呂の脱衣所入り口にある「ゆ」と記された大きな暖簾の横を登って裏山が迫る山小屋の売店兼食堂へ。今日からスタッフとして加わる圭さんを無事送り届け、部屋に荷を下ろして早速、リフォームされた露天風呂に入る。以前と比べると奥行きが少しだけ狭くなったような気がするが、床が平らになり、歩きやすくなった。今にも倒れんばかりに湯船に迫っていた石垣も整備されて威圧感はなくなった。それでも野趣たっぷり、源泉かけ流しであることに変わりはない。
お風呂から上がり、食堂に戻ると新人スタッフの圭さんが早速、この小屋の支配人・嶺村昌弘氏やほかの先輩スタッフに受付など仕事の説明を受けていた。そうこうしているうちにもどんどんお客さんがやってくるので、対応に大わらわだ。一般的に夏の山小屋は学生など若いアルバイトスタッフが多く、撮影の合間や従業員の食事の際に彼らと話すのも楽しみの一つになっている。年齢差もあり、すぐには打ち解けないのだが、夕食後など空いた時間に皆を集めて即席のスマホ撮影教室を開き、構図の基本や露出、ホワイトバランスなどマニュアル撮影法を伝授すると一気に仲よくなって、翌日などは休憩していると頼まなくても珈琲を入れてくれたりするからおもしろい。取材が長引いて連泊したときなどには満天の星の下で星座を解説したり、中には早朝の撮影についてくる子もいたりする。残念ながら今回は1泊の突撃取材、しかも夜景狙いなので、その時間はなかったが・・・。
小屋下の露天風呂は、夜には女性専用の入浴時間が設けられている。隣に囲いのある屋根開きのお風呂もあるが、やはり開放感が違うという。星空の下で入る山の露天風呂は最高だ。皆が寝静まった深夜、垂れ込めていた雲が取れて、期待の星空が広がった。超広角レンズで構図を決めると狙い通り、まるでちょっとした老舗温泉旅館が液晶モニターに浮かび上がった。
(取材日=2022年8月2〜3日)
カラー化して見る昔の白馬鑓温泉と人々と歴史
湯量が豊富な白馬鑓温泉は江戸時代から知られている名湯。1876(明治9)年には細野(現八方)の丸山九一(くいち)、丸山盛代、丸山幸吉の3人が山麓への引湯事業に取り組むが、小日向山双子岩下の仮小屋を雪崩が襲い、21名の犠牲者を出し工事は中止。その後、白馬岳山頂直下の測量用岩室を改造し、日本初の登山目的の山小屋(現在の白馬山荘)を開設した松沢貞逸(ていいつ)が1922(大正11)年鑓温泉小屋の権利を取得し今に至る。
白馬鑓温泉小屋を訪ねるモデルコース
白馬三山(2泊3日)
猿倉⇒白馬大雪渓⇒白馬山荘(泊)
⇒白馬岳⇒鑓ヶ岳⇒白馬鑓温泉小屋(泊)
⇒小日向のコル⇒猿倉
猿倉から白馬尻経由で大雪渓、小雪渓を登る。お花畑に囲まれた登山道を通り、テント場のある村営頂上宿舎か白馬山荘へ。白馬岳山頂を往復して杓子岳、鑓ヶ岳を縦走し、鑓温泉分岐より白馬鑓温泉へ下る。小日向のコルを経由して猿倉へ。
●参考コースタイム
1日目:計6時間、2日目:計5時間、3日目:計4時間
●アクセス
[公共交通機関]往復 JR大糸線白馬駅(アルピコ交通バス、30分、1000円)猿倉 アルピコ交通バス白馬営業所 TEL:0261-72-3155
[マイカー利用]上信越道長野ICより60km、1時間30分で猿倉へ(無料、200台)
●問合せ先
白馬山荘、白馬鑓温泉小屋 TEL:0261-72-2002(白馬館)
●2万5000分ノ1地形図
白馬岳・白馬町
(山と溪谷2023年8月号より転載)
プロフィール
菊池哲男(きくち・てつお)
写真家。写真集の出版のほか、山岳・写真雑誌での執筆や写真教室・撮影ツアーの講師などとして活躍。白馬村に自身の山岳フォトアートギャラリーがある。東京都写真美術館収蔵作家、公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員、日本写真協会(PSJ)会員。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。