今、紅葉の見頃を迎えている山はここ! 10月中旬〜10月下旬におすすめの紅葉の山ガイド 〜中央本線沿線・丹沢編〜

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都心から西に延びるJR中央本線の沿線や丹沢山塊には、東京からアクセスしやすい場所ながら広大な自然が広がる。10月中旬以降に紅葉が見頃を迎える上記エリアから、3山を紹介しよう。

展望の頂からブナ原生林の尾根へ 大菩薩嶺(だいぼさつれい)

山梨県/2057m
大菩薩峠登山口〜丸川荘〜大菩薩嶺〜介山(かいざん)荘〜石丸(いしまる)峠〜牛ノ寝(うしのね)通り〜鶴峠 日帰り/4時間
紅葉の見頃:10月上旬〜10月下旬

ササ原が広がる大菩薩嶺の稜線(写真=PIXTA)
ササ原が広がる大菩薩嶺の稜線(写真=PIXTA)

中央本線沿線には、魅力的な山が多く、なかでも大菩薩嶺の人気は高い。関東周辺の中級山岳は樹林が発達した山が多いが、大菩薩峠〜大菩薩嶺は明るいササ原や草原の尾根道で富士山や南アルプスの展望が抜群。さらにアクセスがよく、日本百名山であることなども人気の理由だ。日帰りの登山者が多いが、ゆったり山小屋泊できるのも魅力。一泊して、ブナ原生林がみごとな牛ノ寝通りへ縦走する充実コースをおすすめする。雷岩(かみなりいわ)からの展望や、牛ノ寝通りのブナ林の紅葉のトンネルなど、見どころ満載だ。(文=石丸哲也)

雷岩付近からは富士山方面の展望がよい(写真=PIXTA)
雷岩付近からは富士山方面の展望がよい(写真=PIXTA)
牛ノ寝通り方面はブナ林が広がる
牛ノ寝通り方面はブナ林が広がる

MAP&DATA

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山行アドバイス

例年の紅葉の見頃は大菩薩嶺〜大菩薩峠が10月上旬〜中旬、牛ノ寝通りが10月中旬〜下旬。大菩薩登山口から丸川峠経由で登り、牛ノ寝通りを鶴峠まで踏破すれば、充実した縦走となる。上日川(かみにっかわ、かみひかわ)峠から登り、大ダワから小菅(こすげ)の湯へ下るなら日帰りも可能。

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この記事に登場する山

山梨県 / 関東山地

大菩薩嶺 標高 2,057m

 大菩薩峠の北にあり、三等三角点が埋められている。伝説によると、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光が奥州に遠征時、道を失ったが、木こりに化けた軍神の導きでここを越えた。彼は軍神の加護に感謝し、八幡大菩薩の名を高らかに称えた。これが山名の由来とのこと。  戦前、戦後ともにハイキングのメッカであり、中腹まで車が使える昨今はなおのことである。この山が有名になったのは、なんといっても、大正2年に始まった中里介山の小説『大菩薩峠』によってであろう。中腹の勝縁荘(休業中)には介山直筆の「大菩薩峠勝縁荘」の扁額も残る。  山頂こそ展望には恵まれないが、南面の尾根筋はカヤトの原で、日川の谷を前景にした富士山をはじめ、西側の甲府盆地を下にして連なる南アルプスは、上河内岳から甲斐駒ヶ岳まで、まさに一目千両といった感じである。  さて、昔、奈良の大仏を見た甲州人が、その大きさに驚いた。ところが彼は、「甲州に来れば小仏でも三里、大菩薩となれば八里もある」とほざいたという。甲州人はなんと負け惜しみの強い人種だろうか。  登山口の裂石(さけいし)から大菩薩峠経由山頂まで4時間、同じく丸川峠からも4時間で山頂に達する。

山梨県 / 富士山とその周辺 御坂山塊

開運山 標高 1,785m

 三ツ峠は岩登りのゲレンデとして古い歴史がある。大正13年6月1日、沼井鉄太郎らにより試登され、その記録が発表された。昭和4年には富士山麓電気鉄道(現富士急行)が営業運転を開始し、新聞輸送を兼ねて、早朝3時前後の電車を運転していた。休暇の少なかった勤労青年も夜行日帰りが可能となり、多くの岳人を迎えた。  それ以前は、唯阿大和尚の開山になる信仰の山であった。富士急行の三ツ峠駅からの表登山道には今も数々の旧跡が残っている。  三ツ峠は、3つのドッケ(突起)から成り立ち、三ツ峠の字をあてた。これに二説がある。岩登りのゲレンデ、屏風岩のピークを開運山といい、二等三角点が埋設されている。これに北側の電波塔のある御巣鷹山、南の木無山を加えた総称。もう一説は、開運山の東のやはり電波塔のある中峰、東峰を含めた三峰の称。どうも後者の方が山名の由来にふさわしい感じがする。  ここから眺める富士山、南アルプス、北アルプス、奥秩父、八ヶ岳、道志の山など、眺望は絶品の一語に尽きる。  表登山道の三ツ峠駅から4時間30分で山頂へ。最短コースは御坂トンネルの先の裏登山口から1時間30分で山頂に達する。

神奈川県 / 丹沢山地

大山 標高 1,252m

 丹沢山塊の東部、伊勢原、厚木、秦野の3市の境に位置している。今から1200年前の開山と伝えられ、山麓から均勢のとれたピラミッド型の山容がひときわ高く望まれ、農業の神、雨乞い、海上安全、商売繁盛の神として多くの信者を迎えていた。そのほとんどが伊勢原から阿夫利神社への参拝だったので、実際には大山は伊勢原にあったというべきだろう。  江戸時代には大山参りとして、江戸市民のレクリエーションの場にもなり、江戸から伊勢原への道が大山街道として賑わった。山麓には、大山講中の門前町も残っている。  表登山道は伊勢原駅前からバスで大山ケーブル駅、参道を歩いてケーブルに乗れば6分で下社駅、さらに頂上まで約2時間。秦野駅からバスでヤビツ峠まで行けば1時間で頂上。山頂の奥ノ院の裏側に回ると富士山の展望が開ける。ほかに本厚木から広沢寺(こうたくじ)温泉経由で徒歩2時間30分の静かなコースもある。

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