奥多摩に滝を見に行き、道迷い。深夜2時まで続いた83歳リーダーの奮闘
20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた著者が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴る。安易な気持ちで奥多摩に登る登山者に警鐘を鳴らす書、ヤマケイ文庫『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』から一部を紹介します。
文=金 邦夫
83歳、リーダーF氏の奮闘
1998年8月21日、真夜中の午前2時、職場の宿直から電話で起こされた。「昨日、海沢の三ツ釜の滝を見にいった高齢者6人パーティがいまだ帰宅していないので、朝5時から捜索する。出番の山岳救助隊員全員に召集をかけた」という連絡であった。いまから一眠りしたのでは間に合いそうもないので、支度してすぐ奥多摩に車を飛ばした。
未帰宅者は、男性F氏(83歳)がリーダー、ほかは全部女性で76歳、75歳、68歳、65歳、63歳の6名だという。道に迷い、どこかでビバークしているのだろうか。
午前3時30分、奥多摩交番に到着すると、勤務員が「午前2時過ぎ、全員氷川に下山したので、捜索は打ち切りと本署から連絡がありました」という。その旨召集した山岳救助隊員には連絡したが、私だけが家を出たあとだったので連絡が取れなかったという。ともあれ全員無事だったのだからよかった。体力のない高齢者の遭難には一番気を遣う。その日は寝不足で一日の勤務を終えた。
翌々日の昼過ぎ、高齢のご婦人が足を引きずりながら中年男性の肩につかまり奥多摩交番を訪れてきた。「うちのおふくろが、先日ご迷惑をかけた山岳救助隊にぜひお詫びを言いたいときかないもので」と中年氏。ともかく中に招き入れ事情を聞いた。
ご婦人は先日捜索願いが出されたFさんパーティの一人でHさん(75歳)であった。「パーティの下山が遅れ、山岳救助隊のみなさんには大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」とお詫びのあと、「あの日はひどい目に遭った」と愚痴をこぼしはじめた。
Hさんの語った内容はこうである。近所のハイキング仲間であるF氏の発案で、海沢の三ツ釜の滝を見にいこうということになり、高齢者6人で奥多摩にやってきた。
F氏は昔山をやっていた人で、山のことには詳しかったという。
6人は奥多摩駅から海沢林道を三ツ釜の滝まで歩いた。三ツ釜の滝は、林道から登山道に入り5分くらいのところにある。真夏ではあったが美しい滝を見ていると暑さを忘れた。
さてその次はネジレの滝、海沢大滝と進み、昼食のあと、F氏は「ここからいくらでもないから大岳山に登ろう」と言いだした。その時点ではまだみんな疲れてはいなかったのでF氏の提案に従い海沢探勝路を登りだした。
F氏は地図を持ってきていた。ずいぶん年期の入った、戦後まもなく出されたものだと、ご自慢の地図だった。その地図をたよりに登ったが、どうしたものか途中で道に迷ってしまった。F氏の先導でどうにか大岳山の尾根には出たものの、途中の急登でみんなはヘトヘトに疲れ切ってしまった。
すでに午後5時に近かったが、夏の陽はまだ高く、F氏は「ここまで来たら鋸山を通って氷川に下ったほうがいい」と言って、疲れているみんなを励まし鋸山に向かった。起伏の少ない尾根道ではあったが、休む時間が多くなり、鋸山の山頂に着いたときは夏の日も暮れかけていた。鋸尾根はその名のとおり、起伏の多い長い岩尾根である。鋸山の肩から鉄ハシゴを降り、西側に10分も下れば、いまは舗装された立派な鋸山林道が五日市側の神戸から奥多摩の氷川まで通じているのだが、しかし悲しいかな戦後まもない地図にはその整備された林道も載っていなかったろう。
もちろん日帰りで滝を見にきたのだから、ヘッドランプなどだれも持ってきてはいない。
さあ、ここから83歳リーダーF氏の奮闘がはじまる。これから暗くなろうとする険しい鋸尾根をどうやって降りたか。昼間でさえ滑落事故の多い岩尾根である。
鋸山頂から薄暗いヒノキの林の中を、F氏の指示で一列になりゆっくりと降り、最初の急坂を下るころ、日はすっかりと暮れた。リーダーF氏自身も83歳という年齢からくる疲れで足元がおぼつかなくなってはいたが、自分が連れてきたという責任と、ただひとりの男性という手前、本人が弱みを見せることはできなかったろう。
F氏はみんなを励ましながら慎重に下った。暗い林の中の登山道は一列になり手をつないだり、前の人のザックにつかまったりしながらソッと足を出し、一歩いっぽの安全を確認しながら進んだ。鋸尾根の中間部からは左右に切れ落ちた、起伏のある岩尾根に変わる。登りはみな四つん這いになり岩場を登り、そして下りはみんなが尻を着き、片足ごと手探りならぬ足探りでスタンスの安全を確認し歩を進め、尻を下に移動し、こんど反対の足で岩場を探る。こんな方法で鋸尾根を下ったのである。なんとも危なっかしい下山であった。天聖山周辺の岩場では、氷川の灯りが眼下に美しく見えたことだろう。
ともかく昼間なら時間的には1時間半もあれば下れるが、急な岩尾根でいままで事故も多発している険しいコースを、暗闇のなか懐中電灯も持たず、7時間近くもかけて1名の落伍者もなく氷川まで下ったのだから幸運としか言いようがない。
午前2時近く、登計の民家までたどり着き、F氏は自宅へ電話した。しかし奥さんは警察に捜索願いを出したあとだったので、再び警察に電話をかけ、無事下山した旨の連絡を入れたというものであった。
Hさんは次の日、体中が痛み、一日中寝ていたという。擦り傷、打ち身、青痣などがいたるところにあり、「あんな目に遭うのならもう山には絶対登らない」と散々愚痴をこぼし、息子さんの肩につかまり帰っていった。
侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌
奥多摩のリアルがここにある。 山岳救助隊を20年にわたって率いた著者が鳴らし続ける警鐘。
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