軽アイゼンで厳冬期の冬山登山縦走へ―― 2023年12月25日、八ヶ岳連峰で発生した遭難事例。長野県警察山岳遭難救助隊レポート

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2023年末、八ヶ岳連峰で山岳遭難事故が発生した。「凍結した登山道で滑落して行動不能、救助された」という一言では説明できない実際の救助の様子を、実際に救助に当たった長野県警察山岳遭難救助隊が掘り下げ、遭難事故が起きた背景を検証。登山中のリスク対策や事前準備の重要性について、あらためて問いかける。

※本記事は、長野県警察・山岳情報、「山岳遭難の現場から~Mountain Rescue File~」(1月11日版)を編集・転載したものです。

 

長野県警山岳安全対策課では、実際の遭難事例を掘り下げ、その原因や背景を検証しました。登山中のリスク対策や事前準備の重要性について、今回の事例を参考に考えてみましょう。

令和5年中の長野県内の山岳遭難は、統計史上最多となる302件を記録し、昨年に続いてコロナ禍以後増加傾向にあります。登山は誰もが楽しめるアウトドアレジャーですが、山岳という自然環境で行う活動のため、常に一定のリスクが潜んでいます。

今回は、昨年12月25日に八ヶ岳連峰で発生した遭難を題材に、登山中のリスク対策や事前準備の重要性について皆さんに考えていただきたいと思います。

 

権現岳を過ぎ、ハシゴの通過時にスリップして滑落

Aさんは、埼玉県在住の24歳の男性で、登山歴は夏山2年程度。今回は、かねてから冬山を登ってみたいと考えていたことから、インターネットなどで調べ、八ヶ岳登山を計画しました。

Aさんは、12月24日の深夜に山梨県側の登山口から入山し、三ツ頭を経て、翌25日午前9時頃、権現岳の山頂を過ぎ、長いハシゴの下りで積雪に足を滑らせて10mほど滑落。幸いケガはなかったものの、アイゼンを装着しておらず、自身の技量ではその場から登山道に登り返すことができなかったため、110番通報をして救助要請をしたのです。

滑落現場となった凍り付いたハシゴ

滑落したときの状況についてAさんは、

「ハシゴに雪がついて凍っていたのでハシゴは使用せずにハシゴの横を降りていたところ、足を滑らせて尻餅をついて滑り台を降りるように滑落した」
「10m くらい滑落し、斜度がなだらかになった場所で足で止まった」

と説明していますが、岩の斜面を滑落しながらケガがなかったことは幸いでした。

 

聴取途中で音信不通となるが、ヘリで発見、救助

Aさんから110番通報を受け、管轄の茅野警察署はさらに詳しい状況聴取を試みましたが、途中で通話が切れ、以後、Aさんと音信不通となってしまいました。ただ、Aさんが110番通報時に自身の現在地の緯度経度を口頭で伝えており、場所についてはおおむね特定できていたことから、位置情報に基づいて県警ヘリによる救助活動を行うこととしました。

Aさんの下へ降下する隊員

午前10時29分、県警ヘリ「やまびこ1号」が現場上空に到着し、登山道から約10m下部の急斜面にいるAさんを確認。斜面から直接のヘリ収容は、足場が不安定だったことから回避し、救助隊員2名をホイスト降下させ、安定した場所まで引き上げてからホイスト収容することになりました。

救助隊員が、Aさんをロープで安全確保しながら安定した稜線まで移動させ、午前11時57分無事機内収容し、茅野市内のヘリポートへ搬送して救助を完了しました。

 

聞き取りから見えてきたことは・・・

救助完了後にAさんに聞き取りを行ったところ、計画や事前準備段階で多くの問題を抱えていることがわかりました。別の言い方をすれば、入山前に既に遭難しているとも言えるような非常に危うい登山をしている状況が明らかになりました。

しかし、これらはAさんのみの問題ではなく、私たちが接してきた最近の登山者や遭難者に共通する問題とも言える内容でした。

Aさんと合流。無事を確認

 

本格的な冬山経験はなし。八ヶ岳を選んだ理由は「天気が安定していそう」だったから

Aさんは、2年くらい前から登山を始め、冬山にも興味が湧き、今回初めて冬山登山を計画しました。Aさんは事前にインターネットで冬に登れる山を検索したところ、八ヶ岳の情報が多くヒットし、

「内陸で比較的天候が安定している」 
「予定している日の気象予報が良かった」 
「アクセスが良い」 
「北アルプスは吹雪のイメージがあり厳しい」

と思い、八ヶ岳を選んだとのことです。

確かに八ヶ岳は、アクセスも良く、北アルプスと比べれば冬山の入門的な位置付けとして紹介される山域ですが、冬季は晴れていても西風が強く吹き付けることが多く、稜線付近はマイナス20度近くになることも珍しくありません。

今回、Aさんが遭難した権現岳から北側の赤岳等の主稜線は、岩と氷雪のミックスした稜線が続き、アイゼンとピッケルを用いた確実な歩行技術が求められます。Aさんのような冬山初心者が、単独で登るにはかなりリスクの高い状況と言えます。

AさんのようにインターネットやSNSの情報のみを頼りにイメージ先行で登山を計画することは、緻密さが求められる冬山登山にとっては、非常に危うい行為と言えるでしょう。

 

計画は1日で高見石小屋まで。登山計画書の作成提出は・・・

Aさんの計画は、甲斐大泉駅を下車し、山梨県側の天女山登山口から入山後、三ツ頭を経て権現岳、赤岳、硫黄岳など八ヶ岳連峰主稜線を縦走し、高見石小屋に宿泊するというものでした。

この行程は、無雪期の標準的なコースタイムで約16時間、水平距離は21km、累積標高差は、登り約3400m、下り約2300mという、かなりボリュームのある内容で、相当山歩きに慣れた健脚者でなければ夏でも歩き通すことは厳しい行程です。

また、このような長い行程を計画するのであれば、予定どおり進めなかったときのエスケープルートの設定や、山小屋の営業状況の確認などが必要ですが、Aさんによれば

「アクシデントがあった場合は引き返すことしか考えていなかった」 
「そもそも途中で別のルートから下山することを考えていなかった」

とのことで、登山計画の立案そのものを見直す必要があると言わざるをえません。

25日当日の稜線は雪で覆われていた

また、今回の計画は、友人に知らせていただけで、家族との共有や計画書の提出はしていなかったとのことで、今回は、滑落したもののケガがなく自分で通報ができたため事なきを得たものの、仮に滑落により意識を失ったり、致命的な負傷をして自分で通報ができなかったとしたら、A さんの発見は相当遅れ、最悪の場合、発見されずに行方不明になっていた可能性もありました。

 

食料はゼリー飲料2コとチョコバー3本のみ・・・

Aさんが今回の登山に持参した食料や飲料は、ゼリー飲料2個とチョコバー3本、飲料水はペットボトルに1.5リットルでした。食料は午前3時頃にほぼ食べ尽くしてしまい、ヘリ収容時にAさんが携帯していたのはチョコバー1本とペットボトルの飲料だけで、しかも寒さで凍って飲めない状態でした。

寒さで凍り付いたペットボトル

Aさんによれば、食料の不足は午前3 時頃に自覚していたようですが、

「せっかく来たんだから」 
「高見石小屋で食べれば大丈夫」

などと考え、行動を続行したそうです。仮に滑落をせずにそのまま行動を続けたとしても、深刻なカロリー不足や脱水により行動不能となっていた可能性もあります。

今回は、天候が安定していたため早期にヘリで救助できましたが、ヘリによる救助ができなければ地上から救助隊が向かうまでの間、その場でビバークをしなければなりません。Aさんは、エマージェンシーシートは携行していたものの、非常食やバーナーなどは携行していませんでした。本格的な冬山登山では保温ボトルやバーナーは緊急時対策だけでなく行動中の補給という観点からも必要不可欠な装備品と言えるでしょう。

 

ヘルメットは携行していたものの装着せず

写真を見てもわかるとおり、現場は非常に傾斜の強い斜面に垂直に近いはしごが設置されていて、長野県側は鋭く切れ落ちています。ここで滑落したにもかかわらず、ケガがなかったことは非常に幸運だったと言えるでしょう。

Aさんはハシゴからさらに下方へ滑落した

Aさんはヘルメットを携行していたものの、滑落した際は装着をしていませんでした。滑落中に頭部に外傷を負い、結果としてそれが致命傷となり命を落とすケースは少なくありません。Aさんのようにヘルメットを携行していながら装着していなかったために頭部を負傷した事案が実際に発生しています。滑落の危険性の高い場所を登山するときは必ずヘルメットを装着しましょう。

 

アイゼンの装着は・・・

写真でもわかるとおり、冬の八ヶ岳の稜線は岩と氷雪がミックスし、非常に難度の高いルートになります。Aさんは積雪に足を滑らせていますが、遭難時アイゼンを装着していませんでした。携行していたアイゼンも踵の部分にのみ歯の付いている6本爪タイプで、たとえアイゼンを装着していたとしても現場ではあまり意味をなさなかったでしょう。

冬の八ヶ岳の主稜線は、前爪のある10本爪以上のアイゼンが必要です。このような適切な装備品の選択もリスクに備える上で大切なことです。特にアイゼンやピッケルなど安全に直結する装備品は、専門店で購入し、その使い方についても講習会などを通じて正しい方法をマスターすることが大切です。

 

地図アプリを活用し、位置情報を正確に伝達。しかし、バッテリーは・・・

今回は、聴取中に通話が切れてしまい、以後Aさんと連絡することができなくなってしまいましたが、通報の初期段階で自身の正確な緯度経度を伝えていたため、その後の救助活動がスムーズに進みました。GPS対応のスマートフォンは、地図アプリなどが利用でき、精度の高い位置情報(座標)を確認することができます。いざという時に備え、あらかじめその方法を確かめておくと良いでしょう。

通報途中で通話が切れてしまった原因は、携帯電話(スマートフォン)のバッテリー切れでした。通報時Aさんの携帯電話のバッテリー残量は、わずか3%しかなく、モバイルバッテリーの残量は、50%だったそうです。Aさんは、モバイルバッテリーで充電を試みましたが、接続ジャック部分に雪が入ってしまったせいか、あるいは、バッテリー自体が寒冷環境で容量が低下したためか、電源が復活することはなかったそうです。

携帯電話はいざという時の重要な通信手段です。入山前に携帯電話の充電は満タンにして予備バッテリーを携帯するなどバッテリー対策を万全にしましょう。また、紛失、脱落防止対策も必要です。

 

遭難のリスクは誰にでも

遭難の多くは登山者側の不注意やミスにより発生していますが、ヒューマンエラーはゼロにはできませんし、登山をする以上、遭難のリスクは誰にでもあります。そのようなリスクをリアリティーを持って自分事として想像し、できる対策を講じた上で入山するか、あるいは、全くリスクに無頓着のまま対策もなく入山するかによって、いざアクシデントに遭遇した際、その後の対処には大きな差が生じます。

多くの遭難事例を目にしている我々から言わせていただければ、その差が「生死の分かれ目」となる場合もあります。みなさんも今一度、自分自身の登山を振り返り「安全で楽しい登山」の実践をお願いします。

山岳遭難の現場から Mountain Rescue File ~長野県警察山岳遭難救助隊

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