「布団1枚に2名様のご案内」ハイシーズンの北アルプスの山小屋は大忙し
黒部源流の山小屋、薬師沢小屋で働くやまとけいこさんが、イラストとともに綴る山小屋暮らし。文庫版が発売された『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)から一部を抜粋して紹介します。今回はコロナ禍以前の繫忙期のお話。
文・イラスト=やまとけいこ
ハイシーズンと厨房事情
7月の第3月曜、海の日。この海の日連休から、各山小屋はハイシーズンに突入する。そう、この日から折立登山口に入るバスの運行が始まるのだ。無論、天候に左右される話だが、多いときには薬師沢小屋で、80人から100人近い登山者が押し寄せる。
それまでは多くてもひと桁のお客さんしかいなかったのに、いったいどこから湧いてくるのか、とはじめて働きに来るアルバイトは、目を白黒させる。彼らにとっては、まだ厨房作業に慣れていないこの時期が一番つらい。逆にこれを乗り切れば、あとの大変さはたいしたことないように思える。頑張りどころだ。
連休初日の午前中は、まだ登山者が誰も到着していないので、いつもの静かで平和な薬師沢小屋だ。川のせせらぎが心地よい。「本当にこれで人があふれかえるなんて思えないね」「でも来るんですよ」なんて予約帳を見ながらヘラヘラしている。
やがてお昼も過ぎたころから、ポツリポツリと人がやって来る。早く着いた人には、先に行くことをおすすめする。受付には、「本日、布団1枚に2名様のご案内になります」と書かれた案内板が下げられる。
やがて小屋番は受付に張り付けになる。トイレに立つ暇もなくなるから、一切の水分を断つ。15時には行列ができて、厨房の私と新人アルバイトも戦闘態勢に入る。
食堂は1回に40人でいっぱいになるので、食事は1回戦、2回戦、3回戦、と時間で区切る。まるで戦いのような言い回しだ。山登りを始めたとき、先輩に箸やスプーンなどの食事をするものを武器というのだよと教わったので、きっとその流れなのだろう。山での食事は戦争らしい。
食堂のテーブルにズラッと小鉢やプレートを並べ、盛りつけをする。温かいものは直前に盛るので、2回戦目以降のプレートは盛れるところまでにして、厨房の棚に引っ込める。
最後の30分は、まさに戦争だ。「何か手伝うことある?」なんて常連さんがフラッと入ってこようものなら、「これ盛って!」「そっち運んで!」と、思わずお客様であることを忘れて指図してしまう。まだ流れに慣れていないこともあって、バタバタだ。なんとか時間通りお客さんを食堂に入れて、やれひと息、といいたいところだが、そうもいかない。
2回戦目の炒め物と盛りつけをして、1回戦目の片づけと2回戦目の配膳、皿洗い、と続く。これだけ人が多いと、遅着きのお客さんもいて、3回戦目に突入する。
従業員の食事が消灯1時間前にできれば上々。初めのうちは消灯後まで、明日の朝食の準備に手間取る。「まだ慣れていないから、明日は3時半スタートにしますか」と小屋番。黙ってうなずく私。3時半って、下界じゃ夜更かしして寝る時間で、起きる時間じゃないよね、なんてぼんやり思う。
翌朝、朝食2回戦を終え、従業員の朝食。ちょっとひと息入れたら掃除が始まる。どんなに人が来ても、小屋が大きくなるわけではないから、掃除の範囲は変わらないが、少人数だとそれなりに時間がかかる。
掃除してたたみ直す布団の数は、70組くらい。ゴミの処理や空き缶潰しも意外と大変だ。トイレ掃除は、ちょうど太郎平と雲ノ平から下りてくる人たちに阻まれて、なかなか前に進まない。呼び鈴で呼ばれるたびに、売店に駆けつける。
そんな朝から小屋の中を走りっぱなし、なんて状況が3日間続き、連休が終わると少し客足が減り、平日は5、60人に落ち着く。アルバイトも、4人目、5人目と送り込まれてくるので、ずいぶん楽になる。これで少し休めるかな。
このハイシーズンと呼ばれる期間は、だいたいお盆明けまで続く。ここ近年、平日休日と関係なく、山に登れる世代が増えたので、以前ほど週末に人が集中することはなくなった。とはいうものの、それでも好天気の週末は混み合う。狭い小屋の中は、芋の子を洗うような状況になり、お客さんも大変だ。
大きなザックを部屋の中に入れると、布団が敷けなくなるから、荷物は廊下に出す。足の踏み場もない。これだけ混沌としていると、どうしても自分の持ち物をどこに置いたかわからなくなったり、取り違えてしまったりということが発生する。
自分の靴がない、雨具がないと訴える人が出てくる。そのたびに小屋番は小屋中のお客さんに聞いて回り、間違いがないか確認してもらう。たいていは本人が、やっぱりありました、なんてことが多いのだが、本当に間違えている場合もあるから大変だ。
それから忘れ物も増える。暗い時間に早出をする人は寝床に、雨が降ったあとは乾燥室に忘れ物をする。タオルや手拭い、靴下、Tシャツといったものが多い。高級品だとヘッドランプや携帯ラジオ、サングラスや眼鏡。大丈夫かと心配になるのは、車のキーや入れ歯。
小屋では忘れ物を最低1年間は保管しているので、気づいたら問い合わせしていただければと思う。着払いで送れるように手配します。
そんなお祭り騒ぎのような季節ではあるが、私はそんなに嫌いではない。たしかに忙しくて、大好きな釣りにもなかなか行けないし、体もくたくただ。それでも知り合いが顔を出したり、元従業員が遊びに来てくれたりする楽しい季節でもある。従業員も5人に増えて、疑似家族生活もにぎやかだ。
朝のトイレの長蛇の列や、鳴りやまない呼び鈴、不平不満の対応だって、ハイシーズンらしくて思わず苦笑い。それでも朝、お世話になりました、と楽しそうに出発されるお客さんの顔を見ると、やっぱりよかったなと思う。
お客さんもこの時期に来るような人たちは、きっとタフなのだろう。富士山では布団1枚で3人だったよ、なんて話をしている。混んでいようがいまいが、その状況を楽しんでいるにちがいない。
私も見習わなくてはね。
プロフィール
やまとけいこ
1974年愛知県生まれ。山と旅のイラストレーター。武蔵野美術大学油絵学科卒業。29歳の時に山小屋のアルバイトを始める。シーズンオフは美術の仕事やイラストレーターとしての仕事をして過ごし、世界各地へ旅している。
イラストレーターとして『山と溪谷』などの雑誌で活動するほか、アウトドアブランド「Foxfire」のTシャツイラストも手がける。美術造形の仕事では、各地の美術館、博物館のほか、飲食施設等にも制作物が展示されている。著書に『蝸牛登山画帖』『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)。
黒部源流山小屋暮らし
豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化! 記事では本書から一部抜粋して紹介。
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