台風襲来、濁流にのみ込まれていく山小屋、そのとき小屋番は・・・『41人の嵐』①

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残るは同志社大だけ。このどしゃ降りの中、テント場には同志社大パーティーだけが頑張って幕営している。新しい立派なテントだった。雨もりの心配はなさそうだ。幕営地も川からは一番離れた山際だ。右俣沢がいくら増水しても彼らのテントまでは行かないだろう。ただ蛇行している右俣沢が蛇行しきれなくてテント場に飛び込んでくる可能性はある。しかしその場合はよほどの雨量が降らなければなるまい。それにしても、ゴトンゴトンと地の底から響いてくるような岩の流れる音にまだ耐えているのであろうか。岩の流れる音は不気味で恐ろしいものだ。朝方、避難を促した時には「一番早く逃げ込んだりして」などと言っていたから、小屋に来る気持ちがまるきりないというわけでもないだろう。ぎりぎり限界まで頑張ってみようということだろうなどとも思う。あまりしつこく誘っても彼らのプライドを傷つけるかもしれないし、難しいところであった。

新潟大学が避難してきたので、小屋の中はがぜんにぎやかになった。雨ガッパがずらっとたれ下がっている。干し物が空間を埋め尽くしている。一階の左手の床に並べたザックも壮観である。

同志社大学が小屋に来ることを皆で願いながらもストーブの周りでは宴会が始まった。荷上げしたばかりのウイスキーがあったし、差し入れのウイスキーも半分飲みかけが三本あった。つまみは鹿島から送られてきた南京豆がたくさんあった。田中さん轡田さんとも打ち解けて話が弾む。三重短大は一階の荷物の周りでトランプにうち興じている。愛知学院大も彼らだけでトランプをしている。新潟大は小屋に入ったことで安心したのか、全員シュラフにもぐり込んでいる。雨は相変わらず小屋の屋根を激しくたたいていた。

時々、用を足しに外に出てゆく人がいるが、そのたびに見る外の様子は別段変わっていない。ドロヤナギの木も健在である。強風を受けて大きく揺れてはいるが心配するほどでもない。まだ中洲も健在だ。川の増水は、ドロヤナギの根元までは来ていたが、小屋の方に浸食しているという気配はない。昨年の台風の時と同じような様子だ。ドロヤナギの大木が倒されるはずはないのだ。長い年月をかけて育ってきた両俣の主のような木なのだから。

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プロフィール

桂木 優(かつらぎ・ゆう)

1950年福島県生まれ。1971年頃から登山を始める。1978年から広河原ロッジで働き、冬は八方尾根スキー場に入る。1980年、両俣小屋の小屋番になり、1983年から管理人になり現在に至る。本名 星美知子。

41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の一記録

1982年8月1日、南アルプスの両俣小屋を襲った台風10号。この日、山小屋には41人の登山者がいた。濁流が押し寄せる山小屋から急斜面を這い登り、風雨の中で一夜を過ごしたものの、一行にはさらなる試練が襲いかかる。合宿中の大学生たちを守るため、小屋番はリーダーとして何を決断し、実行したのか。幻の名著として知られる『41人の嵐』から、決死の脱出行を紹介します。

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