幻の名著「41人の嵐」復刻! 昭和57年8月1日に日本列島を襲ったスーパー台風と南アルプス両俣小屋からの41人の生還劇
1982年、夏山シーズン真っ盛りの8月1日に、日本列島を襲ったスーパー台風。そのとき南アルプス両俣小屋では、小屋番と登山者41人が取り残されていた――。気象面ではなにが起きていたのか、読み解いて見えてきたものは?
文・図表=大矢康裕
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梅雨も明けていよいよ本格的な夏山シーズンを迎え、すでに夏山を楽しまれた、あるいはこれからお盆にかけて登山を計画されている方も多いのではないかと思います。太平洋高気圧に覆われて、うだるような猛暑の下界から脱出して、夏空のはるか向こうに続く稜線を縦走したり、水しぶきを浴びながら沢を源頭まで詰めたりするのは夏山の醍醐味でもあります。お昼ごろから稜線にわき立つ雲や夕立も、雷にさえ気を付ければ夏山のよき風物詩と思います。
ところで、台風といえば秋のイメージがありますが、実際には夏山でも台風が襲ってくることがあります。今回は、夏山シーズン真っ盛りの昭和57年(1982年)8月1日に襲ってきたスーパー台風と南アルプス両俣小屋からの決死の脱出の記録『41人の嵐』(図1)について、気象面から解説いたします。
この『41人の嵐』は両俣小屋の管理人、星美知子さん(ペンネーム:桂木優)が昭和59年にご自身の体験を記録としてまとめ、自費出版されたノンフィクション小説です。これまでは、わざわざ両俣小屋に行ってこの本を入手する人が後を絶たなかったほどの幻の名著です。そして、このたび復刻版としてヤマケイ文庫から出版されることになりました。ぜひ、手に取ってお読みください。まさに「事実は小説より奇なり」を地で行くような出来事の連続で、本当におもしろくて一気に読めると思います。
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『41人の嵐』のあらすじ ~生還までの道筋
気象面からの解説のため、多少のネタバレをお許しください。『41人の嵐』をお読みになってから、本コラム記事をあらためてご覧いただくと、夏台風や大雨に対する理解が深まると思います。登山者はもちろんのこと、たとえ登山をしない方にとっても、『41人の嵐』は台風や大雨による災害の教訓がてんこ盛りで、非常にためになると思います。前置きが少し長くなりましたが、要約すると以下のようになります。
昭和57年の7月31日は晴れていて、南アルプスは全国の大学ワンダーフォーゲル部をはじめとする多くの登山者でにぎわっていた。しかし、大型の台風10号の接近のため夕方から雨が降り始め、夜には本降りになった。
8月1日は朝から強い雨が降り、ラジオのニュースでは「夜中に台風が上陸する」と頻繁に放送されていた。両俣小屋では管理人の星さんを含めて25人が小屋の中に避難し、2パーティーの16人がテント場にとどまった。野呂川が増水して、23時過ぎには両俣小屋のすぐ前まで濁流が押し寄せてきたため、小屋にいた25人はあわてて裏山に避難し、吹きさらしの場所で夜を明かした。
体力を使い果たして倒れる女性もいたが全員で励まし合って持ちこたえ、8月2日の朝には濁流で流されて傾いた両俣小屋に全員が戻ることができた。しかし小屋の1階に置いておいた皆のザックは、ほとんどが流されてしまっていた。
8月2日は台風が過ぎ去って晴れてきて、全員がこれで一安心と思って小屋の2階で休息していた。しかし、夜には激しい雨が降り出し、8月3日の1時頃に再び両俣小屋に鉄砲水が押し寄せてきた。
第2の試練であった。明るくなるまで待っても鉄砲水は小屋の2階まで迫る勢いで迫って来たため、星さんは皆を起こして両俣小屋を脱出し、仙丈ヶ岳を越えて一気に北沢峠まで行くことを決意。雨と烈風の仙丈ヶ岳を強い意志で団結して通過した25人は、その日のうちに北沢峠にたどり着き、長衛荘前にテントを張っていた人たちに拍手で迎えられた。両俣小屋のテント場にいた16人も、テントが土砂崩れで埋まる前に無事に脱出していた。こうして両俣小屋の41人は全員が嵐の中から無事に生還したのであった。
広い範囲で猛威を振るった昭和57年台風10号
では、昭和57年台風10号(図2)とは、どのような台風だったのでしょうか。伊勢湾台風や第二室戸台風、近年では令和元年東日本台風などの著名な台風の影に隠れていますが、昭和57年台風10号も日本に大きな被害をもたらしたスーパー台風(米海軍JTWC解析。JTWCの定義は中心付近の最大風速が67m/s以上)の一つです。

図3に示した進路を取って、最盛期には中心気圧は900hPaまで低下しています。令和元年東日本台風の最盛時の中心気圧は915hPaでしたので、それよりも低かったことになります。ちなみに昭和57年台風10号の国際名はBess(ベス)です。

強い勢力を維持して8月2日の0時ごろに愛知県の渥美半島に上陸した時には中心気圧は970hPaで、多少勢力を落としていますが、近畿地方から東北地方で暴風が吹き荒れ、近畿地方から東日本で豪雨になっています。大台ヶ原の日出ヶ岳(ひでがたけ)の気象庁の観測点では8月1日に844mmの膨大な日降水量を記録しています。この豪雨や暴風によって、近畿地方、北陸地方、関東地方を中心に広い範囲で土砂災害や河川の氾濫などの被害をもたらし、全国で95人の死者・行方不明者を出しています。
このようなとんでもないスーパー台風が、南アルプスの両俣小屋の41人に襲いかかってきたのです。
第1の豪雨のピークは台風が最接近した真夜中
最初に命の危険を感じて両俣小屋を脱出した8月1日の23時は、まさに台風10号が渥美半島に上陸する寸前でした。気象庁の再解析データJRA-3Qで再現した8月1日の21時の地上天気図と降水量を図4に示します。すでに近畿地方、関東地方で1時間に30mm以上の強い雨が降っています。

1時間に30mm以上と聞かされても実感がわかないと思いますが、気象庁Webサイトによりますと、「バケツをひっくり返したように降る」激しい雨で、下界では「道路が川のようになる」状態です。そんな豪雨の中で、小屋の前まで濁流が押し寄せてきたというのは恐怖だったと思います。
続いて図5にJRA-3Qによって再現した昭和57年8月1日9時~4日9時の1時間降水量(棒グラフ)と積算降水量(折れ線グラフ)を示します。最も南アルプスに近い気象庁の井川の観測データによって、JRA-3Qの降水量を補正しています。横軸は世界標準時間です。日本時間は9時間を足してください。

雨は台風の接近とともにさらに強まって、第1の試練のピークでは1時間に60mmを超える豪雨になっています。1時間に60mmの降水量は、上記に紹介した気象庁Webサイトでは「滝のように降る(ゴーゴーと降り続く)」と表現されています。このような豪雨の中を小屋から避難した25人は、レインウェアを身にまとっただけの姿で、裏山で一夜を明かすことになったのです。
台風が去って天気は回復、しかし梅雨前線が復活して再び豪雨へ
8月2日は夜が明けてもまだ雨が降り続きましたが、9時頃に台風が日本海に抜けるとともに次第に天気が回復して昼前には晴れてきました。本来なら台風一過となって、そこでこの物語は終わるはずでした。しかし、大自然の神様はこの後にも「第2の試練」を用意していたのです。
昭和57年の7月の関東甲信地方はまだ梅雨が明けておらず、例年よりも梅雨明けが遅れていました。太平洋高気圧の勢力が弱かったようです。そんな状況のもとで、台風10号が通過した後に梅雨前線が復活したのです。現在の予報技術でも梅雨の期間は1年で最も天気予報が当たらない時期なので、当時の天気予報では梅雨前線復活による悪天の予報は難しかったと思います。
JRA-3Qデータによって再現した8月3日の9時の地上天気図と降水量を図6に示します。本州付近に復活した梅雨前線(破線)が停滞していて、梅雨前線上に発生した低気圧(L)が東シナ海から四国付近に進んでいます。梅雨前線の南側では南アルプス付近を中心に1時間に40mm以上の激しい雨が降っていることが分かります。なお、気象庁の天気図には梅雨前線は書かれていませんが、今回のJRA-3Qによる解析で梅雨前線の存在が確認できました。

先に示した図5の1時間降水量の棒グラフで、「第2の試練」と書いた部分が梅雨前線復活による豪雨です。両俣小屋付近では8月3日夕方に雨が止むまでに積算で850mmの凄まじい量の雨が降ったと推定されます。これは、令和元年東日本台風の時に箱根で観測された1000mmの積算降水量に匹敵する豪雨(箱根では土砂災害や浸水など甚大な被害が発生)です。南アルプスが壊滅的な打撃を受けたのも無理はありません。また、第1の試練の豪雨によってすでに大量の水分を含んで地盤が緩んでいたため、少しの雨が降っても土砂崩れが起きやすい状況でした。
この第2の試練の豪雨によって、鉄砲水が何度も両俣小屋に押し寄せ、濁流が小屋の2階まで迫ってきたため、25人は小屋を脱出して、仙丈ヶ岳を経由して尾根伝いに北沢峠に向かうことになったのです。ギリギリのところでの思い切りのよい判断だったと思います。
通常のエスケープルートである野呂川沿いの林道は、すでに豪雨で氾濫を起こし、あちこちで土砂崩れも発生していたため、尾根沿いのルートにしか活路はありませんでした。無事に25人全員が北沢峠に着いた翌日の8月4日には梅雨前線は消滅して、長く続いた昭和57年の関東甲信の梅雨はようやく明けたのです。この昭和57年の梅雨明けは、昭和26年(1951年)以降の観測史上で最も遅い関東甲信の梅雨明けとなりました。
秋台風と違って、夏台風は進路の予想が難しい
通常、日本に接近してくる台風は日本の南で北東に進行方向を変えて、偏西風(上空の西風)に流されながら速度を上げて日本付近を通過します。ところが、図2に示したように台風10号は真北に向かってあまり速度を上げずに北上し、日本海では北西の方にカーブするという異常な進路を取っています。このようなことは夏台風に時々見られ、迷走することさえあります。そのため夏台風の正確な進路の予想は、直前にならないと難しいことが多いです。
このように夏台風が迷走したり、異常な進路を取ったりするのは、夏の時期は日本付近の偏西風が弱いことに加えて、個別の台風の事情があります。そして、その答えは上空の気圧配置にあるのです。図7にJRA-3Qデータに基づいて解析した昭和57年8月1日21時の500hPa天気図を示します。夏の時期の500hPaはだいたい高度5800mで、ほぼアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5895m)の標高に相当します。

図7において、実線は等高度線(地上天気図の等圧線に相当)、色分けは500hPa気温です。台風10号は東海地方の南にあって、熱帯育ちの暖かく湿った空気を身にまとっています。台風の東には太平洋高気圧(H)があって、台風が北東に進むのを阻んでいたため、台風10号は速度を上げることなしに北に進んだのです。そのため、8月2日の天気回復が若干遅れています。風雨が続く裏山でビバークしていた8月2日の明け方に、星さんが、台風一過のはずなのになぜ青空が見えないのだろうと思った理由がこれです。
そして、台風のすぐ北西にある冷たい空気の正体は「寒冷渦」という上空の低気圧で、これが台風10号の進路を日本海で北西にカーブさせた犯人です。昭和57年台風10号の異常な進路の背景には、このような上空の気圧配置による事情があったのです。
筆者もこの両俣小屋からの生還劇の中にいた可能性があった
実は、当時、筆者も名古屋大学ワンダーフォーゲル部の夏山合宿で、南アルプス隊の6人パーティのリーダーとして、まったく同時期の7月20日~8月3日にかけて、光岳から北岳をめざして入山していました。
ところが最初の登りで道迷いから落石事故を起こして、メンバーの1人が頭蓋骨骨折の重傷を負ったため、2日目で夏山合宿は中止になってしまったのです。幸いにも並走して登っていた他大学のワンダーフォーゲル部メンバーと協力して、救助隊のお世話になることなくケガ人を担ぎ下ろすことができ一命をとりとめましたが、一歩間違えれば落石でメンバーが全滅したかもしれないと今でもゾッとしています。
もしこの事故がなければ、筆者のパーティーも縦走の最後に両俣小屋に避難して、そこからの脱出メンバーに加わって、「41人の嵐」ではなく「47人の嵐」になっていた可能性が充分あったことを思うと、本書はとても感慨深いです。生還した41人の中には筆者と同世代の三重短期大学ワンダーフォーゲル部の知り合いもいます。
末尾になりますが、『41人の嵐』の中で星さんは何度も判断を誤ったとおっしゃっていましたが、ここぞという時の判断は本当にすばらしかったと思います。登山の世界や災害の現場では、生き残るための最低限の知恵(いざという時に役に立たない単なる知識ではない)に加えて、理屈では説明できない動物的な勘が命を救うことがよくあります。それは天性のものに加えて、経験に基づいて養われるものかもしれません。
星さんは、その勘に恵まれた方だと感じました。それが41人全員の生還に繋がったのでしょう。そのような観点からも『41人の嵐』を読んでみるのもおもしろいと思います。
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プロフィール
大矢康裕
気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳気象の研究や山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年と2024年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」、2023年12月に「世界の何だコレ!?ミステリー年末SP」などに出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)
山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~
登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。
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