なんと重厚で、なんとぜいたくな山並み。ルポ・南アルプス 北岳〜間ノ岳 1泊2日の山旅

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最高の展望を楽しみ、北岳肩の小屋へ

苦労が報われたのは、北岳から小太郎山(こたろうやま)へ延びる稜線に出て景色が開けたときだ。ハイマツが覆う尾根の奥には、甲斐駒ヶ岳の鋭い山頂部が白く輝いて見えた。そのすぐ西側には、たおやかな仙丈ヶ岳が位置する。対照的な山容の名山たちを間近に望むことができるのは、北岳登山者の特権であろう。

標高を上げると、甲斐駒の奥に八ヶ岳も見えた。西側には中央アルプスも姿をのぞかせる。さらに奥には槍をピンと尖らせた北アルプス。東側にはやはり格別に雄大で美しい富士山が鎮座する。

北岳という場所は、登山者が憧れる山々を一望できる、最高の展望地だ。もっと南では中アや八ヶ岳が遠のくし、もっと北では富士山が小さくなる。この大展望の感動は、北岳でしか味わえない。

甲斐駒ヶ岳の鋭峰はいつ見てもすばらしい
甲斐駒ヶ岳の鋭峰はいつ見てもすばらしい
甲斐駒とは対照的な山容の仙丈ヶ岳
甲斐駒とは対照的な山容の仙丈ヶ岳

正午過ぎには肩の小屋に到着した。まずは腹ごしらえ、と受付へ。なににしようか、とメニュー表に目にやると、かわいらしいイラストでご飯のサイズが書かれている。大盛りよりボリュームのある「北岳盛り」なるものがあるらしい。小屋の中を見回すと、「北岳に来ただけ。」というフキダシ風のボードが置いてあった。これを持って写真撮影できるようだ。標高3000m、創業60年を超える山小屋だが、なかなかポップなイラストがあちこちで見られる。

北岳肩の小屋
北岳山頂付近に位置する北岳肩の小屋
北岳肩の小屋
かわいらしいイラスト。「北岳盛り」があるらしいが今回は見送り

「去年(2022年)の秋に改装が完了したんです」

注文したカレーを食べた後、管理人である森本千尋さんからお話をうかがった。

先代から小屋を受け継いだ千尋さんは、元陸上自衛隊員。自衛隊員として鍛えられた体力を維持すべく、今でも暇があれば小屋から山頂まで駆け登っているらしい。

「私は山頂までだいたい13分ぐらいで登ります。ほかの登山者の邪魔にならない範囲で試してみてはどうですか?」

屈託ない笑顔で語る千尋さん。標高差約190m、コースタイム上では50分かかる道のりだ。カレーを食べたばかりだから、などと誤魔化して、小屋の改装した経緯について尋ねてみる。

「2020年度は、新型コロナウイルスの感染拡大で北岳の登山道が閉鎖となって、すべての山小屋が休業を余儀なくされました。ちょうど小屋の老朽化も進んでいたので、その年の終わりから改装工事を始めました。小屋の風通しをよくするために天井を高くして、間取りを変えました」

北岳肩の小屋の管理人・森本千尋さん
北岳肩の小屋の管理人を務める森本千尋さん
北岳肩の小屋
天井が高くなったおかげで、寝室も開放感が増した

外観は大きく変わったが、基礎となる土台は以前のままだという。天井が高くなったおかげで開放感が増し、小屋の中でも明るい印象だ。

「小屋のあちこちにあるイラストはスタッフが描いたものです。若い人も増えてきているので、少しでも楽しんでもらえるように、と。もうご存知かもしれないんですが、名物メニューも加えました」

北岳肩の小屋の名物メニューといえば、「豚の肩ロースステーキ」だ。テレビで紹介され、たちどころに定番メニューとなった。肩の小屋ならではのメニューを考えたときに、「肩」の言葉にかけたロースステーキが思い浮かんだという。

たしかに、小屋を訪れる顔ぶれを見ると、若い人、なにより海外登山者が多い印象だ。感染症の影響も落ち着いて、国内外問わず登山者が登りに来るようだ。ニーズに合わせて変化する小屋。山は変わらずとも、そこにいる人は、山小屋は、常に変化し続ける。

「時代に合わせて変化することは必要ですが、肩の小屋のアットホームな雰囲気は変えずにいたいですね」

千尋さんはそう締めくくった。

北岳肩の小屋名物「豚の肩ロースステーキ」
北岳肩の小屋名物「豚の肩ロースステーキ」。柔らかくてとても美味
夕暮れどき、北岳肩の小屋前から見た甲斐駒と仙丈
夕暮れどき、小屋前から見た甲斐駒と仙丈
NEXT 朝焼けの北岳山頂
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この記事に登場する山

山梨県 / 赤石山脈北部

北岳 標高 3,193m

 日本で富士山に次いで高い山は白峰の北岳である。白峰は通称白峰三山と称し、3000mを抜く山5座が、南アルプスの北部に連なっている。すなわち北岳(3192m)、中白峰(3055m)、間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3050m)、農鳥岳(3026m)である。  この連山の最北にある故、北岳。当を得た山名である。古くは『平家物語』に「手越を過ぎて行きければ、北に遠ざかりて、雪白き山あり。問へば甲斐の白根と云ふ」と出ているが、果たして東海道筋から見えたであろうか。時代は下がり、『甲斐国志』(文化11年―1814年編)によれば「白峰、此山本州第一ノ高山ニシテ西方ノ鎮タリ。国風ニ詠スル所ノ、甲斐ヶ根コレニシテ(中略)南北ニ連ナリテ三峰アリ。其北方最モ高キモノヲ指シテ、今専ラ白峰ト稱ス」と記している。  同書によれば、「山上ニ日ノ神ヲ祀ル。其像黄金ヲ以テ鋳ル。長七寸許、容ルニ銅室ヲ以テス。高貳尺貳寸廣方八寸、其四隅ニ鈴ヲ掛ク、風吹ケハ声アリ」と大日如来を祭ってあることを載せている。明治41年7月、この頂に立った小島烏水は「奉納大日如来寛政七年乙卯六月(1794年)」と彫られた小鉄板のあったことを記録している。となれば『甲斐国志』の記事も本当かも知れない。  明治4年、地元、芦安村の行者、名取直江が里宮、中宮、奥宮を造営して開山したという。  登山者として最初にこの頂を踏んだのはウエストンで、明治35年8月23日のことであった。積雪期の初登頂は大正14年3月22日、京都三高山岳部のメンバーで、西堀栄三郎、桑原武夫、多田政忠、四手井綱彦の4人。野呂川両俣から右俣に入り、間ノ岳を経て頂上に立った。次いで3月28日、山梨の平賀文男が広河原から第2登を飾った。  最近は交通の便がよくなり、おそらく南アルプスの山の中で、一番人気のある山ではないだろうか。登山基地の広河原まで車で入れば、1泊2日でゆっくりと往復でき、雪渓あり、お花畑あり、しかも展望絶佳ときている。  展望は南、眼前にどっかと腰をすえた間ノ岳、これに重なり合うは、塩見岳や悪沢岳。南東の櫛形山の上に富士山、東側には鳳凰三山の上に奥秩父。その左には八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳。遠く白馬三山から槍・穂高、その左にずんぐりと仙丈ヶ岳、御岳山、中央アルプスが堪能できる。  登山コースは広河原から大樺沢二俣、小太郎尾根経由で6時間、同じく二俣から八本歯のコル経由で5時間強の登りで登頂可能。

山梨県 静岡県 / 赤石山脈北部

間ノ岳 標高 3,190m

 白峰三山の真ん中に位置するので間ノ岳とは、当を得た山名である。日本第3位の高峰であるにもかかわらず、極めて地味な山だが、赤石岳、仙丈ヶ岳とともに、大きな山容を見せている。山頂は広くて、通称、間ノ岳のドームといわれるほどで、悪天のとき、方向を間違えることさえある。  一般的に、この山だけを単独に登るということはあまりない。白峰三山縦走時、あるいは仙塩尾根を経て塩見岳へと抜ける際など登頂する。  この山頂からの展望は、北岳のそれと大差がない。しかし、南側から眺めた鋭角の北岳は、さすが南アルプスの王者の風格をもって昂然として迫ってくる。  間ノ岳は『甲斐国志』にその名が載っている。登山者としては、明治14年(1881)8月18日に、アーネスト・サトウが農鳥岳経由で登頂している(出典「日本旅行日記Ⅰ」東洋文庫)。積雪期では京都三高山岳部の西堀栄三郎ら4名が、大正14年3月22日、野呂川右俣をつめて頂上に出た。北岳に登頂の途次の通過であった。  この山を踏むためのベースとなるのは、北岳のコルにある北岳山荘で、ここから中白峰を経て2時間ほどで登頂できる。 ※2014年3月までは、日本第4位の標高の山とされていたが、測量方法の変更や地殻変動などにより1m高くなることが国土地理院より発表され、2014年4月1日より奥穂高岳と並んで日本第3位の標高の山となった(2014.04.01追記)。

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