平出和也と中島健郎、K2西壁への軌跡をたどる

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平出と中島、それぞれの足跡

平出の原点は、畳一畳分の地図にある。2002年、23歳のときにひとりでパキスタンの山岳地帯を旅した。その時の地図を貼り合わせ、すでに登られたピークやラインを書き込み、未踏峰と未踏ラインを明らかにしていった。この旅は、東海大学山岳部で当時監督を務めており、平出の恩師にあたる出利葉義次から「もっと山を見ろ。旅して歩いて山を見てこい」と教えられたことがきっかけとなっている。地図を見て、現場で山を眺め登り、パキスタンに通うこと20年以上経っていた。だからこそ、未踏のラインを探し出し、登攀できたのだ。

またK2は、2006年に母校東海大学山岳部が南南東リブから登ったが、その時平出は、前年のシブリン(6543m、インド)で負った凍傷により足の指を切断し、登山隊への参加を断念していた。それでも自転車を担いでBCを訪れ、序盤の荷上げを行ない、後輩たちを支えた。荷上げが終わると平出はBCを後にするが、どれほど無念だっただろう。出利葉は「K2は、平出が還ってくるべき山だった」という。

中島は、関西学院大学山岳部時代に他大学の山岳部の仲間たちとネパールの未踏峰パンバリヒマール(6887m、ネパール)に登頂したことが原風景となった。まっさらなところに自分たちでラインを引き登る。それがおもしろい。翌々年には山岳部後輩の山本大貴とふたたび未踏峰へ。ディンジュンリサウス(6196m、ネパール)に登頂した。未知への憧れ、未知なる世界を探っていくおもしろさにとりつかれ、国内外の山を登るようになる。特に幾度にもわたる厳冬期の黒部横断や、2013年にトライしたK6(7282m、パキスタン)は記録に残したい内容だ。

K6にトライした宮城公博、今井健司、中島健郎(左から)(写真撮影=今井健司)
2013年、K6にトライした宮城公博、今井健司、中島健郎(左から)。今井は2015年、単独で挑んだチャムラン(7319m、ネパール)で遭難し、帰らぬ人となった(写真提供=関西学院大学山岳会)

平出と中島が組んだのは、2014年のカカポラジ北稜(5881m、ミャンマー)の撮影から。以来、数々の登攀を共にしてきた。なかでも平出にとっては4度目であった2017年のシスパーレ北東壁新ルート(7611m、パキスタン)から登頂し、第26回ピオレドール賞受賞(平出は2度目の受賞)、2019年のラカポシ南壁新ルート(7788m、パキスタン)から登頂し、第28回ピオレドール賞受賞は、世界の登攀史に残るものだった。

平出と中島がピオレドールを受賞した2017年のシスパーレ北東壁
ピオレドールを受賞した2017年のシスパーレ北東壁

二人は、先人や仲間、家族を大切にした。未踏峰や未踏のラインを登る際には、必ずその前にトライした先人を訪ね、話を聞いた。パキスタンでもよい人間関係を築き、サポートする人たちが多かった。そういった人柄は、仲間たちからも愛されていた。

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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

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