北岳山小屋物語――新探訪⑤ 両俣小屋 “両俣のおねえさん”が語る、小屋周辺の時間の流れ

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南アルプスの玄関口である広河原の前を流れる野呂川の、ずっと上流、川に面した場所に立つのが両俣小屋だ。災害による南アルプス林道の通行止めの影響で、現在、両俣小屋への道程は著しく遠い。しかし、リピーターの登山者や渓流釣りの人々の協力もあって、その不便な状況にも関わらず、元気に営業を続けている。

文・写真=樋口明雄

 

3年ぶりにお目にかかった”両俣のおねえさん”こと星美知子さんは、まったくお変わりなかった。

失礼ながら、筆者よりもちょうど10年ほどお歳を召されてるはずなのに、ちっともそう見えない。まさに“おねえさん”のように若々しく、それでいて、さながら母親と会話しているような懐かしい安心感がある。

愛猫と共に迎えてくれた、“両俣のおねえさん”こと星美知子さん


2019年の台風19号のため、南アルプス市芦安芦倉の県営林道南アルプス線、広河原から北沢峠間のおよそ10キロの区間で、大規模な土砂崩落が発生し、全面通行止めとなった。両俣小屋に向かう主なルートはふたつ、山梨県側から広河原経由で入るか、あるいは長野県側から入って北沢峠を経て入る。あとは山越えしかない。ところが今回の林道崩落のため、そのメインルートのひとつが使えなくなった。

復旧には数年かかるといわれ、2023年の現在もまだその目途は立っていない。何しろ単純な土砂崩れではなく、場所によっては林道そのものが崩落しているため、よほど大規模な土木工事をしなければ復旧は不可能だという。

「とにかくバスが走らないから話にならないのよ」

眼鏡の奥の目を細めて、美知子さんは続ける。

「せめて歩いてでも通れたらいいんだけど、あの崩落現場はふつうの人が歩くことも無理でしょうね」

さらに追い打ちをかけたのがコロナ禍である。2020年度は北岳全体が入山規制となり、各山小屋の営業もできなかった。翌年からまた入山が許可されたが、相変わらず広河原からの林道は閉鎖中。それまで山梨方面から小屋に向かっていた客は、いやでも長野方面から入ることになる。

そんな両俣小屋の窮地を支えてくれたのは常連客たちだった。多いときには毎週のように来てくれる人がいて、キャベツやタマゴなどの食材を自主的に運んできたという。

「結局山小屋って、そこに居着く人たちが良くしていくものなのよ」と、星さんは嬉しそうに笑う。とりわけ両俣小屋のように、管理人ひとりで切り盛りする小規模な小屋にとって、顔なじみの客は頼もしい存在だ。そこを愛してくれるリピーターがいて、彼らの力なくしては経営は成り立たない。

もとよりここは、コロナ以前から登山者の宿泊よりも釣り客のほうが多かった。北岳肩の小屋の少し上にある両俣分岐からの左俣沢ルートが荒廃し、現在、北岳に登る登山者が両俣小屋に下りるには、いったん間ノ岳まで行って三峰岳経由で仙塩尾根を伝って戻ってくるしかない。健脚の登山者が縦走途中でまれに立ち寄るぐらいだ。

登山者よりも渓流釣りのために訪れる人が多いのが両俣小屋。ヤマトイワナ釣りを楽しみに人々は訪れる


一方、この野呂川最上流部は稀少なヤマトイワナが釣れることで知られ、周辺がキャッチ&リリース区間になってからは、フライとルアー釣りの愛好家たちがやってくるようになった。

「近頃は女性の釣り客も増えたのよ。それも単独で来て、テント泊だったりね」

昨今、登山の世界で女性のソロキャンパーが増えたことは知っていたが、まさか釣りの分野にまでそういう変化が訪れたとは初耳だった。

「30~40代のいかにもベテランって感じの女性が多くて、みんなきちんとしてるし、体力もあるから、見ていて頼もしいぐらい」

こうした源流で釣りをしていて、ちょくちょく出逢うのがツキノワグマ。前回の取材ではクマの話で盛り上がったが、今も相変わらずだと星さんはいう。

「でも、両俣にいるクマはおとなしい子ばかりみたいよ」

そもそもクマは頭がいい動物で、人間並みに個性の違いがあるという。やたらめったら人を襲うクマはまずいない。双方の間には暗黙のルールがあり、それを守っていさえすれば事故にはならない。悲劇が起こるとすれば、たいていは人間の側の無知ゆえである。

あるとき、両俣の幕営地でテントを張っていた人のすぐ後ろを、クマが歩いて通ったという。その客は驚いたり逃げたりもせず、「あ、クマだ」とひと言。至近距離からの写真をちゃっかり撮影していたそうだ。

実はこの付近は針葉樹が中心の森で、クマにとっては意外に食料が少ない。だから、多くの個体が山越えして下りてくるという。春はウドやフキノトウなどの山菜を食し、夏場はアリの巣を掘っているし、キノコを口にすることもあるそうだ。

 

40年前の出来事を糧に続けるアナログな対応

さて、両俣小屋の星さんといえば、やはりご本人が桂木優名義で書かれた著作『41人の嵐』を無視することはできない。

1982年の8月、台風10号とそれにともなう低気圧で野呂川を襲った水害。小屋が濁流に押し流されそうになり、大勢の登山客らと脱出、仙丈ヶ岳を越えて北沢峠に無事到着した。脱落者はただのひとりも出なかった。

『41人の嵐』にサインをいただく。登山者ならぜひ、読んでおきたい生々しい貴重な記録だ


あれからすでに40年以上が過ぎたが、彼女は小屋で毎日のようにNHKラジオの気象通報を聴きながら天気図を書く。1日たった1回の放送じゃ、台風の進路が正確に読めないのよと、相変わらずぼやきつつ――。

チロル帽にニッカボッカーで登山する時代ならいざ知らず、今やラジオの気象通報に天気図なんてアナログにしてアナクロ。何しろスマホでいつでも天気予報は読めるし、雨雲レーダーなどでリアルタイムにその山の気象がわかるご時世だ。ところが星さんは毎日、天気図に気象予報を書き込む。

「今は天気図の用紙を印刷する会社って、ひとつしかないの。そこが販売をやめるっていう噂がいっとき流れて大変だったのよ。あわてて甲府の書店に駆け込んで用紙をいっぱい注文したりして」

その天気図自体、素人が判読するのは難しい。等圧線に天気マーク、それぞれの中心気圧の数値など。それでもこのやり方に彼女がこだわるのは理由がある。デジタル通信で届く天気の情報は、あくまでも観測データに過ぎないからだ。

「ずっと山の中にいるとなんとなくわかってくるの。雨が降ってて寒ければいいけど、降ってて暖かいときはちょっと心配。天気が崩れそうになると、間ノ岳がやけに大きく見えたりするのね」

今でもラジオに耳をつけて、天気図を起こしている


温暖化の影響だろうか。去年の夏、両俣付近が気温30度になった日があったそうだ。

「ミンミンゼミが毎年鳴くようになったし、他にも特定の虫の大量発生があったりね。私みたいに自然の中で遊んでる人は、いやでも異変に気づくはず」

星さんは小屋の前に立って、ふと40年前のあの日の出来事を思い出すのだろう。

山小屋は今、あちこちで世代交代が始まっている。しかし両俣小屋だけは、いつまでも星さんにいてほしいと思う。足繁く小屋に通う彼女のファンたちも、きっと同じ気持ちだろう。

「人生ってホントに面白い。だから、何ごとも諦めたりせず、とにかく前向きにね。先のことなんてどうなるかわからないから、とにかく今やれることを一生懸命にやるの」

筆者も今年はヤマトイワナを釣るため、久しぶりに両俣小屋を訪れる予定だ。星さんはきっと変わらず、猫たちといっしょに出迎えてくれるだろう。その日を楽しみにしている。

プロフィール

樋口明雄

1960年、山口県生まれ。山梨県北杜市在住。山梨県自然観察員。
2008年に刊行した『約束の地』(光文社)で、第27回日本冒険小説協会大賞および第12回大藪春彦賞を受賞。13年には『ミッドナイト・ラン!』(講談社)で、第2回エキナカ書店大賞を受賞。
南アルプス・北岳を舞台とした山岳小説「南アルプス山岳救助隊K-9」シリーズのほか、屋久島を舞台にした小説『還らざる聖域』(角川春樹事務所)、『屋久島トワイライト』(山と溪谷社)、ノンフィクション『北岳山小屋物語』(山と溪谷社)など著作多数。近刊に『それぞれの山 南アルプス山岳救助隊K-9』(徳間文庫)がある。

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