若手の猛追を振り切り、土井陵選手が連覇。「日本一過酷な山岳レース」TJAR2024を振り返る

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日本海から太平洋まで、アルプスの山々を越えて日本列島を横断する「トランスジャパンアルプスレース」(TJAR)は8月11日0時に富山湾をスタートし、8月18日22時15分に最終ランナーが静岡県の大浜海岸に到達して幕を閉じた。猛暑や台風接近など、難しいシチュエーションのなか、王者・土井陵選手の走り、若手の台頭など見どころも満載だった今大会を振り返る。

文=中島英摩、写真=中島英摩、三井伸太郎

29名が参戦、山の日深夜0時に日本海をスタート

TJARは「日本一過酷な山岳レース」と呼ばれ、総距離415km、累積標高27,000mの道のりを8日間以内に走破する。2年に一度開催されるレースは年々人気が高まり、今年は例年以上に各地で選手を応援する人々でにぎわいを見せた。

山の日である2024年8月11日、日付が変わると同時に8日に渡る冒険が始まった。TJARの選手定員は30人。今年は、書類選考や選考会、抽選を通過した29名が参戦した。史上最多優勝(4連覇)、5回の完走記録を持つ静岡市消防局の消防士・山岳救助隊員である望月将悟選手(46歳)も参加予定だったが、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)により出場を辞退した。北は北海道、南は広島まで、全国各地から集まった強者たち。29人のうち、20名が初参加。山道具の進化に加え、過去完走者の知恵や経験談も相まって、一週間もの縦走とは思えないほど、みなそろってコンパクトな装備が印象的だった。

TJAR2024/スタート地点、富山県魚津市のミラージュランドで応援の群衆に囲まれて旅立つ選手たち
スタート地点、富山県魚津市のミラージュランドで応援の群衆に囲まれて旅立つ選手たち
TJAR2024/彼らに与えられた制限時間は、わずか8日間。知恵と経験と体力を総動員して挑む
彼らに与えられた制限時間は、わずか8日間。知恵と経験と体力を総動員して挑む

晴天は敵か味方か、天気に恵まれた8日間

過去のTJARでは度々台風が襲撃しており、途中でレース中止となった年もある。今年も台風7号、8号が日本列島へ接近して荒天が危ぶまれたが、予報よりも東を通過したため影響は少なかった。

スタートから湿度が高く、深夜も汗ばむ気温だったが、剱岳(つるぎだけ)の登山口である馬場島(ばんばじま)までのロード登り約30kmを全員が4時間以内に通過するという高速展開で始まった。前田和俊選手(41歳)は「みんな速くて驚いた。計画通りに走ったが気付けばマーシャルスタッフ(コース上を選手同様に歩き、レース進行を助けるスタッフ)が後ろにいて登山口では最終ランナーになっていた」と語った。周りにつられてスピードが上がり、早月尾根(はやつきおね)で脱水症状になったという選手もいた。

蒸し暑さは和らぐことなく、夜間も高温傾向。山中であっても着込むことなく睡眠が取れたという選手も多かった。しかし、晴天となれば多くの登山者が訪れる日本アルプス。山の日、盆休み、南海トラフ地震臨時情報、台風など複数の要因が集中して北アルプスは大混雑。太郎平(たろうだいら)キャンプ場は足の踏み場もないほどのテントで埋まり、選手達が補給を心待ちにして向かう上高地(かみこうち)は売店やレストランで売り切れが続出した。過去最高かと思われるほど山でも街でも応援の声は途切れることなく、声援に背中を押してもらえる反面、睡眠や補給は難しかった。

昼夜の寒暖差が少ないことは幸いだったが、問題は山を降りてからの舗装路区間だ。ロードをいかに走破するかが肝で、2度目の参戦となった保田直宏選手(35歳)は「ロードの練習を重ねた」という。舗装路区間は合計217km。熱せられたアスファルトの照り返し、上昇する気温、容赦ない直射日光に選手たちの肌は日焼けでボロボロとなっていた。

TJAR2024/「日焼け止めを何度も塗ったのにこれですよ」。日焼けを重ねた肌が痛々しい
「日焼け止めを何度も塗ったのにこれですよ」。日焼けを重ねた肌が痛々しい

大会新記録が期待されたトップ争いと王者を襲う試練

レース展開ではトップ争いに見どころがあった。

前回優勝者で大会最速記録保持者の土井陵選手(42歳)の連覇が確実かと思われていたが、初日の剱岳では、土井選手、最年少の竹村直太選手(31歳)、静岡県出身の牧野高大選手(37歳)が拮抗。同日中に土井選手と竹村選手が西鎌(にしかま)尾根を経て槍ヶ岳(やりがたけ)を通過。8月12日深夜2時過ぎ、北アルプスの終着点である上高地チェックポイントに最初に到着したのは竹村選手だった。続いて到着した土井選手は竹村選手が仮眠を取る間に先行、舗装路約70kmを仮眠せずに走り抜き中央アルプスに突入。竹村選手も後を追う。「登っている間に背中が見えるかと思ったが、見えないままだった。苦しいところは土井さんも苦しそうで、調子がよいところも同様に土井さんも落ちることがなかった」という。約1時間差で平行線をたどり、後半に待ち構える南アルプスでの接戦に注目が集まっていた。

しかしレースは急展開を迎える。竹村選手は大会が設けるヘルメット着用区間である宝剣岳(ほうけんだけ)にて、「着用していなかったことに気付いた」と自ら申し出て、中央アルプスの山中にて失格となった。「ヘルメット着用については認識していたが、土井さんのことも意識していたし、この時間までに着きたいという計画も気になっていて宝剣山荘出発時に気が回っていなかった。自分に足りなかったところだと思う」と下山時に振り返っている。

トップを守る土井選手が好敵の突然の失格を知ったのは、南アルプス区間が始まる柏木(かしわぎ)登山口付近の市野瀬(いちのせ)チェックポイント。竹村選手が土井選手を迎え、握手をして見送った。

竹村直太選手
失格となってしまった竹村直太選手。「出たくても出られなかった人もいる。予定より早いペースで進めていた。悔しい、今は何も考えられない」と無念さを滲ませた

前回大会では、塩見岳(しおみだけ)までの地蔵(じぞう)尾根、仙塩(せんしお)尾根でペースダウンし、何度も睡魔に襲われた土井選手。今度こそはと挑んだものの、再び魔の山域に苦戦。とくに、三峰岳(みぶだけ)あたりでGPSトラッキングの動きが著しく鈍化。その間に後続選手がジリジリと追い上げる。塚田晃二選手(42歳)、牧野高大選手、保田直宏選手(35歳)が前後しながらハイペースで南アルプスを進んだ。8月15日11時過ぎに畑薙(はたなぎ)に土井選手が到着、足指にできたマメが痛み、周辺で2時間ほど停滞。「やめる寸前で踏ん張った」という。

その間に後では塚田選手を交わした牧野選手が猛追。6日目を迎え、スタートから5日1時間26分、土井選手がフィニッシュゲートへ到達。連覇を達成した。2位の牧野選手は土井選手に1時間20分差まで迫り、5日2時間46分を記録。大逆転優勝もあり得た健闘ぶりに応援に駆けつけた家族も喜んだ。

土井陵選手
「記録更新を期待されていたと思うが、自分自身も立てていたプラン通りには行かなかった。弱い自分にたくさん出合えたレースだった」と語った土井選手

多くの選手が初参戦で健闘。21名が完走して閉幕

フィニッシュまで残り約13km、新静岡IC側にある千代田消防署しずはた出張所では、レースを辞退した望月さんが選手たちを迎え、ウィニングロードへ向けて背中を押していた。

TJAR2024/レースを辞退した望月将悟さん
レジェンド・望月将悟さんの勤務先はコース上にある。次々とやってくる選手に声をかけた

最終日の22時15分に最後尾の中村亮平選手(42歳)、辻本有仁選手(53歳)がゴールへ到達し、TJAR2024は21名が完走者となった。トップ5名が6日以内に完走する好成績を収め、2回目の参加者の多くが大幅に記録を更新した。雨風による低体温などのトラブルが少なかったものの、連日の猛暑は厳しく、汗によるシューズ内の蒸れ、濡れがマメや靴擦れといった足裏トラブルを引き起こし、土井選手をはじめとする多くの選手を苦しめた。雨なら対策に敏感だが、晴れゆえに予防が至っていなかった選手が多かったのかもしれない。

宍戸慶太選手(46歳)は夢うつつで、実際にはそこにいないはずの家族と談笑したり、山のなかで完走する幻覚に悩まされた。蘆田恭卓選手(44歳)は両腿が肉離れを起こし、テービングでぐるぐる巻きにしたが、最後には浮腫で何倍にも腫れ上がった脚でフィニッシュした。前回リタイアした三上満選手(52歳)は最後尾グループでひとつひとつの難所をクリアして、制限時間から2時間半ほど前に完走し前回の雪辱を果たした。石川県から参加した小島路生選手(50歳)は、昨年舌癌を患い闘病、さらに能登半島地震の支援活動に通う日々を過ごしてきた。体調不良でつらい局面ではコース上でボランティア仲間の送るエールに励まされ、ゴール地点では家族や仲間と喜びを噛み締めた。

今大会、選手達は口々に「天気に恵まれた」と話す。コンディションは例年に比べて随分よかった。しかし当然のことながら「日本一過酷なレース」を制するのは決して容易なことでない。参加のきっかけ、日々の暮らし、環境はさまざまだが、それぞれが数多くの苦難を乗り越え、自分自身と闘い、粘り強く進み続けたことで栄光を手にした。熱い一週間、彼らの挑戦と屈強な姿に勇気づけられた人も多いだろう。2年後、また新たなドラマが生まれることを楽しみに待ちたい。

TJAR2024/日本海から太平洋へ、長い旅の終着点。台風の影響か、荒れた海の波際で完走を実感する
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