【書評】空前絶後の純文藪漕ぎ小説『バリ山行』

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評者=小阪健一郎

『バリ山行』といっても、「自分バリ山行くやん」という関西弁ではない。アルパインクライミング、雪山登山、沢登り、山スキー、辺境クライミングなどの登山道外の登山をバリエーション山行と言ったりするが、それを略したのが本作のタイトルだ。登場人物たちはさらに短くバリと呼んでいる。あまり聞き慣れない言葉だが、「バリはさ、ルートが合ってるかじゃないんだよ」「バリはやっぱりひとりじゃなきゃ」「俺はコレ。バリ屋の定番のアイテムだよ」と、つい真似したくなるセリフを連発する営業二課主任の妻鹿(めが)さん(43歳)だけでなく、定年後の嘱託社員の松浦さん(推定70歳前後)ですらも「バリやっとんや、あいつ」とか言ってるので、ひょっとしたら僕が知らないだけで多世代に広く浸透している略語なのかもしれない。僕も今度「これだから辺境バリはやめられない!」などとXにポストしてみようかと思う。

本作のあらすじはこうだ。登山経験がほぼない主人公の波多(はた)は会社の付き合いでハイキングを始める。何度目かの山行で藪を歩くことがあり、波多はバリ山行というものに興味をもってしまう。六甲山で毎週末バリ山行をしているというバリ屋の妻鹿さんにバリ山行に連れていってもらえることになるが、藪漕ぎにうんざりしてきたころに斜面を転げ落ち、あわや死にかける。もう二度とやらないと誓ったはずが、「なぜ私はバリに行くのだろう」と自問自答しながらも六甲山の藪漕ぎにハマってしまう、という話だ。

本書の帯の「純文山岳小説」という文言からして、てっきり『神々の山嶺』よろしく岩と氷の山岳小説なのかと思いきや、まさかまさかの純文藪漕ぎ小説なのだった。そして山場はマサ化マサ化のザレた藪斜面登りである。ご存じのとおり、あるいはご想像のとおり藪漕ぎというのは地味で単調でバエない行為だ。にもかかわらず世界観に引き込まれてしまって読む手が止まらない。これが芥川賞の実力なのか。新田テック建装の次郎社長以下、既視感のある名前の社員たちによるごたごたとした下界の話もおもしろい。ちなみに六甲山の花崗岩のように粒子の結合が弱まって砂のように風化することをマサ化という。

バリ屋の妻鹿さんと最終的には主人公も、道なき道をひとりで淡々と歩いていると、体が熱くなり我を忘れて心地よくなれるようだ。僕も15年以上バリ山行してきたが、いつだって正気のままで没我の境地に至れたことは一度もない。その域に到達できるバリ山行は辺境クライミングではなく藪漕ぎなのだろうか。それも六甲山での。と、ついうっかり六甲山で藪漕ぎしてみたくなってしまいそうになる寸前で本作を読み終え、ギリギリのところで我を取り戻すことができたのだった。

バリ山行

バリ山行

松永K三蔵
発行 講談社
価格 1,760円(税込)
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松永K三蔵

1980年生まれ。兵庫県西宮市在住。関西学院大学文学部卒。日々、六甲山域を歩く。2021年「カメオ」で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー。『バリ山行』で第171回芥川賞を受賞。

評者

小阪健一郎

1988年生まれ。国際山岳医。大学山岳部で登山を始め、以降、沢登りや辺境でのクライミングにのめり込む。辺境クライマー「けんじり」として雑誌等に記録を多数掲載。Xアカウント@kenjiri

山と溪谷2024年10月号より転載)

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