大空と大地の境界線、カムイヌプリを歩く【山と溪谷2024年11月号】
雑誌『山と溪谷』2024年11月号の特集は全国の低山のなかから100座を選定した「決定!日本百低山」。特集ページから、北海道の摩周湖畔にそびえるカムイヌプリの登山ルポを紹介しよう。
文=長谷川 哲、写真=伊藤健次
この山を初めて見たのは今から二十数年前、北海道に移って間もないころだった。当時の本誌編集長K君と雌阿寒岳(めあかんだけ)に登り、阿寒湖や雄阿寒岳(おあかんだけ)の遠く先、ほとんど平地に近い標高に屛風のような岩壁を見つけたのだった。
「なんだあれは!」「グランドジョラスみたいだな」
いささか大げさだが、道東の広い大地の中でその岩壁はそれほど異彩を放っていた。地図を見ると摩周湖(ましゅうこ)のカムイヌプリらしい。翌日行ってみると間近に見るその光景は想像以上に鮮烈で、脳裏に深く焼き付いた。
以降、季節やコースを変えて何度か訪れているけれども、いつも期待を裏切らない山である。
*
1ヶ月近く天気待ちをした甲斐があって、この日の摩周湖は朝からよく晴れていた。もっとも「霧の摩周湖」とはいうものの、実際の晴天率は意外と高いらしく、終日湖面が見えない日は1年の半分にも満たないという。
まだ観光客の姿もない摩周湖第一展望台を後に、コースに足を踏み出す。カルデラ壁の縁をたどる道は高低差はさほど大きくないが、距離は片道約7kmとそこそこ長い。まずは摩周湖を眺めながら緩く下り、朝露がきらめくダケカンバの林に入ってゆく。最近、道内の植物が改めて興味深いという写真家の伊藤さんが、時折足を止めては路傍に咲く花や樹肌に生えたコケにカメラを向ける。
最低鞍部からひと登りして683m三角点を過ぎると周囲は一面の笹原へと変わり、一気に視界が開けてくる。前方にはめざすカムイヌプリや西別岳(にしべつだけ)、左に摩周湖、右は道東の大平原、そして頭上はどこまでも高く青い空。そのなかをゆったりうねるように起伏する道は、登山道というよりトレイルといった印象だ。
実際、ここは北根室(きたねむろ)ランチウェイと呼ばれるロングトレイルの一部として人気を博し(2020年閉鎖)、また今秋環境省により公開される全長400km余りの北海道東トレイルにも組み込まれている。ピークはもちろん、過程もまたそれだけで目的になるほどの魅力にあふれる道だ。
軽快な足取りのまま、やがて西別分岐に到着。ここでコースはカルデラ壁を離れ、カムイヌプリの火口壁上へと移る。火口内部は木々にさえぎられて窺うかがうことができないが、垂直なままその中へ消えてゆく岩壁がただならぬ気配を醸し出す。次第に斜度が増し、いよいよ直登できないほどに険しくなったところで道は火口外側へと逸れ、回り込むようにして頂上へ飛び出した。
その瞬間、地底への入り口を思わせる深い火口の全貌が現われる。富士山や羊蹄山(ようていざん)の山頂部だけを切り取り、大地に叩き込んだような迫力は、とても標高850mの山とは思えない。さらに火口を抱くように広がる摩周湖の湖面。山上から見るカルデラ湖はどこも独特の妖艶さが漂っているものだが、摩周ブルーと呼ばれ日本一の透明度を誇るここは別格だ。
深田久弥は『日本百名山』の選定基準に山の品格、個性、歴史、そして標高1500m以上を挙げた。標高こそ満たないが、前者ふたつに加え、古くから「神の山」として崇められてきたこの山もまた、名山の資格充分ではないか――指呼の間にある阿寒岳や斜里岳(しゃりだけ)を眺めながら思う。
低山のイメージを覆すような展開にすでに満腹の感もあるが、今日はまだデザートが残っている。もうひと皿、西別岳への縦走を楽しもうか。
西別分岐から北東へ続く道に入り、コエゾゼミの声が響くダケカンバ林をゆく。いつしかカルデラ壁上を離れ、ササと草原の広い尾根に取り付くと、ひと汗かく間もなく西別岳に着いた。ここもまたカムイヌプリと摩周湖が絵になる景色で望まれる。
だが、それ以上に眼を見張るのは根釧(こんせん)台地の広がりだ。牧草地と格子状防風林が地平線まで続き、東にはうっすら国後島(くなしりとう)までも見えている。
心地よい風に吹かれながら佇む横で、伊藤さんが地面に這いつくばって小さな花を撮っている。
「チシマセンブリが多いなぁ。モイワシャジンもあるはずだけど……」
初夏には花の山として知られる西別岳も、晩夏の今は限られた種が揺れるのみ。そんな花々を眺めながらのんびりと山を下っていった。
(取材日=2024年8月21日)
Column道東の自然をさらに楽しむ
一帯は阿寒摩周国立公園であり見どころが多い。山歩きの前後にこれらの観光・散策を組み込めば、雄大な道東の自然をさらに満喫できる。なかでも屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖で、和琴半島や砂湯、釧路川の落ち口、朝の雲海が話題の津別峠や美幌峠などが人気。公共交通機関は限られるため、レンタカーや観光タクシーが便利だ。
砂湯と藻琴山
屈斜路湖の砂湯は湖畔を掘ると温泉が湧き足湯が楽しめる。また、藻琴山は屈斜路カルデラの最高峰で、プラス1座登るのにおすすめ。ハイランド小清水725(展望台)から往復2時間程度。
硫黄山
川湯温泉近くの常時観測火山で、別名アトサヌプリ。かつては硫黄鉱山があり、映画「網走番外地」のロケ地にもなった。周辺はイソツツジの大群落地で、初夏の花期は一見の価値あり。
神の子池
摩周湖の北約4kmにある小さな池。摩周湖の伏流水が1日12,000t湧いているといわれ、底まで透き通った水中を大きなオショロコマが泳ぐ様子は神秘的。道道1115号から約2km。
さくらの滝
斜里川に懸かる高さ約3mの滝。6月上旬から8月下旬にかけて3000匹のサクラマスが遡上し、滝を跳び越えようとジャンプする姿が感動を呼ぶ。神の子池から約16km、札弦から約8km。
北海道
カムイヌプリ(摩周岳) 857m
本記事のようにカムイヌプリから西別岳へと縦走で歩くと楽しさは倍増するが、その場合はタクシーや車2台を使うなどアクセスにひと工夫が必要となる。一般的には摩周湖第一展望台、または西別岳登山口から往復することとなるだろう(それでも充分に満足度は高いはずだ)。
利用者が多いのは前者で、本文でも触れた通り、好展望の爽快な尾根道が延々と続く。標高差は小さく、登りらしい登りは683m三角点と山頂手前の各200mほどである。
一方、後者は景色の変化と初夏のお花畑が魅力だ。西別岳を越えるぶん、前者より累積標高差は250mほど増すが、歩行距離は大差ない。
どちらもコース上に特に危険な箇所や迷いやすい場所はなく、整備状況も完璧と言えるほどにすばらしい。トレランの人も多いようだ。ただし、カムイヌプリ山頂は切り立った絶壁上なので転・滑落には充分に注意を。また、登山口を含めて途中に水場はなく、終始日差しに晒されるので、水はたっぷりと用意しておきたい。
MAP&DATA
*タクシーの走行距離は行き約12km、帰り約27km
[マイカー利用]摩周湖第一展望台に有料駐車場、西別岳登山口に無料駐車場あり
アドバイス:登山適期は5月上旬~10月下旬。コースや自然情報などは川湯ビジターセンター(TEL:015-483-4100)で得られる。
(『山と溪谷』2024年11月号より転載)
プロフィール
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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