謎のトンネル群の先にあったものとは?狭山丘陵の知られざる歴史と自然を訪ねるハイキング
都市近郊の里山を歩いていると、道や分岐が結構多く、また小さな尾根を隔てて風景がガラッと変わることもあっておもしろい。まだ見ぬトレイルや風景を求めて、都市近郊の自然探索へ。
写真・文=中島タツヤ
(仮称)羽村・山口軽便鉄道軌道跡
横田トンネルの入り口に戻った後、せっかくなので地図上で見た直線に延びる「野山北公園自転車道」をたどってみた。自転車道とされているものの、地元の方々の散歩やウォーキング、ランニングでも親しまれている。
道脇の案内板によれば、この自転車道は軌道跡だったということが書かれている。ただ地形図でも表示されているように、この下には水道管が通っているわけだが、これらの関連についてイマイチよく分からない点もあった。後日、一般社団法人武蔵村山観光まちづくり協会にたずねたところ、詳しく教えていただき概要が把握できた。
1924(大正13)年、村山貯水池(多摩湖)が竣工。羽村取水堰から村山貯水池の間に導水管が通され、多摩川の水が引かれた。その後、さらなる飲料水確保のために山口貯水池(狭山湖)が建設開始されることとなる。その工事資材や砂利運搬のため、すでに設置されていた導水管上の用地を利用して、1929(昭和4)年に「(仮称)羽村・山口軽便(けいべん)鉄道」が敷設されたそうだ。狭山丘陵に掘られたトンネルは、軽便鉄道を通すために掘削されたものなのだ。(仮称)なのは、公表されている正式名称がとくにないからだとか。
山口貯水池の竣工にともない軽便鉄道は利用されなくなったが、戦時中に貯水池堤防をかさ上げするために、一時的に軽便鉄道が再利用されたこともあったそうだ。自転車道を西進した所の残堀川(ざんぼりがわ)の手前あたりには、残堀砕石場跡地がある。軽便鉄道が運んだ砂利がここでふるい分けされたり、砕かれていたという。
さらに西は馬頭観音の石碑があるくらいで、直線道路の西端は工場の敷地で行き止まりとなった。周辺にはほかにもまだ知られざる歴史が秘められている気もするが、今回訪れた場所は充分興味深い場所であった。この付近については、追ってヤマタイム地図に反映予定だ。
記事協力:
一般社団法人武蔵村山観光まちづくり協会
https://m-murayama-kanko.or.jp/
都市近郊の自然探索ハイキング
都市近郊の里山を歩いていると、道や分岐が結構多く、また小さな尾根を隔てて風景がガラッと変わることもあっておもしろい。この道はどこにつながっているのだろう?また、どんな景色が広がっているのだろう?まだ見ぬトレイルや風景を求めて、都市近郊の自然探索へ
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