【書評】日本近代登山史陰の立役者 謎多き生涯を追う『孤高に生きた登山家 岡野金次郎評伝』
評者=砂田定夫
日本登山史に重要な功績を残した登山家の一人、岡野金次郎の評伝が初めて刊行された。謎が多いとされるその生涯だが、晩年暮らした神奈川県平塚市に縁の深い著者による丹念な調査と検証で、ほぼその全貌が明らかにされた。
岡野の人生で大きな転機となったのは、小島烏水との出会いだった。その功績は二人が近代登山史上で画期的な記録とされる19 02(明治35)年の槍ヶ岳登山を行なったこと、岡野によるウェストンの著書の発見と対面に続く交友が日本山岳会創立へのきっかけをつくったことである。これまで断片的にしか語られることのなかった勤務先のことなどから、晩年の生活、没後の記念碑建立のいきさつに至るまでが章ごとに詳述され、引用文も多用し、全般に理解しやすい構成になっている。
岡野は日本山岳会の発起人に名を連ねなかったばかりでなく、10年ほどで同会を退会するが、その辺の事情についても興味ある考証がなされている。史実の判断基準として一般に歴史や伝記では、一次史料とされる当事者の日記や文書が基本となり、記憶違いや思い違いの多い証言などは二次的に扱われる。ところが岡野は自らほとんど公表することのなかった登山記録について、自身の日々つづった日記が1923(大正12)年の関東大震災で焼失し、それ以前の記録は謎を残すことになった。
たとえば、前述の槍ヶ岳登山から1912(明治45)年の鋸岳第一高点初登頂までの間は、小島との山行について本書ではさまざまな文献や証言から入念な考証がなされ、同行の可能性を示唆している。しかし、槍ヶ岳と鋸岳以外は当事者による史料に日時や場所が整合する部分は見当たらず、その見解には今後論議を要するだろう。
また、最初の槍ヶ岳登山について、岡野と小島の登山は初登頂ではなかったが、二人のとったルートのオリジナリティに大きな意味があった。特に沢渡から入渓した霞沢のルートについて本書では近藤信行と山崎安治による2度の踏査行に触れながらも、「岡野と小島の辿った登山ルートは解明することはできなかった」としているが、近藤の文では「烏水ルートが確認された」と明記している(日本山岳会会報『山』370、「続・霞沢岳の東面(下)―小島烏水追跡紀行」)。最近、2度目の踏査メンバーでただ一人ご健在の節田重節氏も追憶記を書かれている(同会会報『山』930)。ルートの考証についてさらに深掘りされなかったことが惜しまれる。
今年、岡野の生誕150年を迎え、日本山岳会神奈川支部が主催して第1回岡野金次郎碑前祭が記念碑の立つ湘南平(平塚市)で開催され、年々その功績が顕彰されることになった。ともあれ、期を同じくして岡野の評伝が発刊されたことは大きな意味がある。

孤高に生きた登山家
岡野金次郎評伝
| 著 | 鈴木利英子、鈴木 遥 |
|---|---|
| 発行 | 山と溪谷社 |
| 価格 | 2,970円(税込) |
鈴木利英子
平塚市在住。製薬会社勤務の傍ら登山を始める。2011年に平塚人物史研究会を有志で立ち上げ、冊子『平塚ゆかりの先人たち』を発行。
鈴木 遥
平塚市出身。出版社勤務を経てフリーランスに。ノンフィクションや街をベースにしたコンテンツを制作。著書に『ミドリさんとカラクリ屋敷』(集英社文庫)。
評者
砂田定夫
日本山岳会、日本山岳文化学会に所属。公認山岳指導者として各種講習会の講師を務める。近年は登山史等を研究。著書に『山あれば人あり』(日本山岳文化学会)ほか研究論文多数。
(山と溪谷2024年11月号より転載)
登る前にも後にも読みたい「山の本」
山に関する新刊の書評を中心に、山好きに聞いたとっておきもご紹介。
こちらの連載もおすすめ
編集部おすすめ記事

- 道具・装備
- はじめての登山装備
【初心者向け】チェーンスパイクの基礎知識。軽アイゼンとの違いは? 雪山にはどこまで使える?

- 道具・装備
「ただのインナーとは違う」圧倒的な温かさと品質! 冬の低山・雪山で大活躍の最強ベースレイヤー13選

- コースガイド
- 下山メシのよろこび
丹沢・シダンゴ山でのんびり低山歩き。昭和レトロな食堂で「ザクッ、じゅわー」な定食を味わう

- コースガイド
- 読者レポート
初冬の高尾山を独り占め。のんびり低山ハイクを楽しむ

- その他
山仲間にグルメを贈ろう! 2025年のおすすめプレゼント&ギフト5選

- その他