【書評】ヒマラヤ最奥の地の写真に込められた願いとまごころ『ドルポ 西ネパール 祈りの大地』

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評者=山本高樹

ネパールの北西部に位置するヒマラヤ最奥の地、ドルポ。かつては西チベットに属していたこの土地では、チベット古来の伝統文化や素朴な暮らしが、今も濃密に受け継がれている。周囲は標高5000m級の峠に囲まれていて、村々が点在する一帯の平均標高も4000mに達する。この地域に入ってから中心地のサルダン村までは、歩いて8日から10日もかかるという。ドルポへの外国人の入域がネパール政府から公式に許可されたのは、1992年になってからだった。

20世紀初頭に日本人として初めてチベットに潜入した僧侶、河口慧海は、このドルポを通ってチベットに向かったと伝えられている。その彼の足跡をたどる「慧海ルート」の踏査や、冬のドルポでの100日以上に及ぶ長期取材を通じて、この土地を最も深く知る日本人の一人が、稲葉香さんだ。2022年に刊行された稲葉さんの著書『西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く』に続き、同書に未収録の写真から厳選して編まれたドルポの写真集が、本書となる。

筆者は以前、稲葉さんと、書店主催のトークイベントで対談したことがある。稲葉さんがドルポをはじめとする西ネパールのチベット文化圏を調査しているのに対し、筆者はインド北部のチベット文化圏ラダックを中心に取材に取り組んでいるという類似点があるのだが、それぞれの地域での経験から感じていた思いで共通していたのは、写真や映像、あるいは文章で「記録する」ことの大切さだった。

稲葉さんによると、ドルポでは今、周辺からの道路の延伸工事が着々と進められていて、大量の物資や情報の流入により、社会構造や人々の生活様式も急激に変化しつつあるという。筆者が専門とするラダックでも、同じような変化が先行して起こっている。どちらの地域でも、長きにわたって受け継がれてきたさまざまな伝統が、ほんのわずかな期間のうちに途絶え、すっかり忘れ去られてしまうかもしれない状況にある。

でも、写真に撮って「記録」し、それを日本の読者だけでなく、現地の人々にも見てもらえたら(だから、この写真集は日英併記となっている)、彼らが自分たちの土地と暮らしのよき側面にあらためて気付いて、それらをできるだけ失わないように心がけてくれるかもしれない。そんな稲葉さんの願いが、この本には込められている。

ページをめくると、一枚一枚の写真から、かけがえのないものを記録し伝えていきたい、という稲葉さんのまっすぐな思いが立ち上ってくるのを感じる。本当の意味で写真に力を宿らせるのは、小手先の技術や小賢しい計算ではなく、撮り手自身のまごころなのだと気付かされる。稲葉さんのまごころは、言葉の壁を超えて、ドルポの人々にも届くはずだ。

ドルポ 西ネパール 祈りの大地

ドルポ
西ネパール 祈りの大地

稲葉 香
発行 彩流社
価格 4,950円(税込)
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稲葉 香

ヒマラヤトレッキング、登山を続ける美容師。東南アジア、インド、ネパール、チベット、アラスカなどを放浪し、旅の延長で山と出会う。18歳でリウマチを発病。同じ病であった僧侶・河口慧海の存在を知り、彼が経典を求めてチベットへ越境したルートをたどる。第25回植村直己冒険賞を受賞(2021年)。

評者

山本高樹

著述家・編集者・写真家。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』で第6回「斎藤茂太賞」受賞。近著に『ラダック旅遊大全』(いずれも雷鳥社)。

山と溪谷2024年11月号より転載)

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