うつろう時代を見つめて。小屋番82歳、三伏峠小屋を下りる

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「はいさよなら、とはならない」

9月29日(日)が最終営業日だった。その翌日にはスタッフ全員で下山する。1週間以上前から少しずつ小屋閉めを進めた。使わない部屋から布団を片付けたり、休憩用の東屋を解体したり、28日には近在に住む助っ人2人が上がってきた。増えた人手で雨戸を付け、水のタンクやソーラーパネルを覆い、窓や入口を次々と板で打ち付け塞いでいった。

小屋閉めを手伝いに上がってきたスタッフをねぎらう小笠原さん
小屋閉めを手伝いに上がってきたスタッフをねぎらう小笠原さん

「施設は広い。それを覚えるだけでも大変。厨房はできるようになっても、外周りを覚えるのに3年はかかる」

水周りや電気系統の設備が故障することはたびたびある。壊れたからといって業者を呼ぶことはできない。自分たちで修理するしかないから、全体の仕組みを頭に入れる必要がある。

「二十何年間、下界の真夏は過ごしていない。それでも毎日変化があって楽しかったよ。ほんとは責任をもって小屋のことを考えられる人が要る。さみしいとかは言ってられない。明日一日終わったら『はいさよなら』とはならない」

後継者の決まらないままの引退に心配は尽きない。

小笠原さんが仰向けに寝転がった。以前、足を踏み外して腰を打ったのだ。男手を引き連れてソーラーパネルに覆いを付ける作業を終えて、小さなハシゴを下るときのことだった。

「まだまだできると言われるけど、耳が遠いし体がついていかない」

82歳にもかかわらず高所作業を厭わない
82歳にもかかわらず高所作業を厭わない

老兵は去りゆくのみ

山小屋以外の時期は、秋春はリンゴ栽培の作業をして、農協の育苗センターで今も働いている。下りたらどうするのか聞くと「温泉に入ってゆっくりしたい」という。

周囲の山小屋がそうしているように、来年以降は朝食を簡略化するなどしてスタッフで回せるようにしていくそうだ。そうはいっても、責任感から、小笠原さんは来年も小屋開けには顔を出すという。

後片付けも29日で大方終わり、朝食を取ったら後は下山するだけになった。

「最後に烏帽子岳でも登りたいなあ」と前日に小笠原さんが言っていた。残っていた女性スタッフ2人が気遣って、歩いてすぐの三伏山にみんなで登ろうと相談した。

「先に行け」と小笠原さんが2人に伝え、小笠原さんとぼくとで正面玄関の戸を打ち付けた。終えると「おれは先に下りるでな」とザックを背負って、そのまま登山口に向かって歩き始めた。

自分の足では下山に時間がかかるのがわかっていたので、ほかのスタッフに迷惑をかけないように演技をしたらしい。82歳の不器用な小屋番は、感傷を置いたまま小屋を後にした。

正面玄関に戸を打ち付け24年間勤めた小屋を閉める
正面玄関に戸を打ち付け24年間勤めた小屋を閉める
最後の確認をしてほかのスタッフには告げずに下山する
最後の確認をしてほかのスタッフには告げずに下山する
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プロフィール

宗像 充(むなかた・みつる)

むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

Special Contents

特別インタビューやルポタージュなど、山と溪谷社からの特別コンテンツです。

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