南アルプス南部調査人、四国遍路を歩く⑪香川県の遍路道 概要と特徴

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弘法大師・空海が修行した地・四国と、ゆかりの八十八寺をお参りする巡礼・四国遍路。南アルプス南部を主なフィールドとして長らく山歩きに傾注してきた筆者が、数カ月にわたって通い続け、歩き遍路を結願(けちがん、すべての霊場を回り終えること)した。その記録とともに、登山経験豊富な筆者ならではのアドバイスをつづっていく。

写真・文=岸田 明 カバー写真=結願寺・大窪寺へ向かう女体山の山頂付近から讃岐平野を見下ろす。中央左の平野部が高松市、中央右の台形が屋島、さらにその右の突出している山が五剣山

目次

香川県の名所・史跡

香川県といえば、うどんのイメージが強いが、残念ながらうどん屋は遍路道沿いに多くはない。一方、香川県を代表するといえるのが、金刀比羅宮(ことひらぐう)だ。善通寺市南の琴平町にある金刀比羅宮は四国八十八ヶ所霊場には入っていないものの、遍路の父・真念の「道指南」には説明があり、参拝が遍路の定めとされていた。神仏分離令までは麓にある松尾寺(まつおじ)の一部だったそうで、善通寺からはれっきとした遍路道があり、しるべ石もある。長く高度差のある階段が有名で、本殿まで785段、標高421mの奥社まで1386段あるが、山寺に慣れた遍路としては、問題なく登れるだろう。

続いて、高松市北東部に位置する屋島が挙げられる。第4回コラム「徳島県の遍路道 概要と特徴」の「徳島県の遍路道周辺の歴史的スポット」の項でも少し触れたが、屋島はまさに源平の戦いの戦場である。屋島付近の各所に戦跡があり、第八十四番屋島寺には戦勝した源氏が血の付いた刀を洗ったといわれる、血の池がある。また屋島寺から急斜面を下った浜は、源平最後の決戦・壇ノ浦の戦いで崩御した安徳天皇の内裏(だいり)があった場所で、安徳天皇社として祀られている。

〉安徳天皇社
都落ちした安徳天皇の御所があったとされる場所に建てられた安徳天皇社

遍路道に沿ったさらなる名所としては、紹介の順序が逆転するが、観音寺市にある銭形砂絵(ぜにがたすなえ)が挙げられるだろう。

源平屋島合戦の折、源義経が神馬と鳥居を奉納したといわれる琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)の参道を通り、琴弾八幡宮本社にお参りした後、標高58mの琴弾山の山頂にある展望台から見る周囲345mの寛永通宝の砂絵は、非常に大きく形が明瞭でみごとな造りだ。この砂絵は、江戸時代に藩主を歓迎するために一夜にして作られたといわれ、この砂絵を見れば一生お金に不自由しないとの言い伝えがある。そして展望台から先へ行けば、直接観音寺の境内に降りられる小径があり時間もかからないので、霊場お参りの前段として展望台に訪れてもよいだろう。

ヤマタイムでは、第六十八番神恵院・第六十九番観音寺(この2つの霊場は同じ敷地内にある)にお参りするルートとして銭形砂絵を俯瞰できる琴弾八幡宮からの道を示している。

〉銭形砂絵
展望台から見た伊吹島の浮かぶ瀬戸内海をバックにした銭形砂絵。日没から午後10時までライトアップされる

以上香川県の概要について説明したが、次回では霊場の歩き方について区間に分けて解説する。

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プロフィール

岸田 明(きしだ・あきら)

東京都生まれ。中学時代からワンゲルで自然に親しんできた。南アルプス南部専門家を自認し、今までに当山域に500日以上入山。著書に『ヤマケイアルペンガイド南アルプス』(共著・山と溪谷社)、『山と高原地図 塩見・赤石・聖岳』(共著・昭文社)のほか、雑誌『山と溪谷』に多数寄稿。ブログ『南アルプス南部調査人』を発信中。山渓オンラインに記事多数投稿。また最近は四国遍路の投稿が多い。

四国遍路の記事:https://www.yamakei-online.com/yama-ya/group.php?gid=143/

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