移住者対談|山好きの私たちが、北アルプスの麓に移住して手に入れたもの
山に魅せられて、北アルプスの麓への移住をかなえた人がいます。埼玉県から移住し、長野県池田町で民宿を営む坂井直之さん・絵美さん夫妻と、愛知県から夫婦で移住し、モルゲン・アーベントハンターとして活動する中村克麻さんに、山のある暮らしの魅力や実現するために必要なことについて話を聞きました。
取材・文・写真=鈴木俊輔
[プロフィール]
坂井直之さん・絵美さん (民宿『山想』オーナー)
埼玉県川越市出身。2020年に長野県池田町に夫婦で移住。「北アルプスの景色に癒やされる宿」をコンセプトに、2021年1月に民宿『山想』をオープン。山と溪谷オンラインの移住者インタビュー2021にも登場。
中村克麻さん(モルゲン・アーベントハンター)
愛知県岩倉市出身。2021年に長野県池田町に夫婦で移住。モルゲンロートとアーベントロートの写真を中心に山の写真を撮影。2025年3月にカメラマンの永島裕氏と初の写真展を開催。
――坂井さんと中村さんは同じ地区に住んでいますが、初めはどんなきっかけで知り合ったのですか?
「中村さんを初めて知ったのは、この宿を建てた頃でしたね。基礎工事で来ていた職人さんが、『うちの隣りに山好きの若者が移住してきたよ』と」(直之さん)
「その職人さんもまた山好きの移住者で」(克麻さん)
「そうそう、その職人さんが食事会に誘ってくれたんだけど、そのときは参加できなくて中村さんにも会えなかった。中村さんのSNSを見たら、冬のモルゲンロートの写真がたくさんあって、この人は自分たちとは次元が違うなと(笑)。初めて会ったのは、たしか地区のキノコ狩りのときでした」(直之さん)
――中村さんはモルゲン・アーベントハンターとして活動していますが、山の写真を撮り始めたきっかけは?
「登山を始めたのは学生時代です。ドライブが好きでこちらに来るうちに、山に興味を持って登るようになりました。本格的に山の写真を撮るようになったのは、2017年にカメラマンの永島裕さんに出会ってからです。それまでもコンパクトデジカメで撮影していたのですが、永島さんに一眼レフを勧められて撮り始めたら夢中になってしまった(笑)。昼間だと光の加減で山の立体感を表現することが難しく、陰影のある美しい写真を求めたらモルゲンロート・アーベントロートに行き着きました」(克麻さん)
「山の写真を撮りに行くときは、夜の暗いうちに登り始めるんですよね?」(絵美さん)
「モルゲンロートを撮るときは基本的に日帰りで、日の出時刻から逆算して夜中に出発します。自分の歩くペースも考慮して、だいたい日の出の1時間前には頂上に着いてスタンバイしています。3月に爺ヶ岳で鹿島槍ヶ岳のモルゲンロートを撮影しようとしたときはなかなか雲が抜けなくて、このままでは帰れないと、気温マイナス15度、風速15メートルのなかで3時間待ちました。昨年の1月にリベンジして、ようやく撮影することができました」(克麻さん)
「そんな過酷な環境で撮影しているのですね。中村さんをそこまで駆り立てるものは何なのですか?」(絵美さん)
「誰も見たことのないような山の景色を写真に収めたいという思いがあります。また、その瞬間に立ち会って、肌で空気を感じながら感動を味わいたいという思いです。山の写真を撮ることは僕にとっての生きがいで、これがあるから仕事も頑張れるんです」(克麻さん)
宿泊者の3割は移住を考えている人
――坂井さんが北アルプスの麓で民宿を始めた理由は?
「若い頃から二人で旅行や登山で日本中を回っていました。私も夫もそれぞれの職場で長い間同じ仕事を続けてきたので、40代の半ばで新しい経験をしてみたいなと。夫は定年後の地方移住を考えていましたが、私はそれを待たずに若くて体力のあるうちに実現したいと思いました」(絵美さん)
「山を一望できる場所で暮らして、居心地のいい宿をやりたいという思いがありました。それで長野県内を探したところ、北アルプスのパノラマが広がる池田町に出合ったのです。地元の工務店の紹介でこの土地を見つけて、町の移住準備住宅に住みながら民宿のオープンに向けて準備をしました」(直之さん)
「山想さんには、移住を考えて泊まる人も多いですよね?」(克麻さん)
「うちは池田町の移住協力店に登録していて、移住者応援割引をやっていることもあって、宿泊者の3割くらいはこちらへの移住を考えている人です。いますぐ移り住みたいという人もいれば、そのうちに移住したいという人もいます。でも実際に移住してくるのは、ここに住みたいという熱量があってすぐに行動に移す人ですね」(直之さん)
――移住にあたって、ハードルや不安はありましたか?
「移住を考える人にとっての大きなハードルは住まいと仕事ですが、うちの場合は両方とも決まっていた。でも正直なところ、お金の不安はありました。新築して宿を始めるとなると、それなりの費用が必要です。ある程度の貯蓄はありましたが、それまで住んでいた持ち家をいくらで売れるか、退職金をどのくらいもらえるのか。宿の建設費や移住後の生活費をシミュレーションしたところ、最終的にこれならなんとかいけるかなと踏ん切りがつきました」(直之さん)
「会社を辞めて毎月の収入が途絶えたときは不安になりましたが、移住先が決まって走り出したらやることが多くてあれこれ考えなくなりました。不安よりも一生住みたいと思える場所に出合えた喜びが大きくて、なんとかやっていける自信がありましたね。中村さんはどうでした?」(絵美さん)
「元々、地方移住を考えていたわけではなかったのですが、あるとき、妻が不動産サイトで平屋建ての中古物件を見つけてきて。二人で内覧に行ったら、北アルプスの眺望が素晴らしく、土地が広くて野菜作りもできる。まさにうってつけの家だと思い、その場で即決しました。仕事の不安はありましたが、どうしてもここに住みたいという気持ちが強かったので、収入は減っても共働きならなんとかなるかなと」(克麻さん)
「中村さんは移住前にどんな仕事をしていたんですか?」(直之さん)
「移住する前はメーカーで営業職をしていて、僕の場合は起業という選択肢はありませんでした。ハローワークで求人情報を調べたら、たまたま前職の経験を生かせる仕事が見つかって。仕事は順調だったので辞めることに抵抗も感じましたが、山のある暮らしをかなえたいという思いが勝っていました。仕事以外で不安だったのは、地域になじめるのかということ。でも引っ越してきて近所にあいさつに回ったら、みなさんとても良い人で安心しました。地区の消防団にも入って、いろいろなつながりができましたよ」(克麻さん)
山の頂上から〇〇を眺める楽しみ
――移住前と移住後で山との関わり方はどう変わりましたか?
「以前は仕事が終わると名古屋から車を3時間走らせて、そのまま寝ないで山に登っていました。いまでは定時に仕事を終えて、仮眠をとってから山に行きます。毎週登りたいくらいですが、天候条件もあるので頻度は月2回くらい。1時間車を走らせれば、たいがいの登山口にアクセスできるので、フットワークが軽くなりました」(克麻さん)
「うちは毎週末、埼玉から山に登りに来ていました。仕事のストレスも大きかったので、気分転換の意味もありましたね。以前は多少天気が悪くても登っていたのですが、いまでは天気がいいときしか登らない。野球に例えるならば、ストライク狙いでボール球は見送ります。その分山に登る頻度は逆に減りました(笑)」(直之さん)
「移住して間もない頃に、地区の登山サークルに誘われて二人で参加しました。驚いたのは、燕岳に日帰りで登るということ。こちらではそんなことが可能なのかと。頂上に着いたら裏銀座の絶景が広がっていて、『すごいね!』と夫と感激していたら、みなさんは反対側の安曇平を眺めている。町を見下ろして、『あの辺りにうちの家がある』とか『ほら、スーパーが見えるぞ』とか言いながら盛り上がっているんです(笑)。そういう楽しみ方もあるのだなと」(絵美さん)
「燕山荘から望遠レンズをのぞくと、『あれ、山想さんだ』って(笑)。普段家から眺めている山の頂上から自分の住む町を眺めるのも楽しいですよね。山で出会った人に、『ここからうちの家が見えるんです』と話すとうらやましがられます。ここでの生活に満足しているので、遠出する機会はずいぶんと減りました」(克麻さん)
「自分たちはたまに宿を休んで、二人で県外に旅行に行くこともあります。でも、池田町の山の景色が恋しくなってすぐに帰りたくなってしまう。安曇野インターチェンジを下りて、北アルプスが見えると感激しますね」(直之さん)
――最後に、山のある暮らしをかなえるために必要なことを教えてください。
「移住を考えているならば、まずは現地に行って空気を肌で感じてみることが大事だと思います。そこに心を動かすものがあるならば、本当に来たいと思える瞬間が訪れるはずです。僕の場合は北アルプスの麓に移住して、非日常的な光景が日常のものになりました。でも、山がいつも違う表情を見せてくれるので感動が薄れることはありません」(克麻さん)
「いまの暮らしと移住後の暮らしを天びんにかけたときに、山のある暮らしをどのくらい実現したいのかということだと思います。移住するとなれば、手放さなければならないこともあります。また、子育てや親の介護などの理由で物理的に難しい場合もありますが、最終的には決断する勇気です」(直之さん)
「どうしても手放したくないものがあるならば、まだ移住するタイミングではないのかもしれません。いきなり家を買うのではなく、試しにアパートに住んでみて、現地での暮らしを体験してみるのもよいと思います。何を差し置いても山のある暮らしをかなえたいと思えるのなら、一歩を踏み出して突き進むだけです!」(絵美さん)
プロフィール
鈴木俊輔(ローカルライター・信州暮らしパートナー)
長野県池田町を拠点に、インタビュー取材・撮影・執筆を行なう。また、長野県の信州暮らしパートナー、池田町の定住アドバイザーとして移住希望者の相談に乗る。2015年に神奈川県から長野県へ移住したことをきっかけに登山を始める。北アルプスの景色を眺めながらコーヒーを飲むのが毎日の楽しみ。趣味は、コーヒー焙煎、まき割り、料理。野菜ソムリエプロ。
山のある暮らし
都内の出版社で働くサラリーマン生活に区切りをつけ、家族とともに長野県池田町に移住した筆者が、「山のある暮らしの魅力」を発信するコラム
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