低山でも高山でもない“中山”の魅力。日帰りで味わう北アルプスの絶景【大町市・鍬ノ峰 編】
私の場合、登山といえばもっぱら日帰り。理由はいろいろあるのですが、いちばんは思い立ったときに登りたいというもの。日帰りとなると、選択肢はある程度絞られますが、私の住む北アルプス界隈でも、まだ登ったことのない山はたくさんあります。短時間で気軽に登れる山もいいですが、もう少し山あり谷ありの紆余曲折を経て、「登った感」を味わいたい。かといって難易度の高い山に挑む体力とテクニックは持ち合わせていないので、大きなリスクはとれない。となると、目指すは低山でもなく高山でもない“中山”。「なかやま」ではなく「ちゅうざん」です。
文・写真=鈴木俊輔
里から行く、鍬ノ峰(くわのみね)登山
今回登るのは、北アルプスの東側に位置する「鍬ノ峰」。方向によって美しいピラミッド型に見えることから「常盤富士」とも呼ばれる標高1623mの中山です。この山には2通りの登山ルートがあります。山の西側から登るルートは距離が短く、2時間もかからず登頂できますが、ここはあえて北側のルートに。上り3時間半、下り3時間の長丁場です。
10月24日、晴天を狙って、同じく移住者で長野県の池田町に住む、登山仲間の川上さんと一緒に山行へ。朝7時に川上さんを車でピックアップして、7時20分に登山口に到着。出発時は霧が立ち込めていたものの、大町市に入るとすっきり晴れて爽やかな青空。車は北アルプスの麓にある佛崎山観音寺の駐車スペースに。
「川上さん、そのリュックにぶら下がってるのは何ですか?」
「ああコレね。家に飾ってたモビールなんだけど、クマ鈴よりも音が大きいから付けてきた。ほらっ」
ガランガラン!
「かなり存在感のある音ですね。クマもびっくり」
「ところで、鈴木くんのリュックのポケットに刺さっているソレは?」
「ああコレは、ハチスプレーです。クマスプレーが近場で手に入らなかったので、家にあったのを持ってきました」
「それクマにも効くの?」
「何も無いよりはよいかと」
『熊に注意!』の紙が貼られた電気柵を恐る恐る開けて、いざ登山道に。今年は北アルプス地域でもクマの目撃情報が多く、県が「ツキノワグマ出没注意報」を発令するほど。薄暗い山道に不安を覚えながらも、川上隊長を先頭に進みます。
鐘突堂から始まる急登に汗
登り始めて10分ほどで、鐘突堂に到着。少し登っただけでも眺めが良く、大町市の街並みを一望できます。さっきまでのクマへの恐怖も忘れて、無邪気に鐘を突く川上さん。大きな音が辺りに鳴り響きます。「これから登りますよ」と、クマへの合図になるといいなと思いながら、先へ進みます。
ここからが本番。所々に大きな岩があり、ロープを伝ってよじ登ります。その後も急な上りが続き、細い道から足を踏み外さないように慎重に歩を進めます。険しい道がどのくらい続くのだろうと思っていたら、ようやく平坦な道に出てホッとひと息。フカフカの地面を踏みしめながら、緩い尾根道を意気揚々と歩きます。しかしそれも束の間、目の前に立ちはだかる急斜面。ここもロープを頼りに、息を切らせながら登ります。早くも汗ばんできて、平地に出たところで一枚脱ぎます。
鍬ノ峰は、地元の大町岳陽高校の山岳部が定期的に登山道整備をしてくれているそうで、先ほどのロープもきっと部員たちが設置してくれたもの。よく見ると、所々に木にくくり付けられたピンク色のテープがあり、目印になってありがたいです。
クマのフンと樹洞に戦慄
川上さんは九州男児で、幼少期から山好きのおばあさんと一緒に登山をしていたそう。登山歴は長く、これまで何度か一緒に山に行っています。植物や生き物のことに詳しく、道すがらいろいろ解説してくれます。例えば、「このキノコは食べられるよ」「いまの鳴き声はアオバトかな」「このフンはシカだね」といった具合に、私の知らないことを教えてくれるので、山行の楽しさが倍増します。
「ちょっと川上さん、この大きいフンは?」
「それはクマだね…」
思わず辺りを見回す二人。動物の気配は感じられないものの、木の根っこが洞穴のようになっているのを発見。いかにも何かが棲んでいそうで戦慄が走ります。
シャクナゲが群生する尾根道が続き、きっと6月頃は花が咲いてきれいだろうなと想像しながら登ります。標高が上がってくると、赤や黄に色付いた葉もあり、所々で紅葉が見られます。歩き始めて2時間半、北峰頂上1526m地点の目印を発見。木々に囲まれていて眺望はありませんが、息を整えてから山頂を目指します。ここからはクマザサが生い茂る急な下り。背丈ほどあるクマザサに、前を歩く川上さんがほとんど埋もれています。
山頂から望む北アルプスの絶景
クマザサをかき分けながら進むこと約1時間。無我夢中で急な山道を登っていくと、不意にひらけた山頂の景色。眼前には360度のパノラマが広がっています。西側には、餓鬼岳、針ノ木岳、蓮華岳。北側には、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳といった北アルプスの山々。いつも里から眺めている山を間近に見られる喜びはひとしおです。東側には大町市の街並みが眼下に。正面には鷹狩山の展望台も見えます。「あそこがスーパーで、その向こう側にあるのが工場で」などと指さしながら、自分たちの生活圏をいつもと違う視点で眺められるのは愉快なものです。
写真を撮り終えると、早起きしてこしらえたおにぎりをほおばります。いつもより少し多めの塩で握ったその味わいは格別で、「やっぱり山の食事は、おにぎりに限る」などと言っていると、藪の方からザワザワとした音が近づいてきます。何だろうと思ったら、西側のルートから来た登山者。どうやらクマ除けのために、ラジオを流しながら登ってきたようです。
下山と日帰り温泉で締めくくる一日
登頂の余韻に浸りながら、元来た道を下山。酒や肴の話で盛り上がりながらしばらく行くと、前を歩く川上さんがモゾモゾと動く何かを発見。
「あのまだら模様は、ヤマカガシだね」
わが家の周辺でも時々見かける毒ヘビ。毒性はマムシやハブよりも強いそうですが、人の気配を感じると逃げていきます。やはり下山時も気は抜けません。さらに下りの急斜面は滑りやすく、上り以上に注意を払いながらゆっくりと前進。岩場を過ぎたあたりからは道が分かりにくく、途中で2度道を間違えて引き返すことに。幸いクマにも遭遇せず無事に下山。感謝の気持ちで、佛崎山観音寺のお堂で手を合わせます。
いそいそと車に乗り込むと、楽しみにしていた日帰り温泉に。登山口から車で約7分の「心笑館こまどめの湯」。平日の午後3時前はまだ入浴客も少なく、広い湯船に足を伸ばして、疲れた体を癒します。この緊張から弛緩に至るプロセスこそ、山登りの醍醐味。露天風呂に浸かりながら、晴れた秋の空を見上げます。
里から少し足を延ばせば味わえる非日常。こんなぜいたくな経験ができるのは、まさに山のある暮らしならでは。「次はどこに登ろうか」などと話しながら、家路につく二人でした。
この記事に登場する山
プロフィール
鈴木俊輔(ローカルライター・信州暮らしパートナー)
長野県池田町を拠点に、インタビュー取材・撮影・執筆を行なう。また、長野県の信州暮らしパートナー、池田町の定住アドバイザーとして移住希望者の相談に乗る。2015年に神奈川県から長野県へ移住したことをきっかけに登山を始める。北アルプスの景色を眺めながらコーヒーを飲むのが毎日の楽しみ。趣味は、コーヒー焙煎、まき割り、料理。野菜ソムリエプロ。
山のある暮らし
都内の出版社で働くサラリーマン生活に区切りをつけ、家族とともに長野県池田町に移住した筆者が、「山のある暮らしの魅力」を発信するコラム
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