山小屋土産の代表格。3500個集めたコレクターが語る、眺めて楽しい山バッジの世界【山と溪谷4月号】

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雑誌『山と溪谷』2025年4月号の特集は「登山者に欠かせぬ風呂、酒、山小屋土産」。登山を彩るのは、山登りそのものだけではありません。山を下りてからのひと風呂や一杯、その山ならではの土産物といったアクセントが、山行をいっそう豊かにします。いつもの登山をより楽しくする、登山と切っても切れない、そんな3つのこと・ものを紹介する特集から、山小屋土産の代表格・山バッジの魅力を紹介しよう。

構成・文=井上倫子、写真=中村英史

3500個を集めたコレクターが語る、山バッジの魅力

手ぬぐい、Tシャツ、キーホルダーなど、山小屋で売っているお土産のなかでも、ダントツに“かさばらない”ので、ついつい欲しくなってしまうのが山バッジだ。1967年から山バッジを収集している長沢博幸さんに、その魅力を聞いた。

長沢博幸さん
お話を伺ったのは・・・ 長沢博幸さん
ながさわ・ひろゆき/1948年生まれ。2001年に百名山を、08年に三百名山を完登。06年に山バッジコレクションを集めた『山バッジ 50カラットの宝物』を発刊。雑誌やテレビなどに出演多数。
百名山の山バッジ
百名山の山バッジ。ほかに三百名山のバッジも所有している。百名山は一つの山で複数のバッジがあったり、小屋ごとにバッジがあったりするが、三百名山になるとバッジを製作していないことも珍しくなく、自作したことも

「1年前くらいに西丹沢(にしたんざわ)ビジターセンターに100個ほど寄贈したので、現在の総数は3400個くらいですね。集め始めた60年代の当時、チロリアンハットをかぶって登山する人が多く、帽子にバッジをたくさんつけている姿がかっこいいなと思い、収集を始めました。しかし帽子につけていると途中でなくすこともあって、そのスタイルはすぐにやめましたよ」

百名山の山バッジ
バッジはB4サイズのパネルに穴を開け、ピンで留めて保管している。パネルの総数は76枚にも及ぶ
長沢さんが愛用していたチロリアンハット
長沢さんが愛用していたチロリアンハット。60年代に、ピッケルにモチーフがぶら下がるバッジがはやったという

長沢さんは海外の山に登ったことがなく、集めるバッジは日本の山だけだという。しかも缶バッジは集めないというこだわりをもっている。

「バッジを手に入れると山を登ったという証になりますし、入手することで登山が完結したなと思います。以前はお土産としてテレホンカードも販売されていましたが、最近はほとんど見かけなくなりましたよね。山バッジは金属製で変化もしにくいし、昭和初期から現在まで100年近く販売されているほど、長い歴史があるんですよ」

長沢さんは会社員時代から収集をしていたが、早期退職をした後に全国各地の山をほぼ単独行で訪れた。2006年にそれらのコレクションを一冊の本としてまとめることになり、それを機にネットオークションで購入することも始めた。山に登るのが難しくなった今も、オークションでの購入は続けている。

「山バッジは金型からプレスして作られるものが多く、微細な山肌まで表現され、色があるものは一点ずつ手で着色されています。小さななかに日本の職人技術も感じられるのが魅力ですね。私が“優等生的美人”と呼んでいるお気に入りは、背景に山が描かれ、その手前に標高と山の名前が漢字で書かれているものです」

ここまでたくさん集めていると共通するデザインのパターンも見えてくるという。“優等生的美人”のような「山」「山名」「標高」がそろっているもの。よく描かれる植物はコマクサ、シャクナゲが多いこと。ピッケルの下にチャームがぶら下がり、そこに山や花が描かれるものが多いことなど。たまに違う山が描かれているのでは? と疑問を抱くものもあるという。アートのような魅力があるが、あくまでも安価なお土産だからこそ起こり得るエピソードだ。

「やり始めたら追求するタイプで、購入できるものはすべて購入しようと決めた時から、無間地獄に足を踏み入れてしまったなと思っています(笑)。山バッジはあくまでもB級芸術品。A級ではないけれど、集めたくなる魅力が詰まっているんです」

これだけの数を収集していると、山で出会った人からバッジをもらうこともあり、インターネットや展覧会を通じて友人も増えたという。

「自分のウェブサイトでコレクションを公開していたので、そこを通じてコレクターたちと出会い、一緒に何度か展覧会を開きました。2009年に横浜で仲間と初めて展覧会を開いた際には、621人もの来場者があり、みなさんこんなにも興味があるのかと驚きましたね」

収集を通して、多くの人との出会いが生まれた。そして山に登らなくなった今も、小さなバッジを眺めれば、苦労して登った山々の景色を思い出す。長沢さんは今後このコレクションをどこかに寄付をしたいと考えているという。興味のある方は編集部に一報してほしい。

人気の立山は発売年入りで製作

立山(たてやま)のような登山客の多い人気の山では、毎年違うデザインでバッジを販売していたことも。いつ発売されたものかわかるため、資料性も高い。カラフルな色合いだけでなく形も異なり、バッジを手に入れるために毎年山に行きたくなってしまうデザインだ。

1958年

立山のバッジ(1958年)

1960年

立山のバッジ(1960年)

1961年

立山のバッジ(1961年)

歴史を伝える戦前の貴重な逸品

貴重な戦前のバッジは、オークションで手に入れた。バッジというより「メダル」に近く、そのため両面に絵柄が施され、留め具もぶら下がるタイプのものだ。

丹沢・大山のバッジ
1931年に丹沢の大山(おおやま)の山頂社務所で購入されたバッジ。持ち主によって箱に購入年月が手書きされていたため、戦前のものとわかった
浅間山のバッジ
浅間山(あさまやま)のもので、菅笠をモチーフにしており、裏面には「中央新聞社 39.7.28」と書かれている

山に魅せられた有名画家がデザイン

北穂高岳のバッジ
画家で登山家としても知られる、足立源一郎が描いた北穂高岳(きたほたかだけ)の絵が使われているバッジ。足立は制作のため何度も北穂高小屋を訪れていたそうだ。青と赤茶色に染まる山のコントラストが美しい逸品
八甲田山のバッジ
青森県出身の版画家・棟方志功による八甲田山(はっこうださん)のバッジ。棟方が酸ヶ湯(すかゆ)温泉を訪れた際に見た鷲がモチーフになっており、1954年にデザインされた。現在も酸ヶ湯温泉で発売されている

バッジの留め具もさまざま

バッジの留め具
いちばん下の「管(くだ)ピン」は60年代からあるもの。最近は左のバタフライクラッチが多い。上のねじ式は紛失しにくい

山容の特徴をとらえた写実的なバッジ

長沢さんお気に入りの“優等生的美人”のバッジのなかでも、写真とそっくりに山が描かれている、みごとな2点。写真と見比べるとその精度がよくわかる。

赤岳のバッジ
山頂が鋭く立つ姿が印象的な、八ヶ岳の主峰・赤岳(あかだけ)。手前の黄色い花はツクモグサだろうか
仙丈ヶ岳のバッジ
南アルプスの女王・仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)は小仙丈沢カールも巧みに表現されている。手前に描かれているのは岩場にひっそりと咲くイワギキョウと思われる

個性が光る珍しいバッジ

唐松岳のバッジ
軒下に鐘が下がる珍しい構図の唐松岳(からまつだけ)
人形山のバッジ
遭難した姉妹の姿が春になると山肌に雪形で現われるという昔話がある人形山(にんぎょうせん)
北穂高岳のバッジ
ハーケンなどのギアが描かれた北穂高岳
甲斐駒ヶ岳のバッジ
武田信玄が愛用した手提げ袋「信玄袋」がモチーフの甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)
那須岳のバッジ
茄子のなかに山が描かれた那須岳(なすだけ)
黒部源流のバッジ
シュールな河童の全身が描かれた黒部(くろべ)源流(山小屋不明)
六甲山のバッジ
等高線が表現された六甲山(ろっこうさん)
三俣蓮華岳のバッジ
英字のロゴのなかに稜線が描かれた三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ)
蔵王山のバッジ
ブーツに赤いコマクサがあしらわれた蔵王山(ざおうざん、ざおうさん)
金時山のバッジ
金太郎の鉞(まさかり)に山々が描かれた金時山(きんときやま、きんときざん)

『山と溪谷』2025年4月号より転載)

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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