【書評】山へのまなざしと感性をたどって『クライミング・マインド 山への情熱の歴史』
評者=石川美子
『山のパンセ』で知られる串田孫一は、中学生のとき、さまざまな山行書を読んで山歩きの喜びをおぼえたという。「山の本を読んでいたら山へ行きたくなって飛び出して来た」のであり、「山の本を読みながら、いつか知らず識らずのうちに過去の山旅の想い出にふけっていた」のだという。
著者マクファーレンにも同じことが起こった。12歳の夏休みに祖父の家でマロリーの遭難の記録『エヴェレストへの闘い』を読んで魅了され、英雄的な登攀記を次々と読んでいった。
その12年後に、エルゾーグの『アンナプルナ』を再読する機会があった。ふたたび夢中になって、「魔法にかけられた」ようにアルプスへ向かった。だが雪山で滑落しそうになって、死の恐怖を味わい、無謀さを後悔する。
マクファーレンは考えた。人はなぜ、命の危険を冒して山に登るのかと。そして登山の歴史を知りたいと思い、自分が雪山での恐怖を知った2000年から300年以上の時間をさかのぼってゆく。
はじめは地球の姿への興味(地質学や博物学や地理学)から人は山に向かったが、科学的な関心のなかで、山の風景美や崇高さに感動する感性も育っていった。19世紀になると初登頂への願望が高まり、アルプス黄金時代に。そして20世紀にはヒマラヤの夢へ。
こうした登山史はすでに多くの書物で語られたことである。だが本書の魅力は、歴史的なできごとや先人たちの試みが、時をこえて著者のささやかな経験と交わり合い結びついていることである。
たとえば著者は子どものとき、海岸で石を拾いながら一つ一つの石には深い歴史があると感じたという。それは18世紀の地質学者たちが発見したことであった。またあるときは氷河を横断しながら大クレバスをのぞきこんだ。何層もの青色の断面が見えて、長い時間の流れを知り、数世紀前に氷河を見た人たちの驚きを実感した。
マクファーレンの本によって、わたしたちも数百年におよぶ先人たちの感性やまなざしを受け継いでいることを知り、胸が熱くなる。雪の翌朝、まだ誰も歩いていない道に足跡をつけながら、人類未踏の頂をめざした登山家たちのことを思う。ビルの屋上から夕陽に見とれながら、マロリーがチベットで「夕暮れの光の中では何もかもが美しい」と書いたことを思い出す。やわらかい苔にふれたり、雪の一片を手のひらで受けたりしながら、数百年前の登山家たちもそうしたであろうと思いをはせる。
本書は、高峰に挑む登山家の精神についての本ではない。山歩きをしながら景色や草花を賛美しているわたしたちもまた、山の深い時間を生き、先人たちの感性やまなざしを受け継いで、自然の姿に感動したり驚いたりしているのだと気づかせてくれる本である。

クライミング・マインド
山への情熱の歴史
| 著 | ロバート・マクファーレン |
|---|---|
| 訳 | 東辻賢治郎 |
| 発行 | 筑摩書房 |
| 価格 | 2,970円(税込) |
ロバート・マクファーレン
1976年、イギリス、ノッティンガムシャー生まれ。作家、ケンブリッジ大学英文学科教授。風景・自然・場所・言語・文学等についての著作が多数ある。本書(原題『Mountains of the Mind』)は、ガーディアン・ファースト・ブック賞、サマセット・モーム賞、サンデー・タイムズ紙年間最優秀若手作家賞を受賞した。
評者
石川美子
フランス文学者。著書に『山と言葉のあいだ』(ベルリブロ)、『青のパティニール 最初の風景画家』(みすず書房)、『旅のエクリチュール』(白水社)、『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』(中公新書)などがある。
(山と溪谷2025年6月号より転載)
登る前にも後にも読みたい「山の本」
山に関する新刊の書評を中心に、山好きに聞いたとっておきもご紹介。
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