死ぬまでに行きたい! 秘境と絶景、奥剱の旅【山と溪谷7月号】

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月刊誌『山と溪谷』2025年7月号の特集は、「知る、歩く。北アルプス」。コースの魅力を深堀りしたガイドが多く収録された7月号から、秘境の奥剱(おくつるぎ)を旅したルポを紹介します。真砂沢(まさござわ)ロッジの先から池ノ平(いけのたいら)や仙人池(せんにんいけ)のあたりは奥剱と呼ばれています。雪渓を下るか、峡谷を歩くかしないとたどり着かない最奥の地で見た忘れられない景色とは。

文=丸山瑞貴 写真=星野秀樹


旅は道連れという言葉があるが、仲間との待ち合わせは室堂(むろどう)だった。白い手ぬぐいを頭に巻き、真っ黒に日焼けしたカメラマンの星野さんと合流して、ふたりで剱(つるぎ)を眺める旅に出発した。今回のテーマは「奥深き旅」。位置的に奥深いところを歩いてみたく、この計画を立てた。登山者が息を切らして登る雷鳥坂(らいちょうさか)では、キャンプ場のテントを見下ろしながら一息ついた。私は日焼け止めを塗り直したが、星野さんは塗らないらしい。北アルプスの太陽に負けない強靭な肌は、一朝一夕でつくられたものではなさそうだ。

雷鳥坂の途中から、室堂方面を振り返る
雷鳥坂の途中から、室堂方面を振り返る
剱沢雪渓を下り、真砂沢ロッヂをめざす
剱沢雪渓を下り、真砂沢ロッヂをめざす

この日の宿泊先である真砂沢ロッジに行くには長い剱沢雪渓を下っていく。雪渓歩きができるのもの魅力の一つだろう。

真砂沢ロッジに着くと、夕食まで時間があったので星野さんが持ってきてくれたウイスキーをテラスでちびちびと飲んだ。この日から毎日、わたしたちは行動後に酒をちびちび飲みながらいろいろなことを話した。ウイスキータイムの後はおいしい夕飯の時間。

真砂沢ロッジ 夕食
真砂沢ロッジでおいしい夕食をいただいた
真砂沢ロッジ ねずみのおうち
ねずみのおうちを見かけた。表札付きだ
真砂沢ロッジ ビールの空き缶つぶしのグレード表
ビールの空き缶つぶしのグレード表
真砂沢ロッジスタッフのみなさん
真砂沢ロッジスタッフのみなさん

翌朝は池ノ平小屋に向けて歩き出す。この旅は2日目にして、雪渓を下ったり、南股(みなみまた)の川沿いにつけられた登山道を通ったり、仙人新道(せんにんしんどう)の樹林帯を登ったりと景色の変化があってとてもワクワクする。仙人新道の途中には三ノ窓雪渓(さんのまどせっけい)とその上部の険しい岩峰が見えるスポットがあり、剱岳の岩と雪の世界を遠くからでも感じることができた。

スリリングな南股の川沿いの登山道
南股沿いの登山道で最もスリリングな場所
仙人新道で、小窓雪渓を見上げる
仙人新道で、小窓雪渓を見上げる。ギザギザの岩稜も印象的

池ノ平小屋に到着したのが昼前だったので、小屋から10分ほど下ったところにある平ノ池(たいらのいけ)まで空身で足を延ばした。足元には風にそよぐ草原といくつかの池、眼前には剱を代表する岩峰、チンネがひときわ大きい。その光景が池に映るのは、世界でここだけ、一無二の景色だ。ひととおり平ノ池に感動してから小屋に戻ると五右衛門風呂が沸いていて、同じ日に宿泊する方たちと交代で入った。

平ノ池からチンネを望む
青空の下、静かな平ノ池からチンネを望む

池ノ平小屋は、100年以上前から戦中にかけてモリブデンを採掘する人たちがこの地に住んでいたのがルーツだという。戦後GHQに多数の資料を没収され、昔の写真や暮らしをつづった文章は残っていない。この五右衛門風呂は、モリブデン採掘の作業者たちも入っていたそうだ。ちなみに風呂の名前は「池ノ平 黒部鉱山の湯」だった。風呂の後はホタルイカ煮干しとビールで夕食前に早くも晩酌タイム。もちろん、おいしい夕飯も完食だ。明日は本命の池ノ平山から剱を見に行く日。天気予報は晴れるかどうか微妙だったが、晴れると信じて快適な寝床で眠った。

池ノ平小屋 五右衛門風呂
お湯加減も眺めもサイコーな五右衛門風呂
池ノ平小屋 手作りのホタルイカ煮干し
手作りのホタルイカ煮干し。ビールとの相性抜群

そして朝4時。雲が立ち込めているようで空気がしっとり生暖かい。明るくなってくると雲は少なくなり、空気に張りがでてきた。山の斜面には高山植物の緑が生えていて、朝日が当たると一斉に朝露がきらきらと輝いて「おはよう~」と言われているような気持ちになる。

しかし山頂はガスの中で展望はない。剱が見られるまでは長丁場になると覚悟を決めて朝ごはんを食べはじめた。日が高くなると雲の流れが少しずつ速くなってきた。40分ほど待つとちらちらと山肌が見えてきて、剱が見えるかもという期待が急に高まる。お湯を注いだカップラーメンを脇に置き、山が見えるのを待つ。すると、数分で雲がなくなり、ピーカンになった! 剱が目の前にそびえ立ち、その近さに驚いた。右手の谷底から小窓尾根(こまどおね)が延びてきて剱岳山頂につながり、そこから左の視界いっぱいまで八ツ峰が一望だ。剱だけでなく、後立山(うしろたてやま)や毛勝山(けかちやま)のほうまで見渡せる大パノラマだった。すっかり冷めて伸びたカップラーメンも、このときはとてもおいしかった。

池ノ平山から見た、朝の剱岳
池ノ平山から見た、朝の剱岳。複雑で重厚感のある大きな山体が目の前だ

池ノ平山から下りた後は、昨日の五右衛門風呂メンバーのみなさんと一緒に、事前に申し込んだモリブデン坑道ツアーへ。こんなに山深いところにかつて100 人以上が暮らしていたという。どんな生活だったんだろうと思いを馳せた。

暗闇で光を反射するモリブデン
暗闇で光を反射するモリブデン
池ノ平小屋スタッフのみなさん
池ノ平小屋スタッフのみなさん

この日はスタッフの方々含め、小屋にいた全員で夕飯をたべた。話は弾み、とても楽しい時間を過ごした。明日はみんな、それぞれ下山開始だ。

翌朝は仙人池で朝日に染まる剱を観賞後、来た道を下り始める。平ノ池から、池ノ平山から、仙人池から、いろいろなところから剱を見たが、私は池ノ平山から見る剱がダイナミックでいちばん好きになった。この日は昼前に真砂沢に戻ってきて、のんびり過ごした。旅のお供のウイスキーは二人ですっかり飲み干してしまい、山行の終わりが近づいているのだなとしみじみする。

仙人池から朝日に染まる八ツ峰を一望
仙人池から朝日に染まる八ツ峰を一望
真砂沢でキャンプ
小屋の予約が取れず真砂沢でキャンプ

剱は見る場所によって表情を変えるが、どこから見ても隙がなく堂々とそびえているのが印象的だった。星野さんは剱エリアには何十回と来ているので、すべてが見たことのある景色なはず。それなのに、初めてその景色を見る私と同じくらい、いろいろなところで感動して歓声をあげていた。何回訪れても、何回でも感動できる。多様な顔を持つ剱の奥深き魅力を存分に味わう旅だった。

(取材日=2024年8月6~10日)

ハシゴ谷乗越の木製ハシゴ
ハシゴ谷乗越の木製ハシゴ。樹林の急登を進む
黒部ダムを見上げる
黒部ダムを見上げる。旅ももうすぐ終わりだ

北アルプスの深部に浸り奥剱を味わう山旅

真砂沢の先から池ノ平や仙人池のあたりは、奥劔(おくつるぎ)とも裏劔(うらつるぎ)とも呼ばれている。 行程を通して危険箇所はあまりないが、雪渓を下ったり、最終日のハシゴ谷乗越(はしごだんのっこし)の急な登りや、内蔵助平(くらのすけだいら)への下り、川沿いの歩行など、山を歩き慣れた人向けのコースだ。剱の岩と雪の世界を遠くから感じることができ、山の中を歩き回る感じを終始味わえる、まさに北アルプスの深部に浸れるルート。 出発地の室堂から黒部ダムまでは、登りよりも下りの累積標高差が大きく、3500m以上ある。池ノ平にたどり着くのに1日以上かかるためか、奥剱は人が少なく、落ち着いて歩ける。黒部峡谷鉄道の猫又駅(ねこまたえき)~欅平駅(けやきだいらえき)間が運休していたので、今回池ノ平から黒部ダムに下山した。2025年も同区間が運休予定なの で、池ノ平からの下山路はハシゴ谷乗越を越えて黒部ダムまで歩くか、剣沢雪渓を登って室堂に戻るかのどちらかになる。

MAP&DATA

高低図
ヤマタイムで周辺の地図を見る
最適日数:3泊4日以上
コースタイム:【1日目】約5時間30分
【2日目】約4時間30分
【3日目】約7時間35分
【4日目】5時間50分
行程:【1日目】
室堂・・・剱沢小屋・・・真砂沢ロッジ
【2日目】
真砂沢ロッジ・・・池ノ平小屋
【3日目】
池ノ平小屋・・・池ノ平山・・・仙人池・・・真砂沢ロッジ
【4日目】
真砂沢ロッジ・・・黒部ダム
総歩行距離:約27,000m
累積標高差:上り 約2,844m 下り 約3,752m
コース定数:81
アドバイス:池ノ平小屋の五右衛門風呂は小屋の宿泊者対象で事前予約が必要だ。モリブデン坑道ツアーは小屋の連泊者が対象で、上記の日程にプラス1日必要。こちらも宿泊予約時に事前問い合わせが必須。いずれもテント泊は対象外。予約しても天候や小屋スタッフの状況により実施しないことがある
内蔵助平
内蔵助平では川と出合い、水の音が癒やしになる

山と溪谷2025年7月号より転載)

この記事に登場する山

富山県 / 立山・剣

池ノ平山 標高 2,561m

 剱岳から三ノ窓、小窓とU字形にえぐられた主稜線上に盛り上がる山で、ふもとに池ノ平の湿原が地塘を散りばめ、東にひと登りすると仙人山となる。  かつてはモリブテン鉱山があったが、今は廃坑になって久しい。当時のなごりは鞍部に建つ池ノ平小屋で、もちろん建て替っている。  富山県下新川郡宇奈月町と中新川郡上市(かみいち)町および立山町の境になっているが、登山者にとっては裏剱のすばらしい展望台として人気のある仙人池とセットになった山域である。  仙人池は仙人山(2211m)の肩にある池で、裏剱の壮絶な岩峰群を映すので写真の対象として喜ばれている。  登山道は剱沢から二股(近藤岩)まで下り、尾根道の仙人新道を通り仙人池までが5時間30分、あと2時間ほどで池ノ平山に着く。欅平から阿曽原(あぞはら)、仙人谷経由では約10時間。

富山県 / 飛騨山脈北部

剱岳 標高 2,999m

 剱岳は剱・立山連峰と呼ばれるように、北アルプス北部の立山三山や大日岳と同じ山域にある。地籍は富山県中新川郡立山町と上市町。  北アルプス南部の盟主、穂高連峰と同じように、いかにも日本アルプスの名にふさわしい岩峰で飛騨系閃緑(せんりよく)岩や斑糲(はんれい)岩が氷雪で削り出された氷食冠帽である。氷河の痕はU字谷が稜線を削ってできた「窓」と呼ばれる地形にも見られる。三ノ窓、小窓、大窓などだ。もちろんカール地形も剱沢などに見られる。  登山史としての初登頂は1909年、吉田孫四郎パーティにより長次郎谷から行われているが、その2年前に、すでに陸地測量部の柴崎芳太郎たちが測量のため登頂している。  前人未踏の岩峰と思われていた頂上で、彼らは思いがけない発見をした。槍の穂と錫杖、古い焚火の跡などであった。奈良時代のものらしい。隣の立山とともに修験道の霊場だったのだろう。  現在の一般登山道、別山尾根は、1913年に木暮理太郎、田部重治パーティが初トレースしている。日本でもトップクラスの岩峰でロックゲレンデとして超一流なので、それ以後はバリエーション・ルートをねらう多くのアルピニストにより、さまざまな登路、登攀ルートが開拓されてきた。1923年には今西錦司、西堀栄三郎などの京大パーティによるチンネやクレオパトラ・ニードル登攀など、未開拓の難ルートが登られてきた。豪雪地帯だけに豊富な残雪とすっきりした岩峰群の人気は高く、戦後の登山ブームも加えて多くのクライマーを迎えてきた。それだけに事故も多く、1966年に日本で初めて積雪期登山の届出条例が発令されている。  ロッククライミングの対象として人気の高い三ノ窓や小窓、池(いけ)ノ谷(たん)、東大谷(ひがしおおたん)などにはチンネ、ジャングルム、クレオパトラ・ニードル、小窓ノ王、ドームなどと名づけられた岩壁や岩塔がクライマーの血を躍らせてくれる。  一般登山道は別山尾根。別山乗越から行っても剱沢から入っても一服剱(いつぷくつるぎ)で合流する。前剱を越え、途中、カニのヨコバイ、カニのタテバイなど岩壁を行く所があり緊張する。所要3時間30分。  もう1つは剱岳へ西から突き上げる早月(はやつき)尾根。標高差が大きく、途中の早月小屋で泊まる健脚向。馬場島(ばんばじま)から早月小屋へ7時間、早月小屋から山頂へ所要3時間30分。  裏剱の展望台、仙人池へは剱沢、仙人新道経由で所要6時間。仙人池から仙人谷を下って黒部峡谷の阿曽原(あぞはら)から水平歩道を欅平へは所要7時間。

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2026年1月号の特集は「美しき日本百名山」。百名山が最も輝く季節の写真とともに、名山たる所以を一挙紹介する。別冊付録は「日本百名山地図帳2026」と「山の便利帳2026」。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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